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番外編



『あっ、あっ! ぃあ"っ、っあぁ』
『―――、―――――』
『ンんっ、ふっ、んんっ』

 真夜中、弟の部屋から聞こえる喘ぎ声。その艶めかしく悩ましげな声の間には、僅かに別の声が混ざる。

『―――――、』

 何を言っているのかまでは聞き取れない。だが確実にその声の主は存在する。そう思うだけで…

「うっ、くっ……ふっ、んんっ」

 俺の中心は固く反り上がり、そしてやがて、自身の手の中に欲望を吐き出すのだ。

「くふぅッ!!」



 ◇



 俺がその男に出会ったのは入寮日の事だった。

「初めまして、今日から同室になる、えっと……秀一=Bよろしくな」

 いつもの様に人見知りもなく下の名前で自己紹介をすれば、目の前の男は酷く興味無さそうな顔で返事をした。

「庚。……よろしく」


庚(かのえ)
 そう名乗った男は、ニコリと笑って見せるだけで老若男女問わず腰砕けになるのではと思う程に男前だった。
 そんな庚と同じとまではいかないが、昔から人好きされる容姿として通ってきた俺は、 そんな俺に殆んど興味を示さない庚に興味を持った。
 だからと言って、同室者であるのに中々縮まらない二人の距離。
 そんな関係性に段々と焦りの様なものを感じ始めたある日、俺が寮へ戻ると庚が俺の部屋の前に立っていた。

「庚…?」

 俺の呼びかけに漸くこちらを向いた庚は、開けっ放しになっている俺の部屋を指差した。

「それ、キミの兄弟?」

 え? と自身の部屋を覗けば、指差された先には祖母がカメラマンを務めて撮った弟、亮平の写真が飾ってあった。
 俺は別にブラコンじゃない。ただ弟の亮平は非常に写真嫌いで、これは大変珍しい一枚であり、またそのカメラマンを務めたのが祖母だった事がより一層その写真をほのぼのとさせた。
 見るだけで心が癒されるのだ。

 だが、それを知らない他人から見たらただの弟の写真である以外の何物でもない。
 この歳で弟の写真を飾るなんて、と恥ずかしくなった俺は慌ててそれを隠そうとしたのだが、それは庚の腕に引き止められ失敗に終わった。

「別にバカにした訳じゃないよ。ただ、可愛いな…と思って。弟?」

可愛いな、と思って

 その言葉がどこに向けられた物なのかも深く考えず、俺は気分を一気に高揚させた。
 あの何にも興味が無さそうな庚が、俺の“何か”に興味を持ったことに舞い上がってしまったのだ。
 だから俺は、そこに隠れた本質に気付くことが出来なかった。



 そんな変化の日から程なくして、俺は校内にて一人の男子生徒に襲われた。

 鳩尾に重い一発を受け、動けなくなったその体を人気のない場所に引きずり連れ込まれる。
 俺よりも背が高く、体つきもしっかりとした少々目つきの鋭い、どこか少しだけ亮平に似たその暴漢。
 あっという間にシャツを破られ、スラックスを下され、下着すらも取り払われそうになり必死でもがく。
 だが、体格差が有るからなのか全く抵抗が敵わない。
 そうして無理矢理に足を割り開かれ、準備も無くカラダの中に侵入されそうになった、その時…

「何してるの?」
「か…庚ッ!? 庚ッ! 助けてっ、助けて!!」 

 偶然そこへ現れた庚。
 みっともなく泣き叫び助けを求める俺に、庚は冷たい目を向けて言った。

「世の中、持ちつ持たれつが基本だよ」

 俺は目を見開いた。
 人が襲われ、今にも犯されそうになっている状況を目の前にして何を言ってるんだろうって、強姦されそうになってる自分の現状よりも、庚の言ってる言葉の方が俺を混乱させた。
 そして不思議なことに、庚が現れてからというもの俺を襲っていた暴漢が大人しい。

「助けてあげても良いけど、俺、ちゃんと見返りを求めるよ」
「か、庚…なに言って」
「求められた見返りに応えられるなら助けてあげる」

 まるで庚が話し終わるのを待っていたかの様に、暴漢は再び俺のカラダを押さえつけ腕を動かした。

「ひぃっ!?」

 奥まった場所に、無理矢理指を突き入れられる。
 女の様に濡れるはずのないそこは、当然肉が引き攣れ痛みを訴えた。

「やだっ、やめろッ!! ぃい"ッ!? 痛ッ、庚!! 助けてっ頼むっ、庚ッ!!」
「見返り、ちゃんと返す?」
「返すっ! 返すから!! ンひぃ"い"っ、」

 優しさのかけらもない動きで指が中で暴れまわる。
 そうして羞恥と痛みに泣き喚いていた俺は気付かなかった。

「絶対だよ、約束だからね」

 そう言った庚が、暴漢の肩に手を置き笑っていたことに。

「するっ! 約束ッ、するから! だから頼むっ、」

 俺のこの約束が、自分の大事な弟を…。
 そして、それは俺自身をも苦しめることになるのだと、この時の俺には気付く術がなかったのだ。

「助けてッ、助けて庚ぇえッ!!!」



 ◇



「秀一。俺、転校するから」
「…は?」

 俺、朝ごはん要らないから。そんな軽さで言われた言葉に俺は耳を疑った。

「なに言ってんだよ…?」
「この間さ、セックスの最中に秀一≠チて呼びまくってやったんだ。そしたら亮平、遂にキレちゃって」

 心底可笑しいって顔でクスクス笑う庚。だが、その口から出る内容は一つも面白くない。

「この間って、先週末…?」
「そう」
「キレた、って…」
「『もうアンタには抱かれない、二度と顔見せんな』って言われちゃった」
「おまッ…何でそんなことしたんだよ!亮平のこと好きなんだろ!?」

 何で好きな相手に、そんな酷い事を。
 そう言いながら俺の胸の奥はズキズキと痛んだ。

「そりゃ、見送りに来ないはずだ…」

 いつも嫌そうな顔をしながらも、俺たちが寮に帰るときは玄関先まで見送りに出てくる亮平。
 なのに先週末はその見送りが無かったのだ。
 どうしたのだろうかと気になってはいたが、庚とそんなやり取りがあったのなら見送りが無くて当たり前だ。
 漸く弟の行動に納得して呟いたが、それを嘲笑うかのように庚は言った。

「違うよ。来なかったんじゃなくて、来られなかったんだ」
「え…?」
「だってほら、俺から離れるなんて生意気なこと言うからさ。俺もついカッとなっちゃって」

 隣で笑う庚に本能的に鳥肌が立つ。

「お前…亮平に何した」

 声が震えていた。
 聞かなくても分かるのに、思わずそれは口を突いて出てしまった。
 そんな俺を知ってか、庚は俺の顔を覗き込み愛を囁くようにして呟く。





「立ち上がれなくなる様なこと=Aだよ」





 あの日、庚は家を出るギリギリまで亮平を犯した。
 喘ぎ声すら出ないように口に布を詰め、腕も足も拘束して、ただひたすら拷問の様な快楽を与え、それは亮平が意識を飛ばし闇に堕ちた後にも暫く続けられたのだ。

 俺が帰る準備を整えている間にすべてを済ませた庚。そんな庚に綺麗に身なりを整えられた亮平は、祖母から見ればただ昼寝をしているように見えただろう。
 何故俺は、そんな亮平の置かれた状況に気付けなかったのか。

 いや…

 本当はどこかで気付いてた。
 昼過ぎから姿の見えなくなった庚と亮平が何をしているかなんてこと、俺が気付かない訳がなかった。
 ただ俺は…あの誰をも虜にしてしまう出来過ぎた男が、そのくせ他の誰にも興味を持たないあの男が、弟を…亮平だけを愛でているなんて。亮平にだけ心を動かされているだなんて、そんな事実を見たくなかったのだ。

「俺がこうして離れてる間に、あの子は俺以外の他ごとを考えておかしな方向に走ってく。そんなの、許せないだろ?」
「まさか、お前…」
「ちょっと自由にさせすぎた。もうそろそろ真剣に捕まえておかないと」

 庚は俺に笑顔を向けたけど、その目は俺なんて見てなかった。



 暴漢から助けてくれた庚は言った。

『これからも襲われるかもしれないね』
『そんなっ!!』

 下半身の引き攣れた痛みを思い出し体が震える。

『さっき、助ける代わりに見返りが欲しいって言ったよね』
『見返り…』
『そう、見返り。キミの弟を俺に紹介してよ』
『おと……え、亮平?』
『それと、これからも俺がキミを護ってあげてもいいよ』
『庚が…?』
『うん。俺の言うこと、何でも聞いてくれるなら…ね、』


 俺はこの日、自身可愛さに弟を売った。
 だって知らなかった。
 庚が亮平に何をするのかなんて、亮平が庚にどんな気持ちを向けるかなんて。
 まさか俺が、庚を好きになるだなんて…そんなこと、知らなかったから。



 庚は亮平以外に興味が無い。
 だから亮平を取り戻すためにこの学園を出て行くという。
 亮平しか見ていない庚にとって、俺の存在なんて少しも頭にないんだろう。
 庚が居なくなれば、俺はこの学園で襲われ犯される。それを庚が知らないはずはないのに、彼は…何の躊躇いもなくこの学園を出て行くと言うのだ…

 目の前に絶望が落ちた。


「ふっ、何て顔してんの」

 床に視線を落としたまま立ち直れない俺の頭を庚がかき混ぜる。

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、俺が居なくなっても襲われたりしないから」
「へ…?」
「だってアレ、俺が仕組んだことだし」

 落としていた視線を上げれば、悪びれる様子もない庚の笑顔がそこにある。
 その整った男前な顔はゆっくりと俺に近付いてきて、やがて、柔らかいものが俺のそれと重なった。
 始めは軽く啄んで、やがて紅く艶めくモノが強くも弱くもない力で俺の唇を割り開く。
 そこを縫ってぬるりとした物が侵入して来れば、俺の思考回路は完全に蕩けきった。

 熱くて
 甘くて
 気持ちが良い…

 そうして漸くその場所を解放され、うっとりと見上げる俺に庚は言った。

「利用しすぎたお詫びに本当は抱いてあげたいんだけど…ふふ、俺、今亮平にしか勃たないんだ」


 あぁ、なんて残酷な男だろうか。


 ごめんね? なんて誠意の無い軽い言葉は…
 俺を奈落の底に落とすには十分な重さを持っていた。


END


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