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「いただきます」後編



 あの日からもう、早くも二年が経とうとしている。その間瑛二は、思い出しては涙を流しを繰り返してきた。
 最初の頃よりは随分とその頻度も減ってきたが、こうして願叶堂に取り残されていく“大切なモノ”を見ると、つい自分と重ねて傷口を開いてしまう。
 だがそんな瑛二を、縁は決して見放さなかった。常に側にそっと寄り添い、焦らなくていいのだと背中をさすってくれる。それだけで息がしやすくなった。

 社縁は変人。それは初めて彼に出会った時から、大人になった今でも変わらない周りからの彼への評価だ。
 子供の頃は子どもらしくなかったし、大人になった今は年齢不詳な見た目な上、行動も決して大人らしくない。
 とにかく掴みどころのない人ではあったが、それを“変人”と呼ぶには違和感しかなかった。瑛二にとってはそんなところこそが、縁の素敵な個性だと思っていたからだ。
 
 縁は昔から、とにかく瑛二に優しかった。誰に対しても敬語であるし口調は穏やかであるが、誰にでも親切というわけではなかった。だからこそ瑛二に対しての優しさや親切心は、周りの人間からすると『特別扱い』でしかなかった。
 どうしてそうなのか、本人に聞いたことはない。なんだかそこは、触れてはいけない聖域のようなものだった。
 そんな彼の好意にずるずると頼り続けてしまったこの二年。そろそろこんな生活から脱却しなくてはと思い始めた、その矢先のことだった。
 買い出しから戻った瑛二が見つけたのは、店先で倒れる縁の姿と、その体の上に馬乗りになり何かを喚く一人の男の姿。

「なにやってんだッ!」

 買い物袋を地面に投げ捨て走り出す。慌てて縁の側に駆け寄り、上げた腕を今にも振り下ろそうとする男の肩を強く掴んだ。そうして彼の方を振り返った男の顔を見て、瑛二は目を見開いた。

「トモくん……?」
「瑛二っ」

 目の前には、二年前に決別した智則がいた。その相手が今一度口を開こうとしたその時、彼の下に倒れている縁が苦しげに咳をした。

「縁くんッ」

 ハッとして、未だ縁の上に乗っていた智則を押しのけ地面に倒れている縁を抱き起こす。

「大丈夫!? うわ……酷い、血が出てるよ!」

 いつだって造り物のように美しい彼の頬は赤く腫れ、綺麗な形をした唇の端は切れている。瑛二が到着した時にはすでに何度か殴られた後だったようだ。

「すみません、情けない姿を見せました」
「何言ってるんだよこんな時に」
「どうなってるか分かりませんが、多分見た目ほど酷くは───」
「ダメ! ちゃんと病院で診てもらわないと」

 そうして痛々しい痣を肌にのせる縁を心配する瑛二の肩を、誰かが強く引いた。

「瑛二」
「え、あ……」

 振り向いたそこには確かに先ほど見たはずの智則の姿があった。ちゃんと認識していたはずなのに、縁に気を取られてすっかり頭から抜けてしまっていた。そんな瑛二の様子を見て、智則がポツリと言葉をこぼす。

「どうして……」

 その顔は、感情という感情がごっそりと抜け落ちたようで、瑛二は無意識にぶるりと身震いした。
 最後に見た彼は、土気色で悲壮感溢れる顔をしていた。けれど今の彼はその時のソレともなんだか違う。あの時以上に知らない相手を見ているようで、思わず智則から距離を取るように僅かに後ろへと体をずらす。その瞬間、智則の顔が般若のように歪んだ。

「どうしてッ」
「ヒッ!?」
「どうしてそんな奴を庇う!? どうしてそんな奴を気にする!? 分かってるのか、そいつは俺たちを引き裂いた悪魔なんだぞッ! 返せっ、俺の瑛二を返せよ!」

 突然、智則が怒りを露わに鬼の形相で叫び出した。瑛二には、そんな彼こそが悪魔のように見えた。

「瑛くんは、私の後ろにいて下さい」

 色白で細身に見える縁の、思いの外男性らしい腕が瑛二を背に隠した。

「ソレは俺のだぞっ!」
「瑛くんは物ではありません」
「返せっ、返せこの卑怯者っ! お前に瑛二の何が分かるっていうんだ!」
「あなたこそ、瑛くんの何を知っているというのですか」
「俺はっ、」
「あなたにはガッカリです」

 そう言って縁は、着物の合わせから几帳面にたたまれたハンカチを取り出し広げると、口の中に溜まった血を吐き出した。それをまたきちんと折りたたんで胸に仕舞う。
 それはこんな状況でありながら、人の目を奪うほどに綺麗な所作だった。

「瑛くんはあなたに、一度でも金持ちになりたいと言ったことがありますか。地位や名誉が欲しいと言ったことは?」
「ッ、」
「あなたは、まるで二人の未来にはソレが必要であるかのように強く望んでいた。だが実際にそれを欲していたのはあなた一人だけだ。彼は君との未来に、地位や名誉や金など望んじゃいなかった。君が、ただ君さえいればそれで良かったはずなんだ」

 瑛二は縁の背の後ろで、強く強く下唇を噛んだ。

「瑛くんの手を離したのは、他でもないあなたなんですよ」
「でもっ、もし奪われるのが瑛二だと知っていたら俺はっ!」
「私は言ったはずです。『大切なものを失うことになる』と」
「それが瑛二だなんて思わなかったんだ! もし瑛二が奪われると分かっていたら絶対にこんなことしなかった! 頼む瑛二っ、俺の元に戻ってきてくれ!」

 そうして強く伸ばした智則の手は、しかし瑛二の体に触れることはなかった。どうしてかなんて簡単なこと、瑛二が彼の手を避けたからだ。

「瑛二……」

 智則を見据える瑛二の目に、かつての熱は少しも残っていなかった。


 ───呪いだ

 智則が血反吐を吐くように言った。

「知ってるぞ……これは呪いなんだ。あの取り引きは呪いの一種なんだ、そうだろ? 解け、解けよ、今すぐこの呪いを解け! そうやって人の望みを叶えるフリをして、その反対側で人の大切なものを搾取する卑怯者のくせに……!」

 分かったか、分かったか瑛二。アイツは汚い男なんだ。こうやって人から大切なものを奪うクズなんだ。見た目に騙されるな、分かるだろ、もう分かっただろう、お前が今どちらの手を取るべきなのか。
 息荒く興奮して瑛二を見た智則は、しかし再びその熱の無い瞳に見つめられ絶句した。

「淡田くん、まだ分かりませんか」
「……なに……」
「君にも、彼にも、呪いなどかかっていない」
「そんなばかなこと……だってここは、この店は」

 確かに縁が営むこの店は、普通の店とはだいぶ違う。この店の中に入って来られる人間は限られていて、大切なものと引き換えに自身の欲望や野望を手に入れる。
 一度手放したものはもう二度とその手には戻らないが、そういった縛りの強さが望みを叶えるのに必要となる。それは紛れもない、呪いだった。

「確かにこの店は呪いを扱っています。今までもたくさんの人たちの望みを、呪いで叶えてきた」
「じゃあやっぱり、」
「でも、私はあなたに何も使っていない」
「……なに、?」
「あなたに呪いをかけることに躊躇いなんてありません。だが瑛くんが関わるなら別だ」

 後ろを振り返った黄金に光る縁の瞳が、ジッと瑛二を見据えた。

「私は自分の大切なものを何かの対価に置くことは絶対にしない。そして私の大切なものは、この世にたった一つしかない」

 家族も、友人も、知人も。宝石など金銭的価値のあるものも含めて、大切と思えるほどの執着など少しも持てはしなかった。縁にとってはそんな世界が普通だった。でも唯一、瑛二だけはその縁の高い壁を簡単に越えてしまった。

「私はただ君に、自分のツテを教えただけ。そこからそのツテを使って女を抱いて、子供まで作ったのは君自身の選択の上で起きたこと。淡田くん。君が大切なものを失ったのは呪いのせいでもなんでもない。ただ単に君の愚行によって、瑛くんから得ていた信頼と信用を完全に失くしたただけなんですよ」

 瞠目し言葉を失う智則見て、瑛二は不思議な感覚を味わっていた。
 最近まで、失った彼を想って涙が流れていた。そんな溢れた想いをいつだって静かに拾ってくれたのは、自分を守るように背を向けて立つ縁だった。
 今こうして智則を目の前にして初めて、瑛二は自分がもう智則を昔のように愛していないことに気づいた。深くついた心の傷が疼いて涙は出ても、きっともう二度と昔のように彼を愛せない。悲痛な想いを叫ぶ智則よりも、彼によりつけられた縁の傷の方が気になった。
 そして何よりも今は、縁の言った言葉に全身が熱くなっている。

「瑛二……」

 生気なく呼ばれた声に目を向ける。

「トモくん、俺はもう昔には戻れない。何を置いてもあなただけが大切だった俺にはもう、二度と戻れない。……ごめんなさい」

 その言葉に返事はない。

「さようなら、───智則」

 瑛二は放心し立ち尽くす智則に背を向け、縁の腕を引き歩く。そのまま勝手口の方へと消えていく二人の後ろで、智則はやがて瞳から熱も光も失わせた。



「あれで良かったんですか?」

 傷の手当てを受ける縁が徐に口を開いた。

「え?」

 口元の傷から視線を外し縁を見れば、その瞳はしっかりと悦二を見ていた。今はいつもの薄茶色をしている。

「淡田くんのことです」
「あ、ああ……ね、ビックリした」

 まさか今更自分の前に現れるとは思っていなかった。とっくに彼は彼の新しい世界で生きているのだと思っていたのに。そして自分の心にも驚いた。
 自分ではまだまだ引きずっているつもりでいたのに、いつの間にか彼の存在を過去のこととして吹っ切れていたようだ。

「縁くん、ごめんね巻き込んじゃって。この傷だって、」
「君のせいではありません」
「でも、」

 ジッと見つめられる瞳の力が強くて、結局瑛二は口を噤んだ。
 暫く無言の時間が続いたが、視線が自分から外れていかないのをむず痒く思いもう一度縁に視線を戻す。

「そ、そう言えば俺、呪いの対価じゃなかったんだね」

 そわそわとする心を誤魔化すように、努めて明るい声で話しかけた。無駄に早口になる。傷の手当てを再開して脱脂綿に消毒液をかけるが、緊張しすぎて消毒液は溢れた。

「てっきり俺もあの棚に並べられてる商品と同じなんだとおもッ───」

 消毒のために口元の傷に脱脂綿をつけようと伸ばした手首を掴まれる。思わず瑛二の喉がきゅっと鳴った。

「子供の頃、初めて会ったあの日からずっと私にとっての“大切”は瑛くん、君だけです」
「えっ、お……うぇ!?」
「私は昔からずっと、家族からも他人からも変人扱いを受けてきたし、他人と違う自覚もありました。それが普通なのだと思っていたけれど、君だけは違った。君だけが私を“ふつうのニンゲン”にする」

 お化け屋敷だと揶揄いに来た子供たちは、用事が済めばすぐに飽きて帰っていく。そんな中で瑛二だけが、敷地内にいた縁を振り返り声をかけた。

『ねえ、きみもいっしょに公園いこ?』

 そう言った彼の瞳には、ほんの一ミリとて下心も邪心も無かった。他の子供達は眉間に皺を寄せ「やめろ」と口々に言うのに、瑛二だけはただただ純粋に縁を同年代の子供として見ていた。
 その後も散々縁の噂は耳にしただろうに、瑛二は縁に対する態度を一切変えたりしなかった。
 残念ながら縁は子供同士の遊びに興味はなく、一緒に遊ぶことは一度もなかったけれど、その日以降縁にとって瑛二は日を追うごとに特別な存在になった。
 なんの欲望にも邪心にも染まらぬ純粋な瞳に出逢えるのは、これが最初で最後だと確信していた。

「呪いで手に入れたものに意味なんてない」

 そう言って縁は、掴んだ手首を軸に瑛二を引き寄せ抱きしめた。初めて閉じ込められる縁の腕の中は、やっぱり細めの見た目にそぐわず逞しい。
 鼻腔に抜ける縁の香りに思わず目の前がくらりとした。

「私が生きる意味は、君だけです」

 この日、瑛二の世界はきっと一気に色を変えた。そう気づくのはしかし、もっともっと縁という男に心身ともに絡みとられてからになるのだけど。
 呪いで操られたりすることよりも、本気で心が動いてしまうことの方がずっと……怖いことなのかもしれない。

 



 翌日の朝、珍しく早起きした縁とともに瑛二が店先を掃除する。通り過ぎていく近所の人と挨拶を交わすが、相変わらずみんな縁の風貌に不躾な視線を向けてくる。だが当の本人はそんな視線を全く気にもしていない。
 彼が言う通り、それが彼の世界の“普通”なのだろう。
 小さく溜め息をついて店の入り口を振り返ると、ふと目に入る貼り紙。

「あ、縁くん。アレまた剥がれかけてるよ」
「え? おっと、それはいけない」

 いそいそと破れかけた貼り紙を直す。

「よし、これで大丈夫」

 貼り出されたその紙は、この店の大事なキャッチフレーズ。
 瑛二は今でも変わらず、この店を質屋のようなものだと思っている。これからもまた、この店の埃被った棚には誰かの“大切なもの”が増えていくのだろう。だけどそうして何かと引き換えに置いていかれる品々を見てもきっと、もう辛くはならない。

 世界は、きらきらと輝いて見えた。


【あなたの大切なもの、いただきます】


END



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