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蔑まれても、キミの中で。:後***



「なぁ、今瀬。お前大丈夫か……? 顔色やばいんだけど」

 初めて抱かれたあの日から数日経つが、俺はあれから毎晩城に抱かれている。

『今日も練習させてくれるんでしょう?』

 そう言って有無を言わさず俺を抱き潰しては、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる城の気持ちが分からない。練習なんて、でまかせでしかなかったのに、そんなの本気にすると思わなかったのに……。

「松原……」

 落としていた視線を上げる。松原を見ようとして、そのもっとずっと向こうに気を取られた。

「今瀬?」

 松原の、後ろの方。そこには、柚希先輩を腕に絡ませ歩いている城の姿があった。

「おっ、おい! 今瀬、どうした!?」

 瞳から、ボロボロと涙が滑り落ちる。
 城は言った、練習させてくれと。そう言って、何度も俺を抱いた。
 俺の口から出た『練習』はでまかせだった。でも……城の『練習』は本気だったのだ。いつか迎える、柚希先輩との本番に備えての……。

「うっ、うううぅ、うっ、うっ」
「おおおおい、泣くなよ今瀬ぇ〜! どうしたんだよぉ〜」

 珍しく優しい松原に余計に涙腺が緩み、この際だからと、その胸を借りてわんわん泣いた。そこが、大学の構内だということも忘れて。
 だが城と柚希先輩の姿を見て泣いたその日。本物の絶望は、家の中で待ち構えていた。

「ごめんね、お邪魔してるよ」

 俺たちの家で、それも城の特等席であるソファで。にっこりと美しい笑みを浮かべるのは、昼間に見たあの人で。

「え……」

 今まで一度たりとも家に誰かを呼んだことのなかった城が、柚希先輩を呼んだのだ。それだけで、柚希先輩が城にとって特別な存在なのだとわかる。

「ああ、ケン。おかえり」

 キッチンから顔を出した城の顔は、いつもより表情が柔らかい。きっと、好きな人が側にいるからだ。

「じょ、城……」
「ん?」
「今日が……本番、なのか?」

 小さく、まるで絞り出すように問うた俺の言葉に、城はくすりと笑った。

「悪いけど、今夜はヘッドホンでもして眠ってくれる?」

 先輩たちと共にしたその日の夕食は、全く味がしなかった。


 夕食が済み、城と先輩はまるでいままで一緒に暮らしてきたかのように自然に部屋で寛いで。確かにその場に俺も一緒にいるはずなのに、俺だけが存在していないかのようにふたりの世界は出来上がっていた。
 やがて、ふたりが城の部屋へと消えていく。扉が閉まる瞬間、ほんの一瞬だけ……柚希先輩が俺を振り返り笑ったのが見えた。

 俺には過ぎた願いだった。
 俺には不相応な環境だった。
 俺には、身に余る経験だった――――

 そんなことはとっくに分かっていたのに、実際に現実を突きつけられると受け止めることができない。たった一度で良いからと触れてしまった禁断の実は、俺の心も体も芯から蝕んでいたようだ。
 俺と城の関係は、友人でもなければ恋人でもなく、セックスフレンドとも呼べないような曖昧なもの。ただ、友人には頼めないようなことを手近な幼馴染で済ませていただけ。
 いつかは訪れると分かっていた『本番』で、きっと城は上手くやる。女との経験すらなかった俺の体を、初めてでアレだけ感じさせることができる城には、そもそも練習など必要なかったのだ。
 今日、先輩との本番を迎えたら……きっと俺は、幼馴染としても用済みになる。一度でも肉体関係を結んだ相手が側にいることなど、誰でも許すことなどできないだろう。

 俺と、城の関係は、今日……すべてが終わる。終わってしまう。

「いや……嫌だ……」

 どうすればいい?
 どうすれば、まだ側にいることができる?
 どうすれば……どうすれば……どうすれば…………。

「本番が来なければ……それまでは、一緒にいられる……?」

 どうしてそんなことを思いついたのだろう。後から考えても、俺は多分正常じゃなかった。でも、その時はそうするしかないと……本気でそう思ったのだ。
 足は、先ほどふたりが消えていった城の部屋の扉へと向かう。今扉を開ければ、見てはいけない光景が広がっているかもしれない。それでも、それでも俺は……。

「じょうっ、城!」

 ――バンッ

「ッ、」

 部屋の扉を開け視界に飛び込んできたのは、ベッドに座る城の体に絡みつくようにくっついている柚希先輩の姿。部屋に無遠慮に入ってきた俺を、柚希先輩の視線が鋭く射抜いてくる。

「城……」
「ケン、どうしたの」

 手が、足が、全身が緊張と恐怖で震える。

「城……俺、俺は……」
「ケン」
「まだ、本番は早いと、思う」
「なに……?」

 頭のずっと奥の方。お前は世界一の馬鹿だろうと、もう一人の自分が指をさして笑っている。

「本番はっ、もう少し練習してからのほうが、いいと思う!」

 自分の口から出た言葉なのに、恥ずかしさで死にそうだった。なにが本番はまだ早い、だ。なにがもう少し練習が必要、だ。本当に愛しているのなら、不慣れであることすら愛おしく思うのが恋人なのに。
 大切な二人の時間の邪魔をした。それも、俺たち二人に肉体関係があるのだと気付かれてしまうかもしれない、危うい発言をしてしまった。ふざけるなと、怒鳴られるに決まっている。
 俺は投げられるであろう暴言に備え、震える手を握り締め……肩をすくめ目を強く瞑った。

「……ケン」

 怖い。

「ケン」

 怖い。一体、どんな顔をして俺を見ているのだろう?

「憲次郎!」

 今まで聞いたことのない強い声音に、思わずびくりと体を跳ね上げ、ついに城の方を見てしまった。その、城の表情は……。
 いつもは見つめられるのが苦手な、強すぎる光をもつあの宝石のような瞳が、まるで、蜜のように蕩けていて。

「ケンはそう思うんだね?」
「へ……」
「俺にはまだ、練習が必要だと思うんだね?」

 どろりと溶け出した城の蜜に、全身が絡み取られ、頭の回転すら鈍くなっていく。

「お……思う」
「ケンと、もっと練習するべき?」

 俺は、黙って首を縦に振った。

「おいで、憲次郎」

 操り人形のように、俺はベッドに座る城へと近づく。城にくっついていたはずの柚希先輩は、城の手によって簡単に押し退けられ、床に尻もちをついた。

「俺が本番をできるようになるまで、ケンが相手してくれるの?」
「……うん」
「じゃあ、ケンが決めてね。俺がもう、本番に進んでいいのか、まだ練習が必要なのか」
「でも、俺……」

 そんなことをしたら、俺は、一生城に本番へ進む許可なんて出せない。永遠に俺との練習が必要だと、そう言ってしまう。

「俺はケンに従う。ケンがまだダメ、っていうなら、ずっとケンと練習する。だから教えて?」

 城が俺に、キスをした。
 何度も何度も互いの唇が触れ合って、吸い付いて、ねっとりと合わさり離される。それだけで、背筋から頭のてっぺんへと電流が突き抜けた。

「ン……ぁ、ふぅ…」
「どう? 気持ちいい? それとも、まだまだ練習が必要そう?」

 すぐにイってしまいそうなほど上手です、とは言えない。
 自身の腕を城の首に巻き付ける。城の腕が俺の腰に回され、グイと引っ張られれば、俺は城を押し倒すようにベッドへ乗り上げた。だがその位置は、一瞬にして引っくり返され、視線の先には天井を背にする城がいた。

「……まだ……まだ、」
 
 乞うように開かれた俺の唇に城のそれが重なると、隙間からぬるりと舌が入り込んできた。同時に、シャツの裾からは城の手が入り込み、未だ腫れの引かない粒を爪で引っ掻かれる。

「あぁあっ!」

 舌は絡み合い、絡み取られ、甘噛みをされ、もう一度強く胸の飾りを抓られれば、俺はついに軽くイってしまった。全身が、快感でビクビクと痙攣をおこす。
 城の長い指が、優しく俺の硬い髪を撫でてくれた。

「俺、上手くなってきた? でも、まだ練習は必要だよね?」
「ん……城……じょう……」
「友達にも頼めないようなこと、ケンが引き受けてくれて良かった。ケンが幼馴染で、良かったよ」

 俺の瞳から、ポロリと涙が落ちる。
 嬉しいからなのか、切ないからなのか……自分ですら、今の感情を理解することは難しかった。

「もっともっと、上手にできるように俺と練習しようね、憲次郎」



 ◇


SIDE:城


 俺の腕の中で眠る憲次郎の目の周りは、泣きはらして真っ赤に腫れている。
 過ぎる快楽はいつしか苦痛に変わり、嫌だ嫌だと泣いて、善がって。俺の体の下から這いずって逃げ出そうとする憲次郎を、押さえつけては執拗に攻め立てた。

「ん……」

 短いまつ毛に指先で触れれば、憲次郎は眉間に深く皺を寄せて身じろいだ。その嫌そうな顔に思わず笑みが零れる。
 離れがたくはあるが、朝はやることが多い。そっと起こさないようにベッドから抜け出すと、静かに部屋のドアを閉めた。

「随分と激しかったねぇ〜」

 リビングには、いつの間にか部屋から消えていた柚希先輩の姿があった。その手には、儚げなリアルプリンセスなんて呼ばれている彼には似つかわしくない煙草が挟まれている。

「帰ったと思ってた」

 思わず顔が歪むと、柚希先輩はその美貌に底意地の悪い笑みを浮かべた。

「オイオイ、こんな頭のオカシイ計画に協力してやって、終電逃してソファで一人寝した俺に、その態度はねぇんじゃね? お前のお姫様が起きる前には帰ってやるから、珈琲の一杯くらい出せよ」

 柚希先輩とは大学で知り合った。一目見て、互いに一瞬で気付いた。ああ、コイツは自分と同じこちら側≠フ人間だと。

「それにしても、こんなことする意味ってあったのか?」
「なにが?」
「どう考えてもお前ら両想いだろ、普通に告って付き合うって流れじゃダメなわけ?」

 ふぅ、と溜め息のように紫煙を吐き出す柚希先輩は、俺の顔を見ると眉を下げて笑った。

「はいはい、ダメなわけね」
「俺は、普通の関係なんて求めてないから」

 友達、親友、恋人。どれもいつかは、気持ちが薄れて消えていき、そうしてまた別の誰かと築いていける関係。そんな危うい関係で、憲次郎を失うわけにはいかない。
 もっと深く、深く、深く絡みついて、離れられない別の形が欲しい。

「一生忘れられない、忘れることなんてできない。他の誰かでは代わりにならないモノが必要なんだよ」
「だからって『練習』はねぇだろ。永遠に自分は練習台だと思うわけだろ? あの子、いつか歪み過ぎて壊れるぞ」

 そんな先輩の言葉を、俺は鼻で笑う。

「歪めば歪むほど、心の奥底に俺が根付く。そうすれば簡単にはもう離れられなくなるから、それこそ願ったり叶ったり。壊れたって、俺が一生面倒みるから問題ないよ」
「相当イカレてんな、お前」
「アンタに言われたくないけどね」

 先輩はくくっと喉を鳴らして笑うと、簡易の灰皿で煙草をもみ消し立ち上がった。

「まあ、お前らがどうなろうと関係ねぇけどさ。次は俺の番だってこと、忘れんなよ」
「……松原だろ、分かってる。ケンの周りをうろついてて目障りだったんだ、監禁でもしてくれると助かるんだけどね」

 昨日なんか、泣いてる憲次郎を抱きしめたのだ。

「昨日のアレはお前の計画が生み出したようなもんだろ? それに生憎俺は、どろどろに甘やかすタイプだからな。監禁なんて酷いことはしない。………自ら望めば、別だけどな」

 誰も見たことのないであろう、暗い瞳がぎらりと光る。

「じゃあ、またな」

 静かに玄関の扉が閉まると、部屋の中にようやく静寂が生まれた。これで、やっといつも通りのふたりの世界が戻ってきた。
 俺と先輩は、やはり似ている。
 獲物が違うだけで、欲しいモノを手に入れる為ならきっと、なんだってするから。

 友人や恋人では距離が近く人目に触れやすいが、単なる他人では距離が遠すぎる。それに比べ、幼馴染みという立ち位置は非常に便利なものだった。
 誰に意識されることなく憲次郎との距離を保ち、他人からの憲次郎への嫉妬も、最小限のやっかみ程度で済んだのは、この関係性のお陰だ。
 適度な距離で、しかし自分を諦めきれない位置に置くことで、憲次郎は孤独の中で独り、俺を想い続ける羽目になった。

「嫌われようが、蔑まれようが………奥深くに根付いた者勝ち、なんだよ」


 臆病故に俺との関係性を幼馴染にとどめ、親友や恋人になるという選択肢を捨てた憲次郎。
 高校や大学という人生において大切な選択も、俺を密かに想い、追いかけることを第一に考え動いたこと。そうして俺とふたりだけでの生活を経験し、欲が出たこと。
 その全てが、自分の意思で動いた結果だと思っている憲次郎は、だが、いつか気付くことになるだろう。
 その全てが、ただただ俺の掌の上で転がっていただけだったことに。

 その時、憲次郎は一体どう思うのだろうか。
 俺を責めて悲しみ、酷いと罵るのだろうか。俺を蔑み、軽蔑するのだろうか。だが、どうしようともう、手遅れなのだ。
 すでに歪みの中に種は植え付けた。それが芽吹くのも、時間の問題だろう。その時にはもう、どう転がろうと俺から離れることはできなくなっているはずだ。
 俺の望みは、憲次郎の中でまるで麻薬のように染み渡っている。

「お前と幼馴染で、本当によかったよ」


 憲次郎が起きてくるまでの間、俺は香しい珈琲の香りに包まれ、小さく笑った。



END


2020/05/04




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