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白薔薇の犬***


 ちゅっ、くちゅ、ぢゅっ

 目の前に突きつけられた真っ白な足を、指の間まで綺麗に見落とし無く舐める。
 片方を舐め終わればもう片方を差し出され、まるでそれがとても美味しいご馳走で有るかのように私は黙ってしゃぶり尽くす。

 真っ白な肌に、艶めく黒髪。
 長い睫毛に縁取られた大きな瞳は潤み、こぼれ落ちそうだ。スッと通った鼻筋に、さくらんぼの様に淡く色付いた小ぶりの唇の位置は黄金比。
 黙って座る姿はまるで西洋の人形。魂を入れたビスクドール。

 それが私の主、“雅様”なのだ。



 ◇



「舐めろ」

 まだまだ変声期を迎えるには程遠い、少女のものの様にも聞こえるその声で下す命令は酷く淫猥なものだ。舐め終わった足を下ろすと、跪いたままに主のモノを取り出し、それにそっと舌を添わせた。
 色の薄いそれは既に反応を見せており、それ程時間をかけずともトロトロと透明の蜜を流し始める。

 終わりは近い。

 まだ幼い彼は耐える術を持たず、間も無く私の口の中を欲望で満たした。





 私の運命が決まったのは、雅様が九つの誕生日を迎えられた日のことだった。
 夏の残暑も緩和された、白薔薇が咲き乱れる美しい季節。真っ白なテーブルの上には、溢れんばかりのカラフルなケーキやお菓子が並んでいた。

「さぁ雅、何でも欲しいものを言ってごらん?」

 雅様のお父上である聖様は、雅様を大変可愛がっていらっしゃった。
 天候にも恵まれ、シミ一つ無い真っ白な薔薇に囲まれた庭の中央で行うバースデーパーティを、執事もメイドもにこにこと笑顔で見守る。

 生まれも育ちも卑しい私は執事などと言った職になどつくことは出来ず、主に庭の手入れや外回りの掃除夫として働いていた。そんな私には近寄り難い美しい催しを、白薔薇の垣根の隙間からこっそりと覗いていた。

 私はこの催しを見ることが、一年の中で一番好きだった。
 自分では味わったことの無い、あの甘い甘い時間がとても煌めいて見えたのだ。

「遠慮は要らないよ? さぁ、何が欲しい?」

 身を乗り出す様にして聖様は雅様の顔を覗き込む。

「……犬が欲しい」
「おや、メルだけでは不満かい?」

 メルとは、この館で飼われているイングリッシュ・ポインター、三歳の女の子である。

「違う。専用の犬」
「ん、専用…あぁ、雅だけの、ってことかい?」

 こくりと頷いた雅様に、聖様は笑みを深めた。

「そうかそうか、分かったよ。どんな犬が欲しいか、もう決まっているのかな」

 ニコニコと音がしそうな程の笑顔を向けた聖様に、雅様は再びこくりと頷き立ち上がった。

「雅? 何処へ行くんだい?」

 ケーキやお菓子、果物のジュースなどが沢山乗ったテーブルから離れた雅様は、そのまま庭の白薔薇へ向かって歩く。その足は正確に私の方へと向かっていて、気付けば雅様は犬の様に四つん這いになっていた私の目の前に立っていた。
 思わず驚いて後ろへひっくり返る。

「メル」

 その短い呼び声へ正確に反応したメルは、猟犬宜しく、私の襟首を咥えると女の子とは思えない力で私を引きずって行く。

「ぁっ、あのっ…わわわっ」

 ズルズルと引きずられ連れて行かれた先は、あの煌びやかな催しの中心、聖様の足元だった。

「ん? 君は…」

 ハッとして飛び跳ねる様にひっくり返った体勢から土下座の体勢を取ると、頭を芝生に擦り付ける。

「そっ、掃除夫の紫(ユカリ)です!!」

 本来なら近づくことなど許されないであろう方の足元で、私はガタガタと震えた。

「雅、どう言うことだい?」
「これが欲しい」
「………」

 雅様のビシリと迷い無く私を指す指と言葉で、一瞬にして周りは静かになった。地面にへばり付いていても分かる、突き刺さる様な視線。
 しかしそんな凍りついた様な空気は、聖様の豪快な笑い声で一気に掻き消えた。

「聖様…」

 心配そうに声を漏らした側近の真山様を片手だけで制すと、聖様は雅様の視線に合わせて腰を折った。

「よし、では彼を雅にあげよう。紫、と言ったね?」
「はっ、はぃいっ」

 力み過ぎだ私の返事に聖様はもう一度豪快に笑った。

「今日から君は雅のモノだ。これからは雅だけに従いなさい」


 そうしてこの日、私は雅様の犬となったのだ。



 ◇



「絶対に見に行くよ」

 一枚のプリントを手にした聖様は、些か興奮気味だ。それを夕食を取る雅様の横でジッと見つめていた。
 どうやら来週末に、父兄参観が有るようだ。

「ふんふん、テーマは『ボク、ワタシの夢』か。雅はどんな夢が有るのかなぁ、こっそり先に教えてくれないかな?」

 それじゃあ父兄参観へ行く意味が無いだろう、と言う私の思いは雅様の冷たい眼差しとなって聖様を突き刺した。

「ああっ、そんな顔して見ないでくれ! 分かっているよ、ちゃんと我慢するからねっ」

 雅様はそんな聖様を一瞥すると、さっさと自室へと向かわれてしまう。私は慌てて雅様の後を追った。




「あっ、ぁあぁ…はっ、あっ」

 犬となってから二年。
 朝の仕事もどんどん内容を変えて行き、今では私の口だけでは収まらず、もっと奥深くにまで欲望を吐き出すようになっていた。

 元々愛される資格を持たない私は、愛の無い行為を強要されたとて何も辛くはなかった。
 毎朝、雌犬の様に腰だけを上げて後ろから雅様に揺すられる。
 後一年もすれば中等部に上がられる雅様のそれは、子供と言えど十分な大きさをしており、揺すられる度に視界は星を散らしていた。

 ただただ雅様に忠実な犬に徹して、求められることを兎に角こなす。それが私の生活の全てだった。




 雅様が家を空けている間は、いつも通り庭の手入れや掃除夫として生活していた。

「紫! 紫は居るか!」

 今日は久しぶりに頼まれた客間の花瓶に花を生けていると、突如玄関ホールから聖様の声が響いた。

「ひっ、聖様!」

 慌てて花きり鋏を投げ捨てて玄関ホールへ向かうと、何故だか聖様はいたずらっ子の様な顔をして立っていた。

「お帰りなさいませ、随分と早いお戻りですね?」

 今日は例の父兄参観の日。
 伺っていた帰宅時間より一時間ほど早かった為、メイド達も出迎えに大慌てだ。

「あぁ、余りに面白いことが有ったから、無理矢理切り上げて来たのだよ」

 ほら、これ、何だと思う? と聖様が私の前にかざしたのは、薄っぺらなプリントの束だ。

「? …何でしょう?」
「よぉ〜く見てくれるかい?」

 わくわくと瞳を輝かせる聖様に苦笑しつつ、私はそのプリントを手に取った。
 そこには『ボク、ワタシの夢』と書かれている。思わず聖様を見上げれば、ニタリと悪い笑みを浮かべた。
 私はもう一度そのプリントに視線を落とすと、凄い勢いで一つの名前を探し出す。そうしてやっと三十名ほどの名前の中から目当てのものを見つけ……絶句した。

「あ…」
「紫、君なら意味が分かるだろう?」

 ニヤニヤと聖様が笑って言う。

「雅なら庭に居るよ」
「しっ、失礼致します!!」

 ぺこりと聖様に頭を下げると、私は庭へと全力疾走した。
 この館の庭は兎に角広い。
 簡単には見つけられない筈のその姿が、何故だか、何処に居るか分かる気がした。

 辿り着いた先には、一心に咲き乱れる白薔薇達。
 そこに、まだ幼さを携えた背中が見えた。

「雅様っ!」

 私の声に振り向いた雅様は、酷く驚いた顔をしている。
 それもそのはず。
 雅様の犬となって二年の間、私は一度も彼の名前を口にしたことが無かったのだから。

 急く体に足が追いつかず、雅様の目の前でつんのめり転ぶ。いてて…と立ち上がりかけたその時、四つん這いになった私の視界に雅様の足が映る。

「み、雅様……これ…」

 みっともない体勢のまま差し出すは、先ほど聖様より預かったプリントの束。
 雅様が、目を見開く。



 ――ブワァッ


 一瞬のことだった。
 突風に舞い上がる花びら。
 飛ばされるプリント。

 何も感じていなかった心に湧き上がる想い。


 ――死ぬまで貴方の犬でいたい


 そうして真っ白な花びらが降り注ぐ中で私は…
 胸ぐらを掴み上げられ雅様に口づけを受けたのだった。










『ボク、ワタシの夢』

 真っ白な薔薇に囲まれた小さな家に、犬と二人で死ぬまで住む。【九条 雅】


「雅くん、犬にはなんて名前つけるの?」
「ユカリ。紫って書いて、ユカリ」


END


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