満ちる月に想いが溶ける
今日は昼間から、あちこちで餅をつき夜の準備に勤しんでいた。
若い女たちは誰と美しい月を見るかを語り合い姦しい。
そうしてそんな女たちに、夜の相手に誘われる弟、康介の姿を何度か見かけた。だが、あとひとときもすれば日付を超えると言うのに康介の姿は家の縁側にあった。
腰掛ける横にはささやかなツマミと酒がある。
「康介、今日は空気が冷たい。そろそろ中に入ったらどうだ」
「あぁ…」
あともう少し。そう言って見つめる先には、今年一番の近さに迫った大きな月が見えた。
中秋の名月の名に相応しい、美しい月だ。
その月を見ながら、康介が誰に思いを馳せているのかはもう、言わずと知れたふたりだけの秘密である。
康介は、昔から篤史が好きだった。
口は悪いが面倒見が良く、動きは大雑把だが心は繊細。プライドが高いと言ったらそれまでだが、篤史はいつだって凛としていた。そんなアイツに憧れる少年は本人が知らずとも沢山いた。それこそ、あのリンだってその一人だ。
だから康介の“それ”も、始めは単なる憧れなのだろうと思っていた。
だがそうでは無かった。
そう分かったのは、奇しくも篤史がリンの代わりに蛇神の生贄となった時だった。
実際に足を向けたの俺だったが、どうすべきか指示を出したのは康介だ。親友であった俺よりも早く、誰よりも早く篤史救出の計画を立て、リンのその目を自分に引きつけ危ない橋を渡り…俺をあの森へと助けに向かわせた。
その後も、常に康介は篤史を想っている。
どうすれば篤史が悲しまずに済むか、健やかに過ごせるか、幸せになれるのか。篤史へと繋がる山道が閉ざされたあの時も、今も、ずっと…。
「隣、良いか?」
「ああ、」
人ひとり分開けた場所にゆっくりと腰を下ろし、同じ月を静かに見上げる。
「良い夜だ」
「ああ、そうだな」
「……見ているだろうか、あの人も」
幸せだろうか。…そう聞こえた気がした。
康介の問いに俺はそっと瞳を閉じる。
瞼の裏に浮かんだこの月の様な笑顔に、俺はふっと笑を零した。
「ああ、きっと見ているさ」
あの優しい蛇神に寄り添い、幸せそうに笑いながら。
『月が綺麗ですね』
そう伝えたい気持ちを飲み込み、ただ一心に想い人の幸せを願う。
どうか弟の想いが、
この月より届きますように――――
END
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