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番外編


 朝目覚めると、隣に歩の姿が無かった。
 起き上がり小さく息を吐く。

 最近、歩の様子がおかしい。
 ここ二ヶ月ほど前から、妙に何かを考え込んでいるのだ。
 悩みがあるのなら話して欲しいのだが、歩が話したくないので有れば無理に聞き出すことは出来ない。そう思ってそっとしておいたのだが、一向に回復の兆しが見えない歩の落ち込み様に、流石に待つ事に痺れを切らし始めていた。

 何を悩んでる? 何か悲しい事があったのか?
 だがそう問い詰めそうになる俺を思い留まらせたのは、四日前に電話をよこした懐かしい声だった。

『話したい事があるんだ。今週末、少し時間を取ってくれないかい?』

 高校時代に随分と世話になった先輩、藤村さんだった。二つ返事で答えを返した俺に、懐かしい、優しい声が笑ってみせる。
 その時に思った。歩を問い詰める前に、まずは藤村さんに相談してみようと。



 藤村さんと落ち合う場所は俺たちが通っていた高校のすぐ近くだった。
 卒業して八年。辺鄙な場所にあった学園は現在閉鎖され、科学何たらセンターなどと言った施設に変わっている。そのせいなのか何なのか、辺りは驚く程開拓され沢山の店が立ち並んでいた。

「中川くん」

 変貌を遂げたその土地に目を奪われていると、後ろから懐かしい声に呼び止められた。振り向いた先に居た二次元から飛び出てきたかのような風貌の男は、その長い足を優雅に進ませ俺へと近付いてくる。

「藤村さん」
「久しぶりだね、中川くん。元気にしていたかい?」

 昔から変わらぬ慈愛に満ちたその瞳を見て、俺は無性に泣きだしたい気分になった。



「この辺りも随分と様変わりしてしまったね」

 藤村さんと共に入った喫茶店は、俺たちが学生の頃には無かったものだ。男子校の周りにあって流行るようなものではなく、如何にも女性向けの小綺麗でお洒落な店は、この辺りが如何に開拓されているかを匂わせる象徴的な建物だった。

「俺が卒業して八年経つんですから、これだけ変わってても可笑しくはないですね」
「確かに。だが、何だか寂しいものだ」
「そう、ですね…」

 閉鎖的で、無秩序だった学園。そこには忘れることの出来ない、沢山の思い出が詰まっていた。
 使用目的は変わってしまっても、周りがどれだけ開拓されてしまっていたとしても、唯一変わらぬ建物を見ればその記憶はいつだって昨日の事のように思い出す事ができた。

「さて、話を聞こうか」

 ぼんやりとしていた俺の耳に届く、不可思議な言葉。

「え…あの、藤村さんが俺に、話があるって」
「そんな顔を見せておいてよく言うな。確かに私も用事があるのだが、その前にまずは君の話を聞こうか。歩の話ではないかな?」

 俺が目を見開けば、言わなくても分かるとでも言いたげな目が弧を描いた。

「藤村さんには敵わないな」

 俺が苦笑すれば、彼はゆっくりとした動作で持っていたティーカップをソーサーに置いた。カツリ、と微かに音が鳴る。

「二ヶ月ほど前から、歩の元気が無いんです」

 話をしていても生返事ばかりでどこから心ここに在らず。笑ってもそれは見せかけだけの作り笑い。

「話してくれるまで待とうと思ったんですが、流石に俺も限界で…どうしようか迷っていた時に藤村さんから連絡を頂いたんです。歩を問い詰める前に、まずは相談しようと思って来ました」

そう言って俯いた俺に、藤村さんは短く息を吐いた。

「まぁ、そんな事だろうとは思っていたよ」
「え…」
「私の話と君の悩み、関係があるだろと思ったから先に聞いたんだ」
「はぁ…」

 訳も分からず藤村さんを見つめていれば、宝石のようなその瞳が俺を見つめ返す。

「あの子が悩み事を抱える時は、大抵中川くん関連だと気付いているんだろう?」
「はい…けど、今回は何度考えても思いつかないんです」

 俺が心底困った声で呟けば、藤村さんは「それはそうだろうな」と楽しげに笑った。

「幾ら考えたとて分かるはずが無いさ」
「え?」

 キョトンとする俺の目の前に、藤村さんは胸元から何かを取り出しテーブルの上に置いた。
 真っ白な、ポストカード程の大きさの封筒。
 宛名は藤村先輩の名前で、おめでたい柄の切手の上には二ヶ月前の消印が押されていた。

「どうぞ、手にとって見てみてくれ」

 言われて手に取ったそれは、どう見ても結婚式の招待状だった。そのままそっと裏を向ける。

「こ、これって…」

 潔癖な程に白い封筒。
 その裏側の差出人の名前には、よく見知った名前が書かれていた。

「所謂政略結婚ってやつさ。このご時世で、まだそんなものが有るのかと驚くだろう?」
「…………」
「だがね、彼はそれを納得して受けている。その選択に後悔は無いそうだよ」

【雨宮 尚(あまみや ひさし)】

 高校の頃、あの学園の生徒会で会計をやっていた人だ。
 背が高くスタイルは抜群、美形な上に少し浮ついた見た目ではあるが、根は真面目で性格も温厚。そして、恋人に一途な人だった。
 俺はそんな先輩にあっという間に心惹かれ、いつしか彼しか見えなくなっていた。

 恋をしていた。
 熱くて、切なくて…泣けてしまうほど甘くて苦しい、恋をしていた。
 そんな俺の感情が、あらゆる悲劇を呼ぶとも知らないで。

「もしかして、これ…」
「ああ、君たちにも届いている筈だ。雨宮から連絡があったんだ。君と松嶋からまだ返事が来ていないから確認を取れないか、ってね。直接連絡する手も有っただろうが、彼奴なりに気を使ったんだろう」
「もしかして歩は」
「まず間違いなく、それを隠しているんだろう。君に見せるべきかどうか迷ってる。迷ってる理由は…さぁ、どちらだろうか」

 歩は俺が雨宮先輩を好きだった頃の全てを知っている。
 恋の始まりも、恋の真っ只中も、そして終わりを迎えたその時も、全て。

 俺が先輩の事で苦しんでいれば話をきいてくれたし、その胸で泣かせてくれた。俺が人のが温もりを欲しがれば、その身で俺を慰めてくれた。
 何て事ないって顔をして、俺への想いを必死で抑えながら歩はいつだって俺の気持ちだけを考えて動いてくれていた。その気持ちに気付かぬ振りをして散々利用して来たのは俺だ。

 辛いのは、切ないのは、苦しいのは俺だけだと思い込んで、悲劇のヒロインを気取っていた。そうしている間に、俺はどれだけ歩を傷付けて来たのだろうか。
 
 本当に大切なものを手に入れる為、俺は雨宮先輩への恋心に終わりを告げた。何も言わずに待ってくれる歩に甘えて、じっくりと時間をかけて俺は自身の傷を癒した。
 俺が歩と付き合いを始めたのは、雨宮先輩への恋を終わらせてから二年後の事だった。

 それから凡そ八年の月日が経ち、俺たちはその年月も、そしてこれからの人生もずっと共に歩むパートナーとして過ごして来た。そう、その筈だったのだけど…。

「この招待状を見せれば、君が結婚を止めに彼の元へ行ってしまうと思っているのか。それとも、彼の元へ行かずとも君がまた大きく傷付くと思っているのか」
「どちらにしても、歩はまだ俺が先輩を引きずってると思ってる」
「そういう事だ」

 藤村さんは冷めてしまった紅茶を飲み切った。

「俺は、一体どれだけ歩を傷付ければ気が済むんだろう」
「まだ雨宮を忘れられないかい?」
「忘れる事なんて一生ありません。でも、それと恋情を持っているかどうかは別物です。俺は歩が好きです。この先もずっと、一緒にいたいと思ってる」
「けれどそれは八年経った今でも松嶋に伝わっていない。君がどれだけ松嶋を想おうとも、それでは意味が無いんだよ、中川くん」
「はい…」
「あの子は強い子だが、君に関してはからっきしだ。臆病な子供に戻ってしまう。多分、カードを見せれば君たちの関係が終わるとでも思っているんだろう。困った奴だな」

 そう言って笑った藤村さんは、まるで自身の家族に向けるような慈愛に満ちた瞳をしていた。その瞳を見て思い出す。無理して笑顔を作り、出かける俺を見送った歩に心が痛んだ。

「藤村さん、俺…」
「ああ、早く行ってやると良い。今も家でウジウジと悩んでいるんだろうから。処刑室が残っていれば連れていっているところだ」

 ニヤリと笑った藤村さんに、俺は久しぶりにゾッとした。

「それは勘弁してやって下さい」
「君も連れ込んでやりたいんだが」
「それも勘弁して下さい。今日で、必ず終わらせますから」
「良い報告を待ってる。彼奴の式で会おう」

 そう言って藤村さんは、俺の額へと優しくキスをした。


 ◇


 家に戻ると歩はソファに腰掛けテレビを見ていた。多分、内容なんて頭に入っていないだろう。
 お帰り、と振り向いた歩の疲れた顔に泣きそうになる。けど、今はそれどころでは無いし、俺が泣くべきでは無いのだ。

「歩、話があるからテレビ消してくれるか?」

 俺の言葉に歩の瞳が揺れた。
 こんなにも歩を不安にさせてきたこの八年間って、一体何だったんだろう。何だか少しやるせない気持ちになった。
 緊張した面持ちで歩がテレビを消したのを見てから、俺は大きく深呼吸をして歩の隣に座る。

「歩、お前いま、俺に隠してる事あるよな」
「っ、」
「歩が話してくれるまで待とうと思ってたけど、それが間違いだって気付いたから言うよ。今日、藤村さんに会ってきた」

 歩は今度こそ、目に見えて分かるほど肩を揺らした。

「歩が俺に隠してる事も分かった。お前、雨宮先輩からの招待状を隠してるだろ」
「旬っ、」
「ごめんな歩。お前にこんな真似させたのは俺のせいだ」
「違う!! これは俺がっ」
「聞いて、歩。俺は確かに雨宮先輩が好きだったよ。陸先輩から奪いたかった。歩の気持ちを利用してでも、俺はあの人が欲しかった」

 歩の顔が哀しみに歪んだ。早くその顔を笑顔に変えてやりたいと思った。

「けど、それは“あの頃”の話だ。今は違う」

 大切にしたい人、大切にされたい人。
 側に居たい人、側に居てほしい人。
 愛したい人、愛して、ほしい人。

 いまそう思える相手は歩しか居なかった。そしてこの先もずっと、歩でしか有り得ないと思えた。
 俺をこれ程大切にしてくれる人は他にいない。
 俺を想ってこれ程心を痛めてくれる人は他にいない。
 そんな想いに応えたいと、同じ想いを返したいと思った八年前。

「好きだよ歩。世界中の誰よりも、俺は歩が好きだよ。歩むが俺を要らないって言ったとしても、もう俺はこの手を離してやれない」

 ソファの上で硬く握られていた歩の手に自身の手を重ねる。するとその手は、驚くほど強く俺の手を握り返した。

「要らないなんて言うわけねぇだろ!? 俺がどれだけっ、どれだけお前の事っ!」
「ああ、知ってる。お前は最初からずっと、俺を好きで居てくれたもんな」
「ずっと雨宮からお前を奪いたかった! けど出来なかった! 優しいからじゃ無いっ、振られて、友達ですら居られなくなる事が怖かったんだ! 雨宮に勝てるなんて思えなかったからっ」
「歩…」
「ずっと頭ん中に住み着いて言うんだ、『旬は俺のだよ』って、雨宮が…」

 歩の瞳から涙が零れ落ちた。
 それは次から次へと溢れて、ぽろぽろと落ちては俺たちの繋いだ手を濡らしていく。

「こんな事したくなかった…でも、取られたくなかったんだ。旬と…離れたく無いっ」
「歩」

 俺は歩を抱き寄せた。こうするのはいつも歩の役割で、その胸で泣いて、癒されて、愛されるのは俺だった。
 想いを返したいと思っていたはずなのに、一緒にいると結局俺は歩に甘えてしまう。歩の優しさに頼り、ぐずぐずになってしまう。そうして甘える事で気持ちが伝わっているだろうなんて、何て横暴で自分勝手な考えなんだろう。

「高校時代のことは、きっとこの先もずっと忘れる事は出来ない。雨宮先輩を好きだった事も、一生忘れると事はないよ。でもな、結局それは過去の事なんだ。もうただの思い出なんだよ。…でも、歩との事は違う。この先ずっと一緒にいる為の努力をしたいし、好きで居てもらう為の努力もしたい。浮気なんて絶対許さないし、浮気しても別れてなんかやらない。一生かけて償わせてやるつもりだ。だって俺はもう、歩しか好きになれないんだから」
「旬…」
「今まで傷付けて来ておいて、今更信じてくれなんて虫が良すぎるよな。でも、それでも信じてほしいし、今まで傷付けて来たぶん、一生かけて償いたい」

 深く傷付いて、未だに血を流すその歩の傷を俺に癒させてほしいし。どれだけ時間がかかったとしても、他の誰でもなく、この俺の手で。

「直ぐに信じろなんて言えないけど、頼むから…ちょっとずつで良いから、俺の気持ちを信じてよ」
「旬っ、旬…」

 抱き返してくれた歩の腕の強さに、暖かさに涙が出た。
 好き過ぎて辛くて、死んでしまいそうだった俺の心を癒してくれたのは歩だった。あの頃俺が倒れず立っていられたのは、他の誰でもなく、影で支えてくれていた歩のおかげだった。
 そんな大切な存在を失わずに済んで良かったと心の底から思ってる。

 あの日あの時手放した、眩しい程に輝く恋心。

 けれどそれを手放した事に、今も、あの時も俺は少しも後悔なんてしていない。これ程に大切な存在が、いつだって俺の側に居てくれる未来があるのだから。


 ◇


 雨宮先輩の結婚式はとても素晴らしいものだった。
 藤村さんは『政略結婚』だと言っていたけれど、新郎も、新婦もとても幸せそうに笑っていて、そこには確かに“愛”があった。

 二次会では高校時代の懐かしい顔ぶれが揃い、昔話に花が咲いた。
『あの頃お前の事が好きだったんだ』と爆弾発言をした元生徒会長の相楽さんに、歩が隠す事なく噛み付いて危うく殴り合いの喧嘩になるところだったが、それは俺の介入で一気に終息した。

 何をしたかって?
 新郎新婦を含めた参加者全員の目の前で、俺が歩にキスをしたのだ。

『ぅああぁぁああああぁぁっ!?』

 相楽さんと歩の喧嘩は止める事が出来たが、代わりに別の意味で騒がしくなってしまった。そんな俺たちを見た雨宮先輩は、隣にいるお嫁さんと目を合わせたかと思うと、ふたりで笑いながら言った。

『幸せになってね』と。

 そんなふたりに俺も笑って見せた。
 そうして騒ぎを抑えるためにまた、ふたりに背を向ける。そうして俺は心の中で呟くのだ。

 あのね先輩、俺はもう


「十分幸せですよ」


 俺の側にはいつだって歩が居てくれる。
 それだけで俺は、きっと誰よりも幸せ者なのだ。


END



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