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 円に連れて行かれたのは彼の家だった。部屋に向かうタクシーの中で「どこいくの」と問えば「俺の家」と一言言われたまま、着くまで延々と無言が続いた。
 やがてたどり着いた円の部屋は驚くほど広く、そしてあまり生活感がない。
 居心地が悪く立ち尽くしていると、円は黙って俺の手を引き、寝室のベッドの端に俺を触らせた。その足元に円が膝をつく。

「まだ、誰でもいいから抱かれたいのか」

 静かな声だったけど、どこか責めるようなその響きに俺は忘れていた熱が込み上げた。
 誰でもいいなんて、もう思ってない。思えなくなった。
 目頭からポロリと涙を溢すと、それをどう受け取ったのか円が顔を歪ませた。

「まだアイツが好きなのか?」

 え?

「どうしてもアイツが忘れられないか」

 え、何言ってんの、この人。
 涙に濡れた瞳をパシパシと瞬いて、俺は円を見据えた。

「俺、アイツに未練なんて一ミリも無いよ」
「──は?」

 え、なんでキレてんの!?

「じゃあどうして俺に連絡してこなかった!? なんで店にまた来た!?」
「な、なに!? 連絡なんてできるわけないだろ!? 俺、円の連絡先知らねぇよ!」
「パンツのポケットにメモして入れておいただろ!?」
「え!?」
「え!?」

 もしもポケットにメモが入っていたのなら、今頃は洗濯されてボロボロになったまま箪笥の中で眠っているだろう。
 寝室の中が静まり返ったかと思うと、円は片手を額に当てると大きく溜め息を吐いた。

「ビビって遠回しにした結果がこれか」
「……?」
「連絡の話はもういい。じゃあ、なんで店に来た?」
「なんでって、円に会いに行ったに決まってんだろ!」

 店に行くしか接点がないんだから! そう叫べば、今度こそ円はその切長の美しい瞳を見開いた。

「俺に?」
「それ以外の理由なんかあるわけないだろ!? アンタが悪いんだよ! 俺のこと、あんなにっ、あんなに優しく抱くからぁ!」

 再び膨れ上がった熱が瞳から溢れた。

「おっ、おっ、俺は! ほんとに誰でもっ、良かったんだ! めちゃくちゃにっ、してっ、くれるなら」

 ひっ、ひっ、と嗚咽を漏らしながら話せば聞き苦しいが、円の瞳は真摯な色を浮かべてしっかりと俺を捉えて離さない。

「なのにっ、まどっ、まどかがおれを、俺をあんな優しく抱くからっ、お、俺はっ、愛されるべきだなんて、言うからっ!」
「賢太……」
「どうしてくれんのっ!? 誰でもっ、いいって言えなくなった! アンタがっ、アンタのせいでっ、うっうっ、ううぅ、責任、取ってよぉ! ……ンぅぅうっ!」

 目の前の円が俺にかぶりついた。

「んっ、んぅ、あうっ、んぅう!」

 前の時とも、店でのアレとも違う。いま与えられているキスで、本当に喰われてしまいそうな錯覚を起こした。
 これじゃあまるで、円に余裕がないみたいだ。
 気付けばベッドに押し倒されていて、俺のシャツの裾から入り込んだ円の手が素肌を辿っていた。

「あっ、や、まどかっ」
「好きだ、賢太。俺が全部、責任とってやる」

 その言葉に目の前が薔薇色に染まった。本当? 本当に? でもその嬉しさは、先程バーの外で見た男の姿を思い出して、一瞬で霧散した。

「嫌だ! 嘘つき! 嘘つき!」
「賢太?」
「好きだなんて言えば、俺がまた簡単に落ちると思ってんだ!」
「なに言ってんだ、俺は……」
「さっき、男と出てったくせに!」

 俺を置いて、勝手にしろと出ていってしまったくせに。子供みたいにわんわんと泣く俺に、覆い被さったままの円が溜め息を吐いた。

「置いて行って悪かった……頭にキたんだ、俺以外に抱かれに来たと思って」
「自分だって、他の男を抱こうとしてた!」
「違うって」
「違わない! アイツ、円の理想そのものだった!」

 ひぃっと悲鳴のような泣き声をあげれば、どうしてか円が笑う。

「何がおかしいんだよ!」
「いや、可愛いなと思って」

 はあ!? コイツ、そういうことを言えば俺が簡単に

「思ってないから」
「まだ何も言ってない!」
「お前、分かりやすいんだよ」
「んっ、」

 ちゅ、ちゅ、と啄むキスをされる。

「最初に会ったあの日、俺が言ったことを覚えてたんだな」
「覚えてるに決まってるだろ!」
「でもお前、俺に興味なかったろ?」

 確かに円に興味があったかと言われれば、あまりそんな意識はなかった。ただ腹が立って、見返してやりたいとは思っていたけど。

「さっき一緒にいた奴は、俺の悪友の夏樹」
「悪友……」
「まあ、あんまり掘り下げないでくれ、埃しか出ないから。あっ、ただ気をつけろよ。アイツもバリタチだし、人のものに興味を持つ悪趣味野郎だから」
「友達なんじゃないの?」
「だから悪友だっての」

 確かに掘り下げるのは良くなさそうなので、それ以上の追求はやめておいた。

「善次郎と、夏樹にも頼んであれからずっとお前が店に来るかどうか見張ってた」
「なんで!? てか、なんで見張ってたのに行ったらキレるの!?」
「だから、他の男に抱かれに来たと思ったんだよ!」
「だからなんでそれで円が」
「お前のことが好きだって、さっき言ったろ!」
「だから……それがよくわからないんだってば」
 
 俺が心許なく呟けば、円は途方に暮れたような顔をした。
 だって俺は、自分で言うのもなんだけど本当になんの特徴もない男なのだ。
 身長は162センチと円に比べたらかなり小柄で、それが特徴と言われればそうだけど……そんな男は他に五万といる。
 挙句、一ヶ月付き合った男には手を出す気にもならないとハッキリ言われ、家政婦扱いを受けていた。そんな俺が、こんな誰もが目を奪われるような美形に好かれるはずがないのだ。

「俺が賢太に惚れることは、そんなにおかしなことか?」
「だって、俺たちあの日の一回しか会ってないんだ。どこに俺に惚れる要素があったって言うんだよ……」

 円を見ていられなくて顔を横に向けるが、直ぐにまた元に戻された。
 綺麗な瞳が俺を見下ろしている。

「お前は『一目惚れ』って言葉を知ってるか?」

 俺は思わず笑ってしまった。

「ははっ! 嘘をつくにしても、もっと上手い嘘をついてよ」
「嘘じゃない」
「嘘だ!!」
「確かに、俺はお前の容姿に一目惚れしたわけじゃない」
「……ほらな」
「お前の、その中身に惚れたんだ」

 言い返す言葉が見つからず、口を半開きに固まる俺を見て、円が『ははっ、不細工な顔』と笑った。ふざけんな。

「負けず嫌いで、お前を拒否した俺に噛みついてきたな。俺に抱かれる気も無かったくせに、怒らせようと散々煽って、そのくせ簡単に俺に言いくるめられて、抱かれたな」

 そう言葉に表されると、あまりの自分のアホさに顔が真っ赤に染まった。

「可愛いと思ったよ。好みからかけ離れたお前を、抱きたいと思うほどには。それで抱いたら、案の定手放せなくなった」
「なぁ!?」

 売り言葉に買い言葉、円は致し方なく俺を抱いたのだと思っていた。

「だ、だきた……」
「当たり前だ、抱きたいと思ったから抱いた。善次郎に何を言われたって、興味もない相手を抱くほど俺は相手に困ってない」
「知ってるよ!!」
「妬くなよ、もうこれからは賢太だけなんだから」
「ええ!?」
「なんだよ。わざわざ俺に会いに来て、置いてかれたって大泣きまでしたのに付き合ってくれないのか?」

 だって、本気で? 本気でこんな綺麗な男と、俺が?

「俺は美人としか付き合えないのか?」
「美人じゃなくて悪かったなぁー!」

 また勝手に傷ついて涙を流すと、円は今度こそ声をあげて笑う。

「なんなんだよ、難しい奴だなぁ」
「だって、だってぇ」
「いいから素直に俺に愛されておけよ、な?」

 俺はもう一度、ポカンと円を見上げた。

「あい……」
「そう。本当は、お前が一番欲しかったものなんじゃないのか?」

 ゆっくりと降りてきた円の綺麗な顔。唇がそっと重なって、少しだけ離れた位置でもう一度視線を交えた。

「お、俺は……円の愛が、欲しい」

 泣きそうな声で言った俺に、円は子供みたいな笑顔を浮かべ笑った。

「もう要らないって、泣いても止めてやらないからな」







「で、やっと上手くいったんだ」

 営業時間外の善次郎の店の中。
 カウンターに座る俺の隣に、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた夏樹が座った。

「しかし、あの子に円が一目惚れとはねぇ」
「いいんだよ、アイツの良さは俺だけが知ってれば。でも、善次郎には感謝だな。あのフリがなきゃ、今頃他の奴に賢太を取られてた」
「バカねぇ、あの子はそんなに倍率高くないわよ」
「……はぁ?」
「「怖っ!!」」

 カウンターの中と隣で、自分の肩を抱き震える男たちを尻目に、琥珀色の液体を喉に流し込んだ。
 昨日、ひと月前に出会い一目惚れした青年と再会を果たし、ついに付き合えることになった。
 出会った瞬間は一ミリも興味が無かったのに、言葉を交わした途端、あの強気で負けず嫌いな性格と、そして誰よりも純粋なその心と瞳に俺は落ちた。
 生まれて初めて、好みとかけ離れた相手を渇望し、誰にも渡したくないと独占欲に染まった。これも立派な一目惚れだろう。

「ところで、昨日の今日でこんなとこに居ていいわけ?」
「お前らにお礼言ってくるって、ちゃんと言って出てきた。自分もついて行くって言い張ってたけど」
「なぁに、それなら連れてこればよかったじゃな……」

 そこまで言ってから、ハッとした善次郎が『いい! 何も言わなくていい!』と叫んだ。

「立ち上がれないから来られないんだよ」
「言わなくて良いって言っただろぉ!」

 善次郎が男に戻る。

「円がそこまでヤるなんて珍しいな。あの子、そんなに具合が良いの?」

 悪びれることなく下世話なことを聞いてくる夏樹は悪くない。今まで、そういう関係を結んできたから。

「アイツが凄いわけじゃない。アイツだから俺が興奮するだけで」
「なにそれ、どういうこと? ねえ、今度俺にも」
「ダメだッ!! 悪いけど、アイツは共有できる相手じゃない。これから先ずっと、俺もアイツだけしか要らないし、アイツにも俺しか与えるつもりはない」

 夏樹が驚いた顔をした。

「本気で惚れてんだ?」
「だからそう言っただろ」
「いや、まだ冗談かなんかかと思ってさ」

 面白そうに笑って、煙草に火をつける夏樹を見ながら、自分でもらしくないと思った。


 今まで、自分のこの容姿のおかげで、そういった相手に苦労をしたことは一度もなかった。
 少々好みが偏っていることで獲物が圧倒的に少ないという難点はあったが、夏樹と情報交換をしつつ獲物を共有することで、狩りは上手くいっていた。快楽だけを追う関係は軽薄ではあるが、そこに不満はない。
 だから賢太を一目見た時、その小柄で平凡な見た目は全く俺の目にとまることはなかった。

『アンタさ、上手いとか嘘なんじゃないの? 厄介ごととか言って、本当は自信が無いんだろ。もしかして、小さい……とか? あははっ! 確かに善次郎さんの方がデカそうだし、上手そうだもんな!』

 言われた言葉にまず、頭にくるよりも先に驚いた。自惚れと言われても仕方ないが、俺に媚びる奴はいても、こんな風に俺に嫌われても仕方のない煽りをしてくる奴なんていなかったから。
 勝手に言ってろ、と一蹴するのは簡単だった。でも、そうしなかったのは。
 睨みつけた俺の目を見て、怒らせることができたとあまりに嬉しそうに笑うから。その笑顔が、まるで子供のように純粋で。
 気付けば、背を向けて去ろうとする賢太の腕を掴んでいた。

『待ちなよ、おチビちゃん』

 あの時、あの瞬間。賢太を捕まえた自分を褒めてやりたい。

 誰でもいいから抱いてくれ、めちゃくちゃにしてくれと叫んだ青年の体は、組み敷けばあまりに純粋無垢で美しくて。
 怖い怖いと泣く顔が可愛くて、それでも快楽に呑まれ喘ぐ姿が愛おしいと思った。自分と同じような体格の男が好みだと言いながら、自分の腕にすっぽりと収まるその小柄な体に、いままで感じたことのない安堵を抱いた。
 初めて快感の大波に攫われ溺れたその時、しっかりと俺の手を掴んだあの子の手を、絶対に離してはいけないと思った。
 
「アイツ、俺の連絡先のメモを洗濯しやがって」

 夏樹が声を上げて笑う。

「みんな円と寝た後は、そこら中、それこそ自分の穴の中まで連絡先を探すのにね」
「ほんと下品ね、夏樹ちゃんは」
「だってマジなんだよー?」

 自分に自信のない賢太は、まさか俺が連絡先を残して行くと思わなかったらしい。
 そこは確実に口で伝えることをしなかった、肝心なところでヘタレた俺の失敗だ。

「それにしても円、連絡来ないってかなりへこんでたけど、もしかして番号以外になんか書いてたの?」

 これだから、頭の回る奴は嫌なんだ。
 俺は大きな溜め息を吐くと、独り言のように呟いた。

「言わない。墓場まで持っていくつもりだからな」
「なにそれ、すっごい気になるんだけどぉ!」
「賢太くん、持ってないのかな」
「ゴミと思って捨てたって言ってたから、永遠に闇の中だな」

 賢太の目にも触れることなく消えたのは少し残念だが、メモに書いた俺の決意は、永遠にこの胸の中にある。
 これから嫌と言うほど、態度で示していくからそれでいい。

「残念ねぇ〜」

 それで、いいのだ。



 そんな俺の恥ずかしい、らしくない決意が書かれた紙が表に出てくるのは、それから数年後の賢太の宝箱の中から。



『一生俺だけに愛される決心がついたら、連絡をくれ。 円』


END
 



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