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「ミ〜サ〜キちゃん」
大嫌いな自分の名前をわざと呼ぶのは、ダチの内田。
「どこに消えたのかと思ったら、こぉ〜んなとこに居たのぉ?」
「チッ、何しに来たんだよ」
「おーおー、ご立腹で?」
ヘラヘラと笑いながら隣まで来ると、俺と同じ様にフェンスに凭れかかって座った。
屋上なんて今も昔も不良の溜まり場だから、俺たち以外には誰もいない。
「な〜お前、あのミラクル王子殴ったんだって?」
「………」
「お前のクラスどころか学年中、いや、学校中の女子が超激怒してるよぉ?どーすんのぉ」
そう、俺はさっき殴ってしまったんだ。
氷川を。
あの綺麗な顔を、思いっ切り。
だって、どうしたら良いか分かんなくなったんだ。
いつも冷たいあの指にいきなり手を掴まれて、今まで合わなかった目が合って、全身の血が沸騰したかと思った。
そうして気付いた時には、掴まれていない方の手で思い切り氷川を殴り飛ばしていたのだ。
………そして逃げた。
「ああぁぁああ! もうっ、どぉーしたらいーんだよぉお!!」
俺は頭を抱えて膝に顔を埋める。
「なぁに、やっぱ冴島が悪いわけ?」
「……た、多分…」
「多分? …まぁよく分かんねぇけどさ、席は真ん前だし? 逃げ場無いんだからさ、悪いと思ってんならさっさと謝っちゃいなよ」
普段は絶対にそんなことしないのに、俺の頭に手を乗せてポンポンしてくる。
「うぇぇ、何て謝りゃいーんだよぉ」
「さっきはごめんね? って可愛く言えば、あの王子様なら許してくれるんじゃね?」
「できるかアホ!」
「アホはお前でしょーよ。あんなに危険危険言ってた癖に関わっちゃって」
ぐすん。
その通りだからなんも言えねぇし。
けどやっぱり、殴ったことは咄嗟のこととは言え後悔してるし…前の席だし…今後の生活を考えても、さっさと謝るのがベストかなぁ。
「もし相手がキレても、まぁお前は喧嘩だけは強ぇし大丈夫だろ」
ケラケラと他人事の様に笑って(いや、完全に他人事なんだけど)、内田はポケットから出した煙草をふかし始めた。
手伝ってくれそうな気配は無い。寧ろ、さっさと行ってこい的な目で俺を見てる。
きっと女どもが煩いから気に入らないんだ。
チクショウ! この冷血漢っ!
あーあー行ってやるさ、行けばいーんでしょー? 行けばー!!
どう考えても今から謝りに行く態度では無いが、一応目的地を教室にして屋上を飛び出した。
◇
内田はひとり考えていた。
確かに冴島は、直ぐに手が出やすい短気タイプだ。しかし自分から先に、ましてや丸腰の相手に手を出すような奴で無い事は確かだった。
「あのミラクル王子、一体あいつに何しちゃった訳よ? 怪しいなぁ〜」
喧嘩を売られた訳では無いにしても、手が出てしまうほど本能的に危険を察知した冴島。
身の危険がイコールで何と繋がるのかを考えてみる、が、答えは見えるようで中々見えない。
考える事を放棄した内田が吐き出した煙は、指先から上がる紫煙と共に初夏の風に吹かれて霧散した。
それはまるで、今しがた放棄した問題の答えの様だった。
◇
教室に戻る途中で、名前も知らない女達に何度も何度も囲まれた。
普段なら絶対に近付いて来ないような奴らが、寄ってたかって大人数で俺を取り囲むんだ。
やれ氷川君が可哀そうだの、
やれ氷川君に謝れだの、
やれアンタは最低だの。
もぉ女って本当に怖い! わかったっつーの!
謝ればいーんでしょー! 謝ればー!
何度目か分からない女からの集団リンチ(精神的な)から素早く逃げて、後ろから上がる怒声を背に教室へと走った。
(居た…)
自分の席の、前の席。
いつもと変わらずその場所には氷川が座っていた。
静かに、本を読んでいる。
まだ数時間前の話なのだから席が変わる筈も無いのだが、あれだけ煩い女どもが居れば何をしてるか分からない。
王子を守るナイト(女だけど)になって、氷川を守るために席替えをしていてもおかしくなかった。けど、何一つ今までと変わることなくその場には氷川が座っていた。
遠目から見ても分かる、腫れ上がった右頬。
俺の左手の甲が思いっ切り当たったのだから、腫れない訳がない。ましてや手加減無しの男の力で殴ったのだ。
我知らず、罪悪感で眉間に皺が寄った。
教室の入り口でひとりモタモタとしていると、付近の女が騒ぎ始めて教室中の連中が俺を見た。
その中には氷川の視線も含まれていて…
「ひっ、氷川! さっきは殴って悪かった!」
思わず走って氷川の机の前に行き、一息に全部言い切った。
緊張で腕も足も力が入ってぴんぴんに伸びている。
氷川を直視出来ず、自分の足元に目線を落としたまま反応を待った。
おかしい、反応がない。
教室はやたら静かで、多数の視線が自分に突き刺さっているのが分かる。
(チクショウッ、テメェらどっか散れよ!)
内心で毒づくも、目の前の人物から反応が無い事の方が気にかかる。
相当怒っていて、シカトでもしているのだろうか…。
チラリと氷川を盗み見ると、何てことはない、バッチリ俺を見ていた。
思わずビクリと肩を震わせると、氷川は読んでいた本を静かに机に置いた。
「それは、誰かに言えって言われたのか?」
聞かれたことが、直ぐに理解出来なかった。
「へ? …え、誰かに?」
「自分から謝ろうと思って来たのか、それとも誰かに謝って来いって言われたのか?」
あ、あぁ、そーゆーことか。
あぁ、成る程。
「えっと、まぁ、ダチには言われたけど…でもおr「いらない」」
――え?
「言わされた謝罪なんて、俺はいらない。もう席に着いたら」
そう言って氷川はまた本を読み始めてしまう。
普段からクールな氷川。それでもこんな冷たい声は聞いたことが無かった。
何故だか無性に胸が痛んだ俺は、パニクり焦って氷川の本を取り上げた。周りから非難の声が聞こえたが、気にしてる余裕はない。
「なに」
「ぁっ、…っ、」
「それ、返して」
奪い返されそうになった本を、咄嗟に背に隠す。
「ぃぃいいい行って来いって言われたのは本当だけど! あ、謝ろうと思ったのは俺の意志だ!! 悪かったと思ってるよっ、殴っちまって。ちょっとパニクってたから…その、逃げちまったけど……」
焦って話したはいいが、先が続かない。
謝っても何故か怒られて、もう何を言ったら良いのか分からなかった。
「何で殴った?」
困り果てていると、氷川がポソリと問いかけてきた。
本を取り戻そうと伸ばされていた手は既に下げられ、机に頬杖をついて俺を見上げている。
先ほどの冷たい声音は消えていて、元に戻って…いるようで違うような不思議な感じ。
でも、怒ってはいないみたいだった。
「わっ、分かんねぇの、自分でも。お前に手ぇ握られたら、何か、電流流れたみたいになって……目が合ったら、今度は身体中の血が沸騰したみたいに熱くなって、こ…怖くなって、気づいたら……」
あの、その、ごめん…。とションボリしていると、自分に影が降りてきて、それと同時にクスッと笑った声が聞こえた。
「ふぇ?」
気付けば、先ほどまで見下ろしていたはずの氷川に、今度は俺が見下ろされている。
「可愛いやつ」
不可解なセリフが耳に届いた時には既に顎に手をかけられており、真ん前には氷川のかっ…
「んっ!」
口に、何か柔らかくて熱いものが当たってる。
いや、当たってるっつーか、く…食われてる…?
持っていた本は、バサリと音を立てて落ちた。
「「「「ぎぃやぁぁああああ」」」」
教室や廊下から恐ろしい悲鳴が聞こえてくる。
悲鳴を上げたいのは俺の方だ!
そんな抗議も出来ぬまま、目の前の男に頭を固定され、好き放題口を貪られる。
そうして俺は、いつの間にやら失神していたのでした…。
そんな中、ふらりと屋上から戻った内田は偶然事件を目撃。
「そーゆーことね。そりゃ、分からんわ」
答えが出てひとり納得した内田は、そのままスッキリした顔をして自分の教室に戻るのでした。
めでたしめでたし☆
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