完
再び登録し直した柏木さんの連絡先から、何度かお茶のお誘いメールが届いていたけど何となく会う気になれなかった。また、知りたくないことを聞きたくなかったから。
普段バカみたいに明るい俺が静かだと誰もが可笑しいと気付くらしく、学校ではりっくん以外からまで「体調が悪いのか」と心配される始末。
ヨシくんの事は昔から大好きで、何をされても言われても、ヨシくんが相手なら受け入れられた。ヨシくんと一緒に暮らせることは死ぬ程嬉しかったし楽しい。けど、今は辛くて仕方なかった。
俺の変な様子に、拒否する手に、寂しそうな顔をするのが酷く堪える。ここまで来て初めて、親と共にイギリスへ行けば良かったと後悔した。
心配げに見てくるりっくんにも相談出来ないまま、今日も溜め息ばかりの帰路に着いた。
直ぐに帰りたくなくて少し寄り道をして帰ると、そこには何時もならまだ帰っている筈の無い人物の姿がある。
「ヨシくん…」
「おかえり」
「た、ただいま」
ヨシくんの手には畳まれた洗濯物。それを見て俺は血の気が引いた。
何か言われる前に、と慌ててヨシくんの手から自分の洗濯物を受け取り自室へ向かう。
いや、向かおうとした。
「っ、」
掴まれた手の力はあの日の様に強く、簡単に外れそうもない。
「トシくん」
名前を呼ばれただけなのに肩が大袈裟に揺れてしまった。
「な、なに?」
「また、なってるでしょ」
それだけで何を意味しているのか分かってしまう。
「治してあげるから、おいで?」
バサリと落ちた洗濯物。そこには一日分にしては多い下着の数。掴まれたままの腕を軸に、リビングへと引き摺られて行く。
「最近ずっとしてなかったから溜まっちゃったんだね」
「ち、違っ、わっ!」
そのまま投げ飛ばす様にソファに押され倒れこんだ俺の上にのしかかるヨシくん。
「やだっ、やだぁ!」
「トシくん、ほら、大人しくして?」
「ぃやぁあ、やだぁあっ、ッ!」
「………」
ジタバタと暴れる俺を酷く冷たい眼差しで見下ろすと、ヨシくんは胸元からハンカチを取り出した。
「嫌…? 拒否はもう……許さないよ」
「ゃっ、やっ、んぐッ!」
ガタガタと震える俺の口にハンカチを詰め込むと、素早い手つきで制服のスラックスからベルトを抜き取り俺の手を拘束する。
怖い、
怖い怖い怖い
初めてヨシくんから触れられる事が恐ろしいと感じた。何時もよりも早急で荒々しい手付きには、何処かイラつきを感じて怖かった。俺に触れながら、俺を見ていない様で悲しかった。
どれだけ泣いても、叫んでも。ヨシくんの手は止まること無く動き続け、俺は何時もの様に身体を揺さぶられる。
激しく
激しく
激しく
それは俺が気を失うまで続けられた。
目が覚めた時はベッドの上だった。
綺麗に整えられ寝間着を纏った自分の姿に、後処理はきちんとしてくれたのだと少しだけホッとする。
口にハンカチを詰められてはいたけど、酷く泣き叫んだ事には変わりない。喉が痛みを訴えていた。
水を飲もうとリビングへ足を運び、ドアを開けた瞬間身体がビクリと跳ねた。電気のついていない真っ暗なリビング。月明かりに照らされたソファに人影がある。
「ヨシ、くん?」
掠れた声が出る。俯いたままのその人影は、俺の呼び掛けに一際大きく身体を跳ねさせた。
「ヨシくん…こんなとこで、何して…」
そうして近付こうとしたとき、とても小さな声で聞こえた「ごめん」。
「え…な、に?」
「ごめん、トシくん…ごめん…」
ヨシくんからでた謝罪の言葉に、俺の涙腺は決壊した。
ボロボロボロボロ零れ落ちて、床に落ちる涙がパタパタと音を立てる。
「それ、は…何のゴメン?」
「え」
「俺を、捌け口にしたゴメン?」
「ぇ、トシくん…?」
驚いた様子のヨシくんは項垂れていた頭を漸く起こして立ち上がると、入り口に立ちっぱなしの俺の元へ近づいて来る。
「トシくん」
「ひっ、ひっく、それとも、俺を誰かのっ、代わりにしたゴメン?」
「トシくんっ!」
駆け寄る様に来たヨシくんに抱き締められる。
「違うよ、違う。そんなんじゃない」
「ぅえっ、じゃ、えっく、何のゴメン?」
ヨシくんはうっ、と言葉に詰まりながら「トシくんにしたことは、アレは…治療なんかじゃ無いんだよ」と思い詰めた声で今更なことを言う。
「もっ、それ、知ってるしっ」
「へ!?」
「あれ、エッチでしょ?」
ぐすぐすと泣きながら俺が言うと、ヨシくんは「知ってたの…?」と目を見開いて驚いた。
でもその行為が、愛が無くても出来ると知っている。
俺は今まで“治療”と偽られて来たのだから、そこに愛は無いのだろうという結論に至った。だから辛くて悲しくて、拒否する様になったのだと素直に話す。するとヨシくんの顔は血の気が失せて真っ青になった。
「違うっ、違うよトシくん!」
さっきよりぎゅうっと強く抱き締められ、何だか安心する。
「苦しめてたね、ゴメンね…嘘ついてゴメンねトシくん」
誰かの代わりなんかじゃない。
好きで好きで堪らなくて、自分だけを頼って欲しくて嘘をついた。
触れたくて触れたくて触れたくて。
例え最低な嘘をついてでも触れたくて。
「柏木に触らせてるの見てキレちゃったの。僕のトシくんなのに、って」
ここ数日も拒否された事にショックを受けて、嫌だと言う拒絶にカッと来てつい無理矢理してしまった。
お願いどうか嫌わないで、僕を受け入れて。好き、好き…愛してる。気が狂ってしまいそうな程に。
俺を抱き締めながら必死で伝えられる想いに、俺はヨシくんの背中に腕を回して答える。
「俺のこと、ちゃんと好きなの?」
「好きだよ、好き過ぎて辛いくらい好き」
触れ合った肌から伝わる熱に、今度は別の涙がジンワリ滲んだ。
(あぁ…俺、ヨシくんが大好きだ)
その夜久しぶりにヨシくんに触れて貰った。
互いに互いを求めて触れ合った。
今までのどんな愛撫よりも気持ち良くて、気が狂いそうな程に乱れた。
そうしてその夜から、不思議と夢精する事が無くなった。例えヨシくんと触れ合わなかった日でも。
それが何故なのか、どうしてそんな事になっていたのか何て真実を……俺が知ることはこれから先も無いのだけど。
【SIDE:R】
「トシ」
「あ、りっくん!おはよー」
いつも通りニコニコと笑う幼馴染にホッとした。
俺が書いたメモを見てからのトシは本当に可哀想な程に落ち込んでいて、下手に教えた事を後悔していた。
けどあの人がトシにしている行為が許せなかったこともあって、トシにはちゃんと真実を知って欲しかった。きちんと、自分の目で確かめて欲しかった。
カナリお馬鹿で無知な奴ではあるが、俺にとっては大切な幼馴染なのだ。
「もう良いのか? 美樹さんのこと…」
そう言うとトシは一瞬ハッとした顔をしたけど、直ぐににっこりと笑顔を見せた。
「ありがとね、りっくん。りっくんが教えてくれたから、俺たち前に進めたよ」
「前に…?」
「うん、あのね…俺、ヨシくんと恋人になった」
えへへ、と顔を朱に染めて笑うトシを見て、俺の胸はチクリと密かに痛んだ。
何処かで俺は、トシが美樹さんを見限れば良いと思っていた。どんなに隣に居たって、何時だってトシは美樹さんを見ている。隣にさえ居られればそれで良いなんて綺麗事、とっくの昔に崩壊していた。
ただ、俺に行動する勇気が無かっただけだ。戦う勇気が無かっただけだ。
そうして俺は、欲しかった立場を失ったんだ。
「そう…なのか」
「うんっ」
「嬉しそうだ」
「へへっ、凄い幸せかもぉ〜」
とろとろに蕩けた顔に呆れながら頭をくしゃくしゃに撫でてやれば、トシの顔は更に崩れる。
胸に刺さった棘は一生抜けそうにないけど、このままで良いと思うしか選択肢は無い。
棘を抜いて血を流す勇気すら…俺には無いのだから。
END
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