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3-1



「糸、お前他に服無いのか?」

 突然かけられたマネージャーの言葉に、俺は首を傾げながら、数馬さんに買ってもらった肩の大きく開いたサマーニットを指で摘んだ。

「え、コレまだ着れると思うんですけど…」
「そうじゃなくて。お前、気にならないのか?」
「何がスか?」

 キョトンとする俺にマネージャーが溜め息を吐く。

「コレ、全部丸見え」

 トントンと指で突っつかれたのは俺の鎖骨や肩の辺り。無理矢理首を捻って見てみると、そこには紅い痕が点々と付けられており、ニットからはみ出るか出ないかの堺には噛み跡まであった。

「あ〜…あぁ、コレ」
「幾ら内勤だとは言え周りの目は気にした方がいい。特に最近はユッキーも変だしな」

 チラッと目線を移したマネージャーに釣られて俺も同じ方を見る。
 すると一瞬ユッキーと目が合ったのに、何故かサッと慌てて目を逸らされた。その周りには俺をじっとりと睨みつける売り子達。

(俺がなにしたっつーの)

「その痕、まず間違いなくオーナーだろ?」
「はぁ…」
「それを全員知ってるからな。アイツ等は何だかんだでオーナーに心酔してる。只でさえオーナーに拾われたお前が気に入らなかったんだ、それが更に抱かれてる何て知って、いま奴らの胸中は嫉妬の嵐だろうよ」

 マネージャーに言われたことは何となく理解できた。
 俺は世間知らずで本物の馬鹿だけど、それなりに人間の心理みたいなもんは分かってる。いや、寧ろ育った環境が環境だっただけに、向けられる悪意の類には敏感だ。

「みんな、数馬さんに惚れてんの? ユッキーも?」
「…さぁな、唯の憧れかもしれないし、そうじゃないかもな。だが、どっちにしても余りそれを見せつけて煽ってやるな」
「見せつけたつもりなんて無いよ、俺はただ…」
「分かってる。すまん、言葉の綾だ。あの人に痕を付けるのを止めろとも言えんしな」

 痕を付けるのは数馬さんだ。それもここんところは毎晩俺を喰いに来る。
 前みたいに夜中に来てひっそり添い寝して、朝に帰ってく何てことは極限まで疲れてない限り滅多にない。毎晩俺の項に噛み付きながら、飢えた獣みたいにガンガンに喰い散らかして遠慮なく俺のカラダに痕を残していくんだ。

「服もオーナーが?」
「え? あぁ、俺はセンスが無いからっていつも数馬さんが」
「全部そうやって首元と肩、開いてんのか?」

 俺は肩の開いたニットを見つめながら、少しだけ考えて口を開く。

「多分数馬さん、首筋から肩にかけて舐めんの好きなんだと思う」

 言ったら、隣でマネージャーがバサバサと書類を床に落とした。

「…は?」
「だから、ここ。ここのラインが好きなんスよ数馬さんは。喰う時はいつも俺ンこと後ろから動けねぇようにして、ここにすっげぇキスして舐めるから」

 マネージャーは残りの書類も全部手から落とし、まるで親のセックス場面でも目撃した様な顔で俺を凝視した。

「し、仕事用の服を買ってくれるよう、俺からオーナーに言っておく…」
「あ、どうも」

 適当にお礼を言った俺の隣で、マネージャーが書類を拾いながら大きな溜息を吐いた。



 ◇



 その日の仕事を終え、電話を留守電に切り替えると機械的な女の声が営業終了を告げる。
 部屋の中に誰もいないことを確認したマネージャーと共に外へ出ると、そこには数人の売り子が壁に持たれて立っていた。
 オールで働く奴らとは違い、既にプレイを終えたのだろう。殆んどの奴らが髪をしっとりと濡らしていた。
 俺はそれを横目に、「お疲れ」と声をかけて歩き出すマネージャーに続き自身の部屋へ向かおうとする。だが、矢張りそんな簡単には行かなかった。

「ねぇ、ちょっと」

 立ち止まり振り向けば、壁に付けていた背を離し俺を睨みつけながら立っていた。
 売り子の中でも古株で、稼ぎ頭でもあるナオだ。割りと背は高めで精悍なタイプだけど、セックスポジションは【ネコ】ってやつ。マネージャーが言うには店一番の“オーナー信者”らしい。

「…なに」
「ちょっと話があるんだけど」
「だから、なに」

 俺が面倒臭そうに聞き返すと、ナオの視線が俺の後ろへとズレた。

「従業員同士の争い事は見過ごせない」

 ナオの視線の先で、俺と同じように足を止めていたマネージャーが口を挟んだ。

「争いだなんてそんな。マネージャーが心配するようなことじゃ無いですよ、ちょっと彼に話があるだけです」
「そうか。なら話が終わるまで俺も残ろう」

 ナオは一瞬舌打ちをしそうな顔をしたが、それは何とか踏みとどまった様だ。視線が俺に戻る。

「じゃあ単刀直入に言うけど、キミ、オーナーから離れてくれないかな」

 俺の後ろで溜め息が聞こえた。それには俺も同感だ。

「意味が分からない」
「そのままの意味だよ。キミがオーナーの側にいるのは、あの方に拾って貰ったからだろう?」
「まぁ、キッカケはね」
「恩を感じているのは分かるけど、このままここに居てもキミは僕らのように稼げる訳じゃないんだし? 役に立たないよね、恩なんて返せるのかな」

 ナオの周りの奴らが、俺を見て笑った。
 何だよ。ブサイクはここに居ちゃダメだってか?
 イラっとした俺の後ろでマネージャーが動く音が聞こえたけど、俺は少しだけ振り向いて首を横に振った。今はマネージャーが入るべきではない。これは、俺に売られた喧嘩だ。

「僕のお客様にペットを探してる人がいるんだ。容姿は気にしないって言ってるし、キミに丁度良いかと思うんだけど」
「は?」
「分からない? ここでオーナーに寄生してるより、彼のペットになった方がよっぽどオーナーの為になるんじゃない? って言ってんの」

 呆れた、こいつは本当に何もわかってない。
 数馬さんの信者だと言うなら、どうして彼の考え方が分からないんだ。
 俺の眉間のシワが更に深くなった。

「アンタは何も分かってない。離れるかどうかは俺が決めるべきことじゃない。まして、アンタが決められることでもない」
「なっ、」
「俺は数馬さんのモノだ。そう決めたのは数馬さんで、いま俺を繋いでるのも数馬さんだ。俺がどうするかはあの人が決める。余計な口出しは無用だ」
「……随分と自信があるじゃないか」

 ナオの顔は、暗闇でも分かる程みるみる内に怒りで赤く染まった。周りの奴らも今にも俺に殴りかかってきそうな顔をしている。けど、だから何だって言うんだ。

「数馬さんの恋人になりたいなら勝手になれば良い。アンタ達が求めるものと、俺が求めるものは全く違うんだから」
「は…?」
「金も権力も友達も、家族も恋人も要らない。ただ俺は“数馬さんのモノ”であれば満足なんだ。あの人が俺を要らないって言うその時まで、側に居られればそれで良い。それだけで俺は幸せだ」

 信じられないと言った顔でポカンと俺を見る売り子たちに笑いが込み上げた。

「俺のポジションに来たいなら、今すぐ全て捨てて来らいい。見すぼらしい格好で雨に濡れて、泥にまみれて倒れてたら良い。そしたきっと、アンタ達も数馬さんに拾って貰えるから」

 ナオ達に背を向ければ、その先で笑を噛み殺したマネージャーがタバコを吸っていた。それを見た俺は、今度こそ我慢せず笑い声を上げた。



 ◇



 翌日、俺は早速数馬さんと共に仕事用の服の調達に来ていた。

「この生地とこの生地、あとこの生地で一着ずつ頼む。デザインは任せる」
「畏まりました、お任せ下さい」
「出来上がりはいつになる?」
「そうですね…最優先でやらせて頂きますので二週間ほどで出来るかと」
「十日で仕上げろ」
「し、失礼致しました。必ず十日で」
「行くぞ。次は私服だな」
「え、あ…はいっ」

 朝早くから起こされ連れて来られたのは、一着にウン十万なんて滅茶苦茶な値段が付けられるオーダースーツの店。訳も分からない内に服をパァっと脱がされメジャーを巻き付けられ、気付けば三着もスーツを注文されていた。
 スーツのあとは私服をまた大量に買い込んで、俺の腕はもうもげ落ちそうなほど紙袋をぶら下げている。

「か、数馬さん…流石にもうコレ以上は…」
「ぁあ"?」
「い…いや、」

 怖い。
 この人絶対人殺したことあるよ…って感じの目で見られては何も言えなくなる。
 そうして俺が止めることを諦め俯いた所で、俺を見下ろす数馬さんの後ろから一際爽やかな声が掛かった。

「あれ? もしかして数馬くん?」

 その声に、目の前の数馬さんの顔が一瞬歪んだのが見えた。そのまま振り向いた数馬さんの体から、俺も少し位置をずらし覗く。
 数馬さんに声をかけて寄ってきたのは、一見綺麗な女性…にも見える男だった。

 艶々の黒髪は肩に触れるか触れないかくらいの長さまで伸ばされていて、前髪は所謂パッツンってやつ。男がそんな髪型を?と思うかもしれないが、その男には妙に似合っている。
 百八十近い身長の数馬さんと同じくらいの背の高さと、和服を纏う体つきは明らかに男を主張しており、女性に見える風貌とはミスマッチなようでマッチしている…異様な風貌の男だった。
 世間ではこう言うのもまた【美形】と呼ぶんだろう。

「偶然だね、買い物?」
「はぁ、まぁ」

 素っ気なく返事する数馬さんを気にもしない男は、ずっとニコニコと笑顔を浮かべていた。だが、俺には何故かそれが恐ろしいものに見える。

「丁度良かった、予定が全て済んでしまって退屈していたんだ」
「俺は忙しいです」
「まぁまぁ、そんなツレない事言わないでよ。おや? その子は…」

 偶然なのか何なのか、ずっと数馬さんの背に隠れていた俺は、にゅっと覗き込んできた男と初めて目が合った。

「へぇ、もしかしてこの子が噂の子かい?」
「………」

 数馬さんは無言でもう一度俺を背に隠そうとした。だがその瞬間、目の前の男の目が弧を描く。

「出ておいで」
「ッ、」

 腕を取られ引っ張られ、俺は男の視線に晒される。

「また随分と変わった趣味なんだね?」
「…余計なお世話です。で、用件は何ですか、八島さん」

 数馬さんは今度こそ俺を背に隠し直した。
 俺は庇われながら、今数馬さんが呼んだ名前を頭の中で復唱していた。
(八島…さん。八島?)

「用件? そんなものは無いよ。言っただろ、退屈していたと。良かったら彼を少しだけ貸してくれないかな? 是非私の家へ招きたい。それに、君には叔父の相手をして欲しいしねぇ。最近来てくれないと嘆いていたよ」
「…では、また後日改めて」
「数馬くん」

 数馬さんが断ろうとしたその瞬間、名前を呼んだ八島の声が空気を凍りつかせた。

「私は君たちを“今日”、招きたいんだ。当然来てくれるだろう?」
「………」
「例の取引を無事終わらせたいなら、私は来るべきだと思うけど」

 数馬さんがギリっと歯を鳴らした。
 これはきっと脅しだ。
 馬鹿な俺でもその場の空気に感づいて、思わず目の前のオカッパ頭…八島に飛びかかりたくなった。けど、それをすればきっと数馬さんが迷惑するだろうと、その衝動を必死に抑え込んだ。
 そんな俺と八島の視線が再び交わると、奴は俺を見ながらニッコリと微笑む。

「どうする?」

 俺を見ながら、数馬さんに向けられた問い。
 そこに、拒否させる隙間など一ミリも存在しなかった。


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