その手に残ったのは
桜が舞う。青い空から降り注ぐ花弁が日の光を浴び、気持ちよさそうに踊っている。
季節は春。
つい先日、随分と異例な入内があった。
家柄が高いとは言えない陰陽師の家からの入内。
今上自らが望み、入内させた姫。
本名は耳にしたが、誰もそれを呼ぶことはない。
知らない者のほうが多いだろう。
その姫の、宮中での名は『白雪桜の更衣』。
宮中の作法に慣れない彼女を気遣って、企みごとをするものがいることを彼女は知っていた。
「……また何やら、隠れてやっていらっしゃると思えば」
ため息とともにそう口にすれば、目の前の青年は苦笑を返してきた。
「うん。椛には、悪いとは思ってるけどさ」
「それくらい分かります。付き合いは長いですもの」
椛の自室にいるのは、近年即位したばかりの今上。
名を和泉という。
「和泉様もお人が悪いですね。このように密やかにわたくしのもとにいらしては、姫君に泣かれましてよ?」
「分かってるよ。でも、君の協力なしでは始まらないからねぇ。この件に関しての隠し事は、君には通用しないだろう?」
少しだけ申し訳なさそうな表情をする和泉に、椛は楽しそうに笑いながら口元を扇で隠した。
「まず無理ですわね。仮にそうしたいのであれば、今すぐに過去へ戻られませ」
それは無理だねぇと笑った和泉の顔は、とても幸せそうだ。
当たり前だろう。
ずっと本心を笑顔という名の仮面で隠してきた彼が、ようやく見つけたひだまり。
彼女の話をするときの彼は、幼く何のしがらみもなく暮らしていた頃と同じ顔をしているのだ。
「でも、反対はしないのかい?」
「入内そのものが何を伴うか、分かっているわたくしならまだしも、あの姫君にはいささかお辛いでしょう? わたくしに異議はございませんわ」
にっこりと微笑めば、和泉もどこかほっとした表情をした。
そのまま立ち上がり、部屋を出ていこうとする和泉に、椛は眉を寄せた。
「……これからまた、政務ですか?」
「あの子と過ごすために、今やらなきゃいけないことはいっぱいあるからね」
ここに来たのもある意味政務の一つだよ、と笑う和泉に、椛はため息をついた。
「和泉様。顔を見せるなり文を送るなりはなさいませね? 随分と寂しがっているご様子でしたよ」
それには何も言わず、申し訳なさそうな笑顔だけを残して和泉は去っていった。
荷葉の香が風に乗って流れていき、椛が使っている梅花の香りだけがそこに残る。
「……罪作りなお方ね」
本当に、顔を見せてあげるだけでも違うのに。
どうしているのか。体調を崩したりしていないか。
そんな心配ばかりが募るのに。
だが、それができないほど忙しいということか。
「『あの方』も、全く顔を見せてはくれないし」
現状を考えると、それも仕方がないと分かってはいるが、寂しいものは寂しいのだ。
しかし、分かっているから何も言えない。
そんな気持ちを封じるようにぱちりと扇を閉じると、ゆったりとした動作で椛は立ち上がった。
和泉が帰るとともに、女房たちが部屋に戻ってくる。内密な話なので、下がらせていたのだ。
扇を鳴らしたのはその意味もあり、戻ってきたことについて椛も特に驚くことはない。
「姫宮様、どちらへ?」
部屋に戻ってきて早々出かける風情の主に、女房は首を傾げた。
衣擦れの音が響く中、椛は目的の建物を見つめながら口を開く。
「白雪桜のお方のところへ。先触れを出しておいたはずでしょう?」
更衣と仲良くすることを、女房たちはあまりいい風には思っていない。
椛は女御。位が違い過ぎるからだろう。
理解を示してくれるのは乳姉妹くらいのものだ。
「まさか、出していないなどとは、言わないでしょうね?」
生来持ち得る、皇族としての威厳ともいうべきか。
冷ややかに見つめれば、女房たちはたじろいだ。
「確かに先触れは出しました。しかし……」
「なれば結構。参りますから、いつもの者達のみ、ついていらっしゃい。他のものは下がっていなさい」
そう命じると、いつもついて来る面々以外が渋々と言った体で頭を下げた。