甘い噂に尾ひれ
次の日。
昨日のこともあって学校にものすごく行きにくい桜花は、はぁとため息をついた。ざっと見たところ、ちらほらと薄桜学園の生徒の姿も見えた。
「……絶対、噂になってる…」
女子生徒の少ないこの学園での恋愛の噂は、甘い菓子以上のおやつとなっている。なにかとそのお菓子にされている桜花には大層迷惑なのだが、何をしようと噂になることはもはや諦めの境地に入っていた。
そんな中、遅刻になる前に余裕を持って登校した桜花は、早速その的にされた。
「おはようさん、桜花ちゃん。昨日総司とカフェ言ったんだってな!」
登校早々ばったり会った数学教師・永倉と体育教師・原田に尋ねられ、桜花は昨日のことを思い出し、ぼんっと顔を真っ赤に染めた。
――思い出すだけでも恥ずかしい……。
「大胆にもキスしたんだって? お前もやるじゃねぇか」
ぽんぽんと原田になぜか褒められ、それが全く理解できない状況で桜花は半分泣きそうな表情でつぶやいた。
「やっばり噂になってるんですか〜……」
はぁ、と肩を落とした桜花に、永倉が更に追い撃ちをかけた。
「総司からやってきたんだったか?」
「え? 俺は桜花ちゃんが誘ったって聞いたぜ」
「マジかよ、桜花ちゃん、やるときゃやるな!」
はははと笑う二人の言葉に、桜花は目を点にして、頭二つ以上違う二人を見上げた。
噂に尾ひれはつきもの。つきものなのだが……。
「あ、あの、先生。その話、誰に聞きました……?」
「ん? ちょうどそれを目撃したっつー生徒の噂と、総司の確認からだが……」
「沖田先輩に確認したんですかわざわざ!?」
噂も噂だが、この二人の行動には更に肝を抜かれて桜花は青ざめた。
「で、総司に『桜花が誘った、なんてことはないよな』って冗談半分で聞いたら、あいつ、こんなこと言ったんだぜ」
『そうだ、って言ったら?』
昨日似たようなやり取りをした気がするが、今回のこれは全く意味が違う。
何してくれるのだろうか彼は。肯定したわけではない。単に『仮定』を示しただけだ。
だが、大体の人間がそれを真実と受け止めることを知っていて言ったのだろう。
彼の性格ならありえなくない。
頭が痛くなってきた桜花が眉を寄せて頭を抱えていると、ふっと影が差した。
「やだなぁ、左之さんに新八さん。僕の桜花ちゃんに触らないでよ」
「お、沖田先輩!!」
噂に尾ひれをつけた張本人の登場に、桜花は思わず彼を振り仰ぐ。
「おぅ、総司。悪かったな」
「邪魔したな、桜花」
いっそ潔いほど爽やかに去っていく教師二人にひらひらと手を振った沖田は、さて、と桜花に視線を向けた。
「なんか、すごく物言いたそうな顔してるね、桜花ちゃん」
「山ほどありますよ! 何なんですか、この噂の尾ひれ! そもそもやってほしいと誘った覚えは全然ないんですが!?」
食ってかかるように桜花は沖田を睨み付ける。だがそれを全くものともせず、沖田はクスクス笑った。
「別に僕は頷いたわけでもないし、否定したわけでもないけど?」
「ええ、そのことは先生方から聞きました。でもあの答え方は九割方否定になってないじゃないですか! 事実にないことを撒き散らさないで下さい!」
かわいらしい鬼に睨まれ、沖田はその言葉を全く気にした風もなく、桜花のその様子を楽しそうに見つめる。
「……じゃあ、事実ならいいんだ?」
「……は?」
ニヤリ、とした表情を見た瞬間、桜花は嫌な予感がした。
ふと気づいた時には、唇に彼のそれが触れている。
「はい、既成事実。誘ったのは桜花ちゃんだからね。これで何聞かれても否定しないよ?」
そう言って沖田は踵を返し、とても上機嫌で校舎に向かう。
「……沖田先輩!?」
昨日以上の衝撃を与えられて、桜花は叫んだ。
そんな桜花に応じる事なく、沖田は思った。
――昨日君が誘ったのは、事実なんだけどね。
唇にクリームがついているのを見たら、いかにも『食べてください』と言われているとしか思えなかったのだから。
「また今度あそこに行くのもいいかもね」
抗議するべくあとを追い掛けてくる桜花を少し振り返る沖田の口元には、全く反省の色のない笑みがはかれていたのだった。
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