甘い噂に尾ひれ


「で、桜花ちゃんはどこ行きたい?」


 喉元過ぎれば何とやら、桜花の怒りも収まり、ようやく普通な空気が流れはじめた頃、沖田が桜花にそう尋ねた。

 対し、桜花はキョトンとした表情で沖田を見上げた。


 多くの人が行き交う大通りの歩道を歩きながら話す二人を見て、時折人々が振り返る。その視線に眉を寄せる沖田に、桜花が気づいた様子はない。

 沖田の質問の意図がわからず、少しばかり思考が停止していたのだ。


「どこって……一緒に帰るって、寄り道含むんですか…?」


 ただ文字通り『一緒に帰る』だけだと思っていただけに、桜花は目を丸くして沖田に思わず尋ねる。

 頭一つと少し高い場所にある日差しに輝く若葉のような瞳が、どこか楽しそうな色を含んでいる。


「……特に行きたいと思う場所もないんですけど」


 事実これと言って行きたい場所もなく、桜花は困ったように眉を寄せた。


「遠慮しなくていいよ。僕は桜花ちゃんと一緒に行けるならどこでもいいからさ」


 それこそ地の果てでも、と聞こえた気がするのは気のせいだろうか。

 いやいやそれよりも、と桜花は心の中で首を振った。今までこんなことがなかったためにどうしても戸惑ってしまう。

 これまで一緒に帰っても、沖田が桜花を家まで送るという単純な話だった。だが今回は寄り道の提案。

 どうしよう、と頬に手をあててふと辺りを見ると、小さいがおしゃれなカフェが目についた。


「………あの、先輩」

「何?」

「……あそこのカフェ、行きたいです」


 そこは以前、同じクラスの千鶴に勧められていた場所だった。


 あの店のショートケーキは絶品だと聞くが、どうやら一日数に限りがあるらしく、なかなか食べられない。
 そのため、ちまたでは『幻のケーキ』と呼ばれていた。


「じゃあ、君はそのケーキが食べたいんだ?」

「それが無理でも、他のケーキもおいしいって聞いたので……。ダメですか?」

「いいよ、僕も甘いもの好きだし。じゃあ入ろうか」


 道路向こうの店に入るべく、横断歩道で信号を待つ。

 依然繋がれた右手は、骨張った手に優しく包まれている。


 そんな小さな幸せに浸りながら、桜花はその店に足を踏み入れた。




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