君を想ふ
垣を曲がると、向こうの方から一君が歩いてきた。
途中足を止めた一君だったけど、僕に何かを言う事はなかった。
その一君を素通りして、僕は屋敷をあとにした。
「沖田さん!」
ついてくる千鶴ちゃんを無視して、僕はすたすた歩く。
だって、僕にもうここにいる理由なんてないんだから。
「待ってください、沖田さん!」
待たないよ、と心の中で返した僕は、唐突に発作で咳込んだ。
「ごほっ、ごほごほっ!」
思わず立ち止まって、しゃがみ込んでしまう。
「大丈夫ですか?やっぱりまだ沖田さんも無理しちゃだめなんじゃ…」
「来るな!」
気遣う言葉を向けつつこっちに駆けてくる千鶴ちゃんを、僕は拒絶するように手を向け、そのままひとしきり咳込んだ。
千鶴ちゃんもそこで立ち止まったみたいだ。
発作がおさまって、手の平の上の手巾を見た。
散った朱い血が、僕の未来(さき)を暗示しているようで。
そして、僕より健康で、僕より長く生きると思っていた近藤さんは……。
立ち上がって、ふっ、と自嘲気味に笑って僕は呟いた。
「まさか、僕より先に近藤さんが逝ってしまうなんてね……」
何もなければ、絶対僕より長く生きたはずなのに。
生きていてほしかった。
僕はあの人の刀で、あの人のために刀を振っていたのに。
守りたいと願った人を、病で伏せっていたせいで、僕は守れなかった。
どうして、僕は傍にいなかったんだろう。
傍にいたなら、守れたかもしれないのに。
「……あの日、敵に包囲されていると分かった時、土方さんは、自分が盾になるって言ったんです」
当時の状況を、千鶴ちゃんは話しはじめた。
「でも、近藤さんは、局長命令だと言って、『駐留している隊士達を連れて、市川の部隊と合流するように』って……」
僕はそれを静かに聞いた。
分かってるさ。
あの人のことだから、何となく分かってはいる……。
でも……。
「『そろそろ楽にしてほしい』………。近藤さんは、そう、おっしゃったんです」
千鶴ちゃんは、話をしながらすごく苦しそうだった。
彼女だって思い出したくないのだろう。
だって、千鶴ちゃんは僕と違って、その場にいたんだから――。
「局長命令では、土方さんも、逆らえなくて……。その土方さんに、最期に重たい物を背負わせてしまったことを、近藤さんは、謝っていました……。そして、近藤さんは一人で私達を逃がすために、投降していかれました」
何も返さない僕に、千鶴ちゃんは続けた。
「土方さんは、どうして自分だけ生き残ったのかと苦しんでいました。でも今は、近藤さんから托された新選組だから、命懸けで守っていこうとしてるんだと思います」
そこまで聞いて、僕は目を閉じた。
「……近藤さんは、昔から面倒見がいい人だったからね」
そう、昔から。
刀の鍔を指でもてあそびながら、僕はずっと昔のことを思い出した。
「僕が試衛館道場に内弟子として引き取られた時も、生意気だった僕を気にかけてくれたり、剣術の稽古をつけてくれたり……」
そんな人だったから、僕は近藤さんが大好きで。
「……僕にとって、兄のような人だったよ」
千鶴ちゃんは何も言わずに話を聞いている。
「その近藤さんと誰より仲がよかったのが誰かさん。我が儘で、俺様で、不器用で、自分勝手な人だけど、今新選組を引っ張っていけるのは、あの人だけだ」
だから、あの人は近藤さんに新選組を托されたんだ。
僕の言葉を聞いて、千鶴ちゃんが嬉しそうに笑う気配が感じられた。
でも、そんな彼女に、僕は応えられない。
だって――。
「でも僕は許せそうにない」
え、と千鶴ちゃんが小さく声を上げた。
近藤さんはもういない。どんな理由があったにしても、たとえ近藤さんが望んだのだとしても。
僕は、やっぱり近藤さんに生きててほしかったから、土方さんを許すことなんて出来ないんだ。
「だから……」
そう言って僕は千鶴ちゃんを振り返った。
「土方さんのことは、君に任せたよ、千鶴ちゃん」
「沖田さん……」
どことなく悲しそうな千鶴ちゃんに、僕はふっと笑いかけた。
そのまま顔を戻して、その後は振り返る事なく、僕はその場をあとにした。