月に叢雲
少しいけないことをしているような気持ちで、しかしどこか楽しさをも覚えながら、悠日は静かに歩を進める。
最近は部屋から出るな、とは言われなくなりつつあるのをいいことに来てしまった。
とはいえ、あまり部屋を開けていていいわけでもない。
「……明け方に部屋に戻れば、大丈夫かしらね」
別に逃げるつもりではないし、幹部の人達もそれは承知しているはず。
とはいえ夜が明けて部屋にいなければ不審がられてもおかしくない。
台所に直接向かうなら、そうでもないかもしれないが。
――その前に、過保護な忍びが迎えに来そうな気もするが。
そう考えて、ふ、と笑うと、少しだけ、と小さく呟いて、悠日はしばらく中庭にいることを決めた。
こんな月夜は滅多にないだろう。見ていないなんてもったいない気がして、頬にかかる髪を手で押さえながら空を仰いだ。
やはり、部屋の風上に位置していたここの花びらが部屋まで飛んできたらしいのを知り、ほのかに笑う。
桜の木の下に立てば、そこは一面の桜色。
桜の天井に悠日はその顔から笑顔を消した。
桜の向こうには霞がかった満月。
「望月、ね……」
十五夜の夜は、ある物語を思い出させる。
小さな頃に何度も聞かされた、この国に置いても古い古いお伽話だ。
この月を見て、あの姫は何を考えていたのだろうか、と悠日は目を細めた。
そんな思考を遮るように、悠日の背後でざりっと砂を踏む音が響く。
少し驚いて振り返ろうとしたが、それは叶わなかった。
「こんな時間に、こんなところで何してるの?」
完全に振り返る前に体を後ろから抱きしめられ、背に少し湿った温かさが広がる。
「まだ夜も明けないのに、物好きだね、悠日ちゃん。こんな時間に花見してるなんて。――何かたくらんでるの?」
「……沖田さん……」
疑うというよりもからかうと表現するのが妥当だろう笑みを向けられていることに複雑なものを感じながら、見知った顔に悠日は思わず息をついた。
無意識に気を張っていたのを自覚し、思わず苦笑する。
「……『この時間帯に』との言葉、沖田さんにそっくりそのままお返しします」
「あれ、僕の質問には答えてくれないんだ?」
悲しいなぁ、などとうそぶく沖田に、悠日は小さくため息をついた。
どうして彼はこう、神出鬼没に自分の前に現れるのか……。
そんな悠日の反応に少しつまらなさそうな表情をすると、沖田は悠日の肩口に顎を乗せ、再び尋ねた。
「もう一度訊くけど、悠日ちゃん、何かたくらんでるの?」
囁かれるように耳元で尋ねられ、悠日は少し肩をすくめた。
耳にかかる吐息がくすぐったい上、少し色を含んだ声音に体が反応する。
視界の端にある媚茶の髪が、花びらを含んだ風に踊る。ひやりとしたその感触に違和感を覚えつつ、冷静になるよう自身に言い聞かせる。
「悠日ちゃん?」
少し脅迫めいた呼びかけに、悠日は自身に回る沖田の腕に自身の手を添え、目を閉じた。
「……部屋から出ただけで疑われるのは心外ですが、何もたくらんでませんよ。ただ……」
目を開いて、すっ、と再び空を仰ぐ。つられるように沖田が顔を上げ、肩口からぬくもりが離れる。
それに少しだけ寂しさを覚えながら、言葉の続きを口にした。
「桜を見に来たんですが……そうしたら、月があまりに綺麗だったので、見ていたくなったんです」
ざあっと花びらが舞い上がる。
故郷の宇治にも、桜はあった。山桜だがその白さはあまりに清冽で、とても大切にされていたのを思い出す。
ふいに故郷が懐かしくなって、悠日は目を細めた。
まだかの地にいたころも、こうして月を見上げたことがある。
寝物語に聞かされた月の姫の話は、今もちゃんと記憶に残っている。
そんな悠日の心を読んだかのように、沖田が口を開く。
「お伽話のお姫様みたいなこと言うんだね、悠日ちゃん」
体に回された腕に、それまで以上に強い力がこもったのを感じ、悠日は思わず体を強張らせた。