月に叢雲
さわり、と風が吹いた。雨のような葉音に誘われるように意識が浮上し、悠日はうっすらと目を開ける。
月の光が闇を裂いて斜めに差し込んでいるのを見るに、どうやら朝には程遠いらしい。
しん、と静まった屯所の中は、起きる時間よりずっと早いのだろうことが分かる。
おそらく、寅の刻(三時〜五時)に入ってそう経たない時刻だろうと思われる。
「……どうして、こんな時間に目が覚めたのかしらね」
夢を見たならまだしも、そうでもなく普通に目が覚めたことに、どうにも違和感を覚える。
基本規則正しい生活を送っているのだから、別に起きる原因も見当たらない。
一度目が覚めればなかなか寝付けないのは悠日自身例外ではなく、かと言って無理に寝たところでいつもの時間に起きられる自信もない。
だが、何もすることがないのも事実だ。
隊士の人達が起き出すまでにまだ一刻ほどある。今日は朝食作りの当番なので起きるのは普段よりは早い。
今寝ては絶対起きられないだろうと思い、皆が起き出すまで起きていようと布団を畳んだ。
まだ寝ている人ばかりの時間帯だ。なるべく音を立てないように、と悠日は起きる準備をしながら、西本願寺に移ってからは千鶴と別室となっていることに感謝した。
同室だった場合、起こす可能性が高くなるからだ。
現在は部屋が隣り合わせているので、同室なのとは大して違うようにも思うが、それでもやはり気の使い方が大いに違うのだと実感させられる。
夜着から着物に着替えると、この暇時間をどうしようかと障子越しに外に意識を向ける。
この時間帯では牡丹も起きてはいまい。いずこかで休息をとっているだろうから、話し相手はいない。
頼めば付き合ってくれるだろうが、悠日はそれをしたいとは思わない。
普段気を張っているだろうから、夜くらいちゃんと休んでもらいたいというのが悠日の気持ちだ。
屋根裏か木の上か、居心地が良くこの部屋近辺だろうどこかにいるのは知っているので、そんな彼女も起こさないようにとそっと行動する。
その時、ふいに、月の光に照らされて細やかな影が障子の向こうを通り過ぎた。
ざあっと木々を揺らす音とともに散るそれは、この時期が盛りの花の花弁。
「……桜?」
中庭に咲いていたはずだが、風でここまで飛んできたのだろうか。
なんとなく障子を開けると、そこは別の世界のようだった。風に舞う花びらが、月明かりに反射してきらきらと光る。
「……綺麗……」
ため息のような感嘆の声が悠日の口から漏れる。
夜桜を見たことがないわけではなかったが、今日の桜は一段と綺麗だ。
もう少し桜を堪能したい。
なんとなくそう思った悠日は、静かに障子を閉めると、山吹の袖を翻しながら部屋の前の縁から庭に降りた。