想うが故の思い


 たん、と障子の閉まる音が妙に大きく響いた気がした。

 どこか苛々した風情の翡翠の瞳が、薄暗い部屋の中で爛々と光る。


「……あ、の……?」


 自分が置かれている状況がいまいち分からず、悠日は少し怯えた表情で目の前の人物を見上げた。


「お帰り、悠日ちゃん」

「は、はい……ただいま戻りました……?」


 語尾が疑問形になってしまったが、戸惑いがそれについての思考を遮る。

 玄関からの位地から考えて、ここは目の前の御仁――沖田の部屋だ。


 それは分かるが、話の流れと状況との差に、悠日は思わず後ずさった。
 だが、それに少し不快そうにした沖田は、悠日が一歩下がるごとに一歩足を踏み出す。


「ねぇ、何で逃げるのさ。逃げたら殺すって、僕何回も言ってるよね?」


 条件反射です! と悠日は声にしたかったが、なぜか喉につっかえてその言葉が出てこない。

 それはおそらく一種の恐怖とも言うべきもののせいだ。


 ――怖い。


 幾度となく思ってきたことではあるが、いつもと何か違う恐さに体が強張る。

 獲物を狙う狼のような様子に、敵に追い込まれた獣とはこんな気分なのかと思わず考えながら震える足で何歩か後退していると、壁に背がぶつかった。

 はっとして見上げると、相変わらずの瞳がそこにある。


「もう逃げられないね、悠日ちゃん」


 くすくすと笑う沖田に、悠日は喉に力を込めて声を出した。
 意識しないと言葉が出てこない。


「あの……沖田さん、私に、なにか……?」


 このように怯えさせられるようなことをした覚えもなく、悠日はそれがひたすら疑問で、胸元で自身の手を包み込みながら恐る恐る尋ねた。


「……悠日ちゃん、自覚ないの?」


 からかいと怒気を含んだ声音に悠日はびくりと肩をすくめる。


「……自覚?」


 うん、と頷いて沖田は笑った。

 右手を壁に押し当て、悠日と額がぶつかるほどに顔を近づけられ、至近距離に翡翠の光がある。

 直視しているのが気恥ずかしくなってきて、悠日は思わず目を逸らした。


「……悠日ちゃん、今日平助と何してたの?」


 尋問調の言葉に、悠日はやはり彼の話の流れが全く読めず、困惑したように視線を泳がせた。


 だがそれは、沖田の苛々を更に増させることとなるのを悠日は知らない。


「何してたのって訊いてるんだけど、もしかして僕には言えないこと?」


 一瞬、沖田が淋しそうな表情をした。

 それは言葉にも少し現れていたようで、悠日ははっと視線を戻す。
 特に表情に変化は見られないが、悠日は困ったような表情で沖田を見上げる。


「やっと言う気になった?」


 にやにやと笑う沖田に、悠日は現在の状況を再認識して顔を真っ赤に染めた。


「……あ、あの、その前に……」

「なに?」

「……この状況を何とかしてください」


 今にも口づけでもされそうな距離に、悠日は先ほどから当惑している。


 ――だが。


「やだって言ったら? ちなみにこれは僕の本音なんだけど」

「…………本音でも何でも、困るものは困るんです」


 火が出そうなほどに赤く染め上がった顔で悠日は沖田を見上げた。

 実はそうやって困られるほど彼のいたずら心に火が付くのだが、流石にこれ以上やるのはまずいかとも思い、沖田は悠日の額から自分のそれを離す。


 それにほっとした悠日は、次の瞬間何が起きたのか、悠日には理解できず硬直した。


「仕方ないからこれで済ませてあげるよ」


 不意打ちで頬に口づけを落とすことに成功した沖田は、ぽかんと自身を見上げる悠日にそう言って笑った。

 それに対し、悠日は状況が読めた途端大層驚いた表情で沖田を見上げた。


「な……なっ……!」


 本当に火でも出ているのではないかと思うほどに顔を赤く染めた悠日は、自身の左頬に手をやって口をぱくぱくさせている。

 思っていた通りの反応に沖田は大層満足そうに笑いながら、あまりに遠回りな方法ではあったがようやく本題に入った。


「それで、君は今日、平助と何してたの? 隠してると、僕の勝手な自己判断であの子に話してあげるけど」


 実は先ほどの玄関先の話も立ち聞きしていた沖田は既にほとんど核心をついている。

 だが悠日自身の口から直接聞きたくてこのような手段をとったのだ。――悠日で遊ぶことも考えていなかったわけではないが。


「……それはすごく困るんですが……」


 話すべきか話さないべきかを悩み、悠日はしばらく眉を寄せた。

 だが、沖田の最後のちょっとした脅しにも聞こえる言葉を考慮した結果、少し困った表情で悠日は沖田を見上げると、内緒ですよ、と前置きをしてから事のあらましを話し始めたのだった。





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