夕立
いつも通りの位置にある結び目が指先に触れる。
「あ、ありがとうございます」
「うん。あ、髪の結い方変えてほしかった?」
「いえ、これでいいです。この結び方が慣れていますから」
そう言って、ふと疑問に思ったことがあって沖田を振り返った。
途端至近距離にあった翡翠の双眸に、悠日は思わず飛びすさりかける。
が、すぐに腕を掴まれて引き寄せられた。
「逃げちゃダメだって言ったよね。ほら、座って」
あれだけ至近距離に顔があったのに対して普通の反応をしたのだと思うが、…どうやら気に入らなかったらしく、沖田はどこか怒っているような口調だった。
逆らいがたくて素直に元いた所に座り直す。
「それで? 急に僕を振り返って、どうしたの?」
立っていても座っていてもそれなりにある身長差。見下ろす瞳さえも先の言葉を促す。
「ええと……私がここに厄介になり始めた日に、沖田さんがこの髪型にして下さいましたよね」
「そう言えばそうだったね」
まるで他人事のように言う沖田は、それで、と笑った。
目元が何だか怖い。
「その時に、平助君が、さりげなく沖田さんの髪型に似てるって言っていたんですけど……そうなんですか?」
「僕はそんなことは考えてなかったけど? でも、確かに言われてみればそんな気もするね」
藤堂の検討違いだと分かると、不意に不思議になる。
ならばなぜ、この髪型に結ってくれたのか…。
「悠日ちゃん、気になる?」
「……気にならないと言えば嘘になります」
「ふふっ、正直だね、君は。そうだなぁ……」
少しワクワクしながら沖田を見上げる悠日に、彼は意地悪そうに笑って言った。
「理由なんてないよ。何となく思い付いたのがあの髪型だっただけ」
「……人を期待させておいて、ずるくないですか、それ」
「騙されやすい君が悪いんでしょ。ほら、あんまり遅くまでここで起きてると、土方さんに見つかっちゃうよ」
はぐらかされた気がして、悠日は沖田を軽く睨みつけた。
「ほら、文句言わないで部屋に戻りなよ。子供は寝る時間だよ」
「……はい」
結局逆らうことは出来ないことが分かっているので、悠日は素直に従うことにした。
ぺこりとお辞儀をして、悠日は部屋に戻って行く。
「気になる、かあ……。ふぅん、君は……――」
沖田の言葉の最後は、本当に微かで誰にも聞こえないほどで。
「……君がいけないんだよ、悠日ちゃん」
沖田のその言葉は、風に紛れて消えた――。
「……はぁ」
なんだかしっくりこない上にちょっと疲れた気がしなくもない悠日はため息をついた。
沖田と一緒にいて、居心地が悪いわけではない。だが、なんだか落ち着かないのも事実だったりする。
「……どうしてかな」
あの瞳に見つめられると、何故か動けなくなる。
何かを戒めるような、そんな気がするのだ。
それに既視感を覚えるのは、何故だろう。
「あ、悠日ちゃん!」
部屋の傍まで来てかけられた声に、悠日は顔を上げた。
「千鶴ちゃん! ごめんね、心配かけて」
「ううん。あ、じゃあ、沖田さんに会ったんだ。沖田さんは?」
「中庭で別れてきたの。子供は寝る時間だって言われた」
そう苦笑した悠日に、千鶴も苦笑し返す。
「まあ、子供に限らず人が寝る時間なのは間違ってないんだけどね」
そう言った悠日と、千鶴が部屋に入った。
布団の上に腰を下ろした時、偶然千鶴に背を向ける形になった。
「あれ、悠日ちゃん、紐の結び方変えたの?」
「え?」
言われて再びそこに手をやる。
いくつかの輪と結び目がふれた。
先程は気づかなかったが――。
……ずいぶん複雑な結び方がされているような?
「沖田さん、こんな解きにくい結び方にしなくても…」
「え、それ、沖田さんが結んだの!?」
「うん。……次髪洗うときに苦労しそう…」
はぁ、と悠日は再びため息をついた。
「その時は解くの手伝ってあげるよ、悠日ちゃん」
千鶴のその言葉に、悠日は苦笑して頷くのだった。
「ありがとう、千鶴ちゃん」
折しも、世に言う池田屋事件の数日前の出来事なのであった。
<終>
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