夕立
その日の夜。
乾ききっていない少し濡れた髪の毛が風にそよぐ。
りいりいと虫の音が響き、夜の静寂に吸い込まれる。
「……気持ちいい風」
悠日は、夏のわりに涼しい風を受けながら気持ちよさそうに目を閉じた。
「夕立のおかげかな?」
あの雨の後は、暑気を洗い流してくれたように涼しさが残った。
バタバタしたが、あれはあれで よかったのかもしれない。
急に来るのはやはり迷惑窮まりないが。
雨に当たったこともあって気分的に髪を洗いたかったので、悠日はお風呂で髪を洗った。
布で拭いてもなかなか水分は飛んでくれないので、こうやって涼みながら半乾きの髪を乾かしていた。
目が冴えてしまって眠れなかった、というのもあるのだが。
「悠日ちゃん、君、こんな時間に、こんなところで何してるの?」
笑いを含んだ声に悠日は振り返ろうとしたが、それより早く後ろから抱き着かれた。
「ちょ、沖田さん、離してください!」
肩の上から両腕を回されて、肩口に沖田の顔が乗っている。
唐突な事態に、悠日はあわてふためいた。
だが、そんな悠日の様子を面白そうに見ながら沖田は言う。
「嫌だ、っていったら、君、どうする?」
「困ります!」
「うん、じゃあこのままね」
何がどういう理屈で繋がってこのままという結果になるのか、悠日には分からなかった。
本気で困るのだが、そう答えたのが間違っていたのだろうか。
「いいじゃない、別に。減るものじゃないし?」
「いえ、あの、そういう問題ではないと思うのですが……」
腕から逃げようとすれば力がいっそう強まって、余計に逃げられなくなる。
「前に言ったよね、逃げたら斬るよって。……僕がこうしてたいの。付き合ってよ」
「……分かりました」
なんだか嫌だとは言えなくて、悠日は抵抗をやめる。
「悠日ちゃん、こんなところで何してたの? 千鶴ちゃんが捜してたよ」
「……あ、何も言わずに出てきたから……」
千鶴は寝入っていたので、何も言わず中庭に来てしまったのだ。
夜中だし、起こすのも忍びないと思ったからなのだが、起きてしまったのだろう。それで隣にいるはずの自分がいないために心配してくれたのか。
「すみません、お手数をかけました」
「別に僕は構わないけどね。でも、たまたまおろおろしてた千鶴ちゃんを見つけたのが僕でよかったね。土方さんならすごく怒ってるよ」
容易に想像がついて、悠日は苦笑した。
「それで、君はなんで中庭にいたの?」
「……寝付けなかったので、夜中なら隊士の人達も寝ているだろうと思って……」
「ついでに髪乾かそうとでも思った?」
背を流れる黒髪をすくようにしながら沖田が言った。
「……はい」
間違っていないので、悠日はそう頷いた。
「でも、それだけじゃないんじゃない?」
「……え?」
驚いて悠日は瞬きを繰り返した。
「悩んでます、って顔に出てるよ、君」
核心を突かれて、悠日は黙り込んでしまった。
「あれ、図星?」
しかもそこに追い撃ちをかけるように沖田がニヤニヤと笑いながら肩口から悠日を見る。
「言ってごらん。君、何でそんなに悩んでるのさ」
「悩んでいたというか………昼間の沖田さんの行動の理由を考えていました」
「僕の行動?」
何を言っているのかと沖田は楽しそうに笑った。
「敢えて私を雨の中に引っ張り込んだ理由です」
「さっきも言ったよね? 同じこと何度も言わせるつもりなの?」
そう言いながら、沖田が悠日の髪を何度もすく。
「……あれで必要以上に濡れたのですが」
「でも、冷たくて気持ち良かったでしょ?」
覗き込んできた顔はどう見ても面白がっているようにしか思えない。
「からかわないでください。……それより、浴びるなら雨よりも水の方がいいです」
「なんで?」
「雨は濡れた後にちょっと纏わり付くような気がして、あまり当たりたくはないので」
虚を突かれたかのように、沖田の手が止まった。背を向けているので、沖田の表情は分からないのだが…。
「あの、沖田さん?」
「うん、ごめん。ちょっと君の言ってること考えたら手が止まっちゃった」
声音は先程と大して変わらない。
何をどう考えたのかは分からないが、まあいいのだろう。
「……はい、できたよ」
唐突にそう言われて、悠日は後頭部に触れた。