第八花 紫陽花

 山際に、赤。雲も何もかもを、その色に染め上げている。
 降り注ぐ葉も、赤。ひらひらと舞い散るそれが、髪を撫でた。

 木々ばかりの山の中、界の境に立った二人を、悠日は振り返った。

 一歩前に出た少女が纏うのは、鮮やかな山吹の着物。今の悠日には過ぎた装束だ。

 昔のそれを思い出して苦笑しながら、彼女はその二人に向かって一度礼をした。


「本当に行くのね?」

「心遣いには感謝いたします、姫様。でも、約束は約束なのです。……花結びも、今一つ、残っておりますし」


 胸元に下がった花結び。今思えば、なぜこれで花結びを行ったのかと、昔の自分を責めたくなった。
 あの時は知らされていなかったその意味。責められた、八年前の帰路。

 彼はそれを知らない。それでも、あの地へ行くという約束は、約束だ。

 都で会うのであれば、悠日の故郷で。それを彼も忘れていない。


「すべてが終わったら、ここに戻ってきなさい。……あの地は、もう危険だわ」

「承知しております。今は、帰るつもりはありません。……しかし、帰らないわけにもいきません。世が落ち着いた暁にでも、参ります。おそらくそののちは、こちらにお世話になるかと」


 決意の揺るがない瞳で、悠日は少しだけ苦しそうな表情をした。

 楽しい思い出も悲しい思い出も詰まった故郷。今は世も揺らいでいる。この時期に戻るのが自殺行為なことくらい分かっていた。
 だから、今は帰るつもりはない。


「それならいいけれど……」

「それでは、行ってまいります。ひと月の間、お世話になりました」

「無茶はしないようにね」


 忠告とも心配とも取れるその言葉に苦笑して頷くと、悠日はその姿を森の中に溶かしていく。
 見送る二対の瞳を受けながら、地を蹴った。

 紅葉を閃かせながら翻る桜色の髪。
 手にしているのは、代々伝わっていたという薙刀。

 前を見据えるその瞳は、菖蒲よりもずっと赤みの薄い、普段の薄紫のそれよりも濃い、紫色をしていた。


















「……帰ってこないね。悠日ちゃんの夕暮れ時っていつなのさ?」


 すでに日は沈み切った。これ以上遅くなれば、疑いをもたれるのは必至。
 なんとなくそう聞いてみれば、牡丹は淡々と口を開いた。


「山の端が暗くなるまでは。そこから先は『夜』の領域です」

「……その時間帯ギリギリって、僕たちの言う宵じゃないの? 日の入り直後は宵の口でしょ」

「そうとも言いますね」


 さらりとそういう牡丹に、沖田は本当に悠日が帰ってくることを信じているのかと沖田は疑いたくなる。

 夕暮れ時から宵までは時間がかなりある。土方なりの譲歩だったのかもしれない。
 宵を過ぎれば夜だ。どちらにせよ、帰らないと判定せざるを得なくなる。


「……このまま戻らないのであれば、それでもいいのです」

「それ、悠日ちゃんが聞いたら泣くよ?」


 とても牡丹のことを大切にしている風情だった。質としておいておくこと自体反対していたのだ。そんなことを牡丹が思っていたと知れば、涙を見せない彼女もさすがに泣くかもしれない。


「もちろん仮定です。姫がそれを望んでいないことも分かっています。しかし、ここは……」


 もう争いそのものに関わってほしくないと思うのは、いけないことだろうか。
 一族の死の惨劇。それだけでこの八年間ずっと苦しんできた。

 ここは、争いの渦中にある集団だ。これ以上、苦しんでほしくない。


「……それは、君が苦しんでる悠日ちゃんを見たくないだけなんじゃないの?」


 まるで考えを読んだかのような沖田の言葉に、牡丹ははっと顔を上げた。


「あの子は、それがあること分かってて帰ってくるつもりなんでしょ? 悠日ちゃんの意志に反することは、逆にあの子を苦しめるんじゃない?」


 そういわれて、牡丹は殴られたような衝撃を受けた。
 そして同時に、悔しくもあった。

 なぜ、自分よりも短い時間しかいないこの男の方が、主のことを理解しているのだろうかと。
 主として見ていたからなのか、それとも表の面しか見ていなかったからなのか、それは分からない。
 だが事実、牡丹が気づかなかったことにこの男が気づいている。

 自分が情けないと思ったのは言うまでもない。


『姫のことはお前に頼みます。……支えに、なってあげなさい』


 そういって背を向け、戻っていった母。その言葉をちゃんと理解していたのかと、自分自身を叱りたくなった。

 支えになっていたのか、そんなことは主自身にしか分からない。それでも、自分以上の理解を示したこの男ほど支えになっていたとは、どうしても思えなかった。


「僕は別に同等に見ても問題ないけど、君の場合はお姫様だし。……まあ、分からないでもないけどね」


 過去の自分を思い出して、沖田は苦笑いをする。

 ここにきてすぐのころ、人を斬ったと知った近藤の顔。沖田はいまだに、それを忘れられなかった。
 彼の暗殺をたくらんでいた殿内という男を斬って、それについて叱られて。

 近藤さんのために、とやったことは結局彼を苦しめた。

 今は結局、そのまま『斬る』ことになっているものの、その過去は消せない。


「それでも、自分がそうしたいんだから、仕方ないよね」


 苦しめると分かっていても、自己満足でも、守りたいのは変わりないのだ。
 そして、それ以外の守り方なんて知らない。仮に知っていても、できたかどうかなど分からない。


「悠日ちゃんもね……多分、分かってるとは思うけど」


 彼女は抜けているようで聡明だ。『姫』の顔を見せる時ほど、それが顕著に覗く。
 だからたぶん、牡丹の葛藤も分かっているのだろう。だから、なるべく『守られる』ことに徹していた。
 それでももう、守られているだけでいられないと思い始めて、一歩踏み出したのだ。
 せめて、自分の身だけでも、と。


「守るのは難しいけど、頑張ってね」


 そう口にする沖田の目は、都の北方を真っ直ぐ見つめていた。
 それに、牡丹もつられるようにそちらに視線を向ける。

 山の端は、まだ明るい。先ほど日が山に隠れたばかりだ。



 ――きっと、もうすぐ帰ってくる。




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