第七花 誰故草
落ち着かせるように目を閉じれば、さわさわと木の葉の擦れる音がより一層大きく聞こえる。
町の喧騒は遠く、辺りに人の気配はない。
じっと見つめてくる視線を感じて小さくため息をつくと、悠日はそっと目を開いた。
いつになく真面目な瞳に、改めて逃れられないことを感じて小さく息をつく。
「……森で花結びをした後、私がすぐに宿に戻ったことは総司さんもご存知ですよね」
八年前の事実を確認され、沖田はそれに静かにうなずいた。
あまり長いこと宿を開けていられないことは、最初に彼に説明した。そしてそれを彼も承諾したのだ。覚えていないはずがない。
「でも、次の日に行ったら、君はもういなかった。いなくなるなんて聞いてなかったから、すごくびっくりしたんだよ?」
忍んできたあの時と同じように木を登り、中の人の気配を探ってみたが、そこは既にもぬけの殻だった。
窓を開けて見てみれば生活していた様子も残っておらず、きれいに片付いていた部屋。
本当に悠日が存在していたのかと疑いそうになった。
「私が宿に帰ってすぐ、牡丹も帰ってきたんです。……傷だらけの、彼岸と一緒に」
その言葉に、沖田は眉を寄せた。
牡丹はともかく、彼岸のことは名前しか知らない。
しかし、悠日の口ぶりからかなりの使い手であることは分かった。
その彼女が傷だらけで帰ってきたというのはどういうことだろうか。
「……邪魔だから、拘束されていたんだそうです。彼岸と牡丹と私の三人での旅で、彼岸がいなくなれば子供二人が残るだけですから……」
牡丹の強さは横に置いておくとしても相手は子供だ。大した敵ではないと思われていたのだろう。
そして彼岸が帰らないとなれば牡丹も動き始める。そこでさらに牡丹も拘束してしまえば、悠日を捕らえることはたやすいのだ。
「でも君は、見つからなかった」
「はい。牡丹も捕らわれることはなく、彼岸も頑張ってくれたそうで。……でも、牡丹が彼岸を救出したと同時に……追っ手も」
それは当たり前のことだった。捕らえていたものが逃げ出せば騒動になるのは必至。
助けに来るものが誰か見当がつく以上、追っ手がかかりやすくなるのは分かっていたはずだ。
「もちろん、それは私も分かっていましたし、牡丹も承知の上でした。それでも……私の一族も牡丹の一族も、捕らわれているわけにはいかないんです」
その瞳に一瞬だけ浮かんだ暗さに、沖田は眉を寄せた。
追っ手や刺客の脅威に怯えていたことは彼も知っている。常にあたりに意識を回していたのだから。
主家の娘であるらしい悠日に危機が迫るくらいなら、彼岸を助けることよりも悠日を逃がすことを考えるべきなのではないだろうか。そして、それを選ぶことができない、というのはどういうことなのだろうか。
尋ねようと口を開こうとしたが、悠日のまとう空気がそうさせてはくれなかった。
何かを秘めた瞳。それ以上を語ろうとはしないそれに押し負ける。
「すぐに、夜の闇にまぎれて宿を発ちました。見つかるのも時間の問題でしたから」
まさか『また会おう』という約束をしたその日に去ることになるとは、悠日自身も思ってもみなかった。
別れの挨拶もなしに宿を発つことは心苦しかったが、命がかかっている以上そんなことは言っていられないので、後ろ髪を引かれる思いで発つこととなったのだ。
「それで、君はそれから、どうしたの?」
「故郷へ、帰りました。……でも」
「でも?」
故郷へ帰った、という割には、ずいぶんと表情が暗い。
それを怪訝に思いながら沖田が首を傾げると、悠日は自身の手とともに袴を握りしめた。
「……私たちが着いたときには、里は、火の海でした」
かなりの間をおいてからの悠日の言葉に、沖田は大きく目を見張った。