第七花 誰故草

 立ち並ぶ木々を見て、悠日は驚いた様子で辺りを見回した。


「ここは……」

「似てるでしょ、あそこと。静かで、人もあんまり来ない、僕たちのお気に入りの場所」


 八年前の、あの森。今は赤や黄に色づいているが、あのころはどこもかしこも緑一色だった森。
 悠日の短い滞在期間の中で、もっとも濃い記憶の残る場所だ。

 あの頃若干しか違わなかった身長の差は、頭一つ分にまで広がっている。

 座ってさえ同じそれに改めて時の経過を感じながら、悠日は沖田を見上げた。
 その視線に応えるように、沖田も悠日に目を向ける。


「屯所でもダメ、町中でもダメ。ここなら、いいかな?」


 確認という意味での問いだが、その声音はいいよねと、半強制のたぐいのものだ。
 あの時あの森で話した秘密は、あの場所だったからという条件でのもの。

 そして、おそらくこのためにこの場所を探したといっても過言ではないのだろう沖田の行動。

 ほぼ同条件で断る理由は、悠日にはない。


「……分かりました」


 小さなため息交じりにそう答えたとき、少し離れた場所にある木から若干動転したらしい気配が伝わってきた。
 風もないのに不自然に木が揺れ、木の葉が二、三枚ひらりと落ちる。

 その主が誰か、沖田も悠日も分かっているため特に警戒することなくそちらに目を向ける。

 そうして悠日が確認するように沖田に目を向けて首を傾げれば、彼は苦笑して頷いた。


「……出てらっしゃいな、牡丹。隠れていなくてもいいでしょう?」


 後をつけてきた、というより悠日の護衛としてついてきた牡丹がそこにいることは、悠日だけでなく沖田も気づいていた。
 とはいえ悠日が心底信頼している上、沖田もそれを咎める理由はない。

 しばらく待てば、観念したように木の上から軽やかに牡丹が飛び降りてきた。
 にらみつける牡丹と違い、沖田はその様子を面白そうに見て笑う。


「牡丹ちゃんだっけ? 相変わらずだね、君」

「……姫様。やっぱり納得できないのですが。なぜこのような軽々しい男と」


 信じられないといわんばかりの目が悠日に向けられる。

 正直、なぜと言われても自然とそうなってしまったのだから理由などないというのが正しいだろう。
 しかし、それを説明するのも気恥ずかしいし、説明したところで牡丹が納得するわけでもない。
 悠日は困ったように苦笑を返した。


「……それは横に置いておきましょうか、牡丹。……しばらくは、口を挟まないでもらってもいい?」


 このままいくと堂々巡りで話をするどころではない。
 ここに来たのはそういった意味合いではないし、帰りが遅くなれば怪しまれかねない。

 話の途中で牡丹の突っ込みが沖田に向かえば脱線するのは必定。くぎを刺しておけば牡丹も基本従ってはくれるため、一言言っておくことにした悠日である。

 もちろん文句ありありの表情で悠日を見つめる牡丹だが、仕方ないといったようにため息をついて再び木の上に上がった。
 隠れるというよりも、傍にいるとつい口を挟みたくなることが分かっているため控えた、というほうが正しい。

 それに苦笑してから気持ちを整えるべく小さく深呼吸すると、悠日は少し苦しげな面持ちで沖田に向かい合った。


「私が隠れるようにして過ごしていたことは、沖田さんもご存知ですよね」


 話を始めようと口を開くと、沖田がどこか不機嫌そうに眉を寄せた。
 そんな様子に疑問を感じ、話し始めようとした内容を横に置き、悠日は小さく首を傾げた。


「……沖田さ」
「総司」


 どうしたんですか、という問いもかねて呼びかけると、沖田がさらに眉を寄せてそう言った。

 今、彼は自分の『名』を言った。その意味するところが何なのかと、悠日は数回瞬きして沖田を見上げる。


「総司、だよ。昔みたいには呼んでくれないの?」


 覗き込んでくる翡翠の瞳に、悠日は思わず赤面する。
 木の上の存在がかなり怒りに燃えているようだったが、彼がそれを気にした様子はない。

 体を若干強張らせて視線をさまよわせているといつもならからかってくるその声は、いつになく真面目だ。
 今更昔の呼称を思い出し、悠日はしきりに沖田と視線を合わせないように戸惑うしかない。

 あのころはまだ何も分かっていない子どもだった。だが、今は違う。

 その想いの意味も、そう呼ぶことの意味も分かってしまっているから。


「……それ、は」

「別に屯所の中では構わないよ、それでも。その顔見れば、嫌だっていうのは分かるし。でもさ、こういう時くらいいいでしょ?」


 こうやって二人きりの時は。押し込まれた言葉が分かるだけに、悠日も厄介なものだと内心頭を抱えた。
 牡丹がいる時点で二人きりではないのだが、彼女は半分空気に溶け込んでいるようなもの。あながち間違っていない。


「ね、悠ちゃん」


 昔の呼称で呼ばれ、悠日はさらに困ったように視線をさまよわせる。

 ひらりと上から降ってきた木の葉が目の前に落ちると、悠日はそれを手にとって眺める。

 幾筋もある、さまざまに分かれた葉脈。
 『生』は、いくつもの分岐点があって今がある。

 そして、それは選択できるものがあればできないものがあることも知っている。


 ――【今】だけは、いいだろうか。


 何か見返りが来るかもしれない。それでも……。


 そんなことを思いながら悠日は少し目を伏せた。


「……総司、さん」


 ようやく出たその呼称に、沖田は笑った。

 満足そうな表情の奥に歓喜のそれも見えている。

 それを感じ、悠日は恥ずかしそうに顔を伏せながら、心のうちに芽生えた小さな不安を押し隠した。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -