第六花 松

 総司の答えは、悠日の予想を遥かに超えていた。


「それは、君が名前を隠すことと繋がりあるの?」


 恐れでも忌避でもない、ただ純粋な問いが返ってきただけ。
 ぽかんとした表情で総司を見つめれば、怪訝そうな声が返ってきた。


「悠ちゃん?」


 名を呼ばれ、その問いに悠日は慌てて頷いた。


「……私は、基本的に『悠』もしくは『菖蒲』と呼ばれています。一族の長が、それが私の母様なんですが、その呼称は『紫苑』。本当の名前で呼ばれることはほとんどないですし、本当の名前は私自身を縛ってしまうから」


 だから、基本的に本名で呼ばせることはない。本名とは別の異称を作ったり、役割の名で呼ばれたり。

 本名で呼ぶのは、基本的に近しい血族に限られる。もしくは……諸国の同族の長達、その後継者。


「それじゃあ、君の本名って……」

「本当は、その人達以外に教えちゃだめだって言われているんですけど……。約束、ですから」

「いいの? そんな大事なもの教えて」

「総司さんは、信頼できますから」


 『信用』ではなく『信頼』。

 その言葉の意味を少し考え、総司は少し目を見張った。


「……確かに、いろいろ意地悪言いますし、脅しまがいなことも言ってきますし。でも総司さん、私が素性を隠して、隠れるように過ごしていたこと、分かってくれたから」


 彼に存在がばれた時点で、追っ手がかかる可能性は高かった。

 彼が悠日の存在を誰かに話せば、それが刺客にとっては手掛かりになりかねない。
 人の噂は七十五日とは言うものの、その間に広まった情報が刺客に伝われば、標的になるのは明白だ。

 しかし、今の今までその気配は全くない。
 それは、総司が悠日について他人に話さなかったからだ。


「偶然かもしれないよ?」

「総司さんが信頼している……近藤さん、でしたっけ? 総司さんから聞いたその方の性格を考えると、総司さんと一緒に会いに来そうだったから」

「……ああ、確かに近藤さんなら『総司がいつもお世話になってます』って言いに来そうだね」


 どうして僕の話だけでそれが分かるのかなぁと笑う総司に、悠日は小さく笑う。


「それで、僕には話しても大丈夫だって思ったの? もしかしたら、そんなふうに君のことだまして、情報を得ようとしてるかもしれないのに?」

「……そんなことをわざわざいう情報屋もいないと思いますが」


 いつかのやり取りに近い内容になっていることに苦笑しつつ、悠日は総司に向き合った。


「私の本名は、『霞原悠日』です。前にも言ったように、京の宇治に住んでいます」

「……それが本当の君、か。じゃあ、さっきの姿も、君の本当の姿なの?」

「……それについては、どちらが本当かというのはわかりません。どちらにしても、私の本当の姿ですから」


 幼いころからその姿を使い分けてきた。
 力を使うときだけ先ほどの姿になるが、普段は今の姿で過ごしていた。

 どちらが真実か、というのはおそらく一族の誰もが分からないだろうし、意見も賛否両論だろう。


「……でも、どうして総司さんは怖がらないんですか? 他の子達は、あの姿を見ると『化け物』って呼ぶのに……」

「まあ、君が化け物だなんて思えないし。だっていろいろ隙だらけでさ、見た目だって戦えそうには見えないし」


 それに、と総司は少しだけ不機嫌そうに眉を寄せた。


「僕のほうが化け物かもしれないよ? 兄弟子の人たち、みーんなぶち負かしちゃったから。近藤さんには敵わないけどさ」


 事実、あまりに急な成長に、周りが舌を巻いている。天才だという人もかなりいた。
 この剣が近藤さんのためになるようにと考えているから、それに嫌な思いはないが、化け物と呼ばれるのには引っ掛かりを覚えないわけではない。


「だから、お相子でしょ?」

「でも、総司さんは見た目普通ですもの。……それに、そういうことは無敵になってから言ってください」

「ほら、君だってそうじゃない。怖くない根拠とか、化け物だと思わない根拠なんて人それぞれなんだからさ、気にしなくてもいいよ」


 慰めなのか、それともそう自身に言い聞かせているのか。
 どちらか分からないが、それで悠日の心が軽くなったのは言うまでもない。


「……なんか、脱線しちゃったから話戻そうか。それで、僕は君の本名知ったわけだけど、僕はどっちで呼べばいいわけ?」

「出来れば、今までと同じでお願いします」


 あまり外には知られたくない。予防できるところは予防しておかなければ、自身の身も危うい。


「それと、おそらくここにはもう頻繁には来れません。あまり度がすぎれば、今度こそ何が起こるか分からないですから」

「それは、あの牡丹とかいう君のお付の子がそう言ったの?」


 総司のその問いに、悠日は首を振った。


「牡丹がああ言うのですから、より近くに危険があるのだと思います。だから、ひっそりと過ごす必要があるんです。今回は、見つからないようにこっそり抜けてはきましたが、それも何度か続ければ必ずほころびが生まれます」


 だから、と目を伏せる悠日に、沖田は、はぁ、とため息をついた。

 またあの待つだけの日常が戻ってくるのかと、落胆してしまう。

 そんな総司の様子を見て困ったような顔をした悠日は、少し総司に近づいて姿勢を正した。


「でも、日が経って周りの危険がなくなれば、会うことは出来ます。その頃には、京に帰っているかもしれませんが……」

「……じゃあ、君とこの間やった『約束』、もう一回しようか」


 尋ねるではなく提案のその言葉に、悠日は二、三度瞬きをした。


「……え?」

「だって、あの方法でやった約束は破れないんでしょ? だから、やろうかって言ってるんだけど」


 唐突な提案に頭がついていかない。
 確かにそう言った。そしてそれがあったから、今悠日はここにいるのだ。

 だが、どんな内容で約束しろと言うのだろうか。
 そんな気持ちが顔に出ていたのだろう、少し寂しそうな表情をしながら総司は先日の悠日との約束で作った紐飾りを差し出した。


「……そういえば、ほどいていませんでしたね」


 総司の手の中にあるのは、紫の紐で作られた『菖蒲』の飾り紐。
 それを手に取ろうとすると、総司は手を引っ込めた。


「まだいいよ。だってこれは『また会う約束』のものでしょ?」

「……つまり『また会いましょう』っていう約束がしたいと、そう言いたいんですか?」


 その言葉に、総司は頷くことなく何かたくらんでいると言わんばかりの笑顔を悠日に向けている。


「だから、これはこのままでいいよ」

「約束は別に構いませんが、それは約束を果たしたときにほどいて、同じ約束をする場合でも、もう一度結ぶのが慣わしなんです」

「ふーん」


 特に興味なさそうな顔でそういいながら、手元の菖蒲の紐飾りを悠日にさしだす。


「約束は、してくれるんだ?」

「……はい」


 約束しても、果たせるかどうかは分からない。それでも、また会いたいというのは我が儘だろうか。


 このほんの数か月、関わったのはほんの少しの間なのに、会えなくなると寂しい。

 だから――。


「喜んで」


 そう、笑顔で頷いた。


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