第六花 松
帰宿後、総司の件について悠日は牡丹に告げなかった。
なぜかは悠日にも分からない。――何となくそう思ったのだ。
意外に早い帰りに牡丹も少し驚いていたが、特に尋ねることなくその日が過ぎた。
彼岸も依然戻らず、日増しにつのる不安。
彼岸が帰らないためにやることになった情報収集をしなければならない牡丹もそれは同じなようだ。
そんな気持ちを抱えながら、翌日も森に向かったのだが――。
「――ああ、おはよう、悠ちゃん。相変わらず使えない薙刀持ってるんだね」
「……どうしてあなたもここにいるんですか?」
後半の一言にかなりかちんときたが、理性でそれを必死に抑え、悠日は真っ先に浮かんだ疑問を口にする。
「あれ、昨日言ったよね。ここ、僕も来るんだって」
「毎日とは聞いていないです」
「あれ、言ってなかったっけ?」
そう首を傾げる総司に、悠日はため息をついた。
彼が言葉を口にするごとに若干苛々するのは気のせいか。
「……私に何かご用ですか?」
「特に用ってわけでもないけど、君といろいろ話したかったし」
そう総司が口にすれば、悠日は警戒して一歩後ずさる。
その動作に、総司は楽しそうな笑みを浮かべた。
「やっぱり追われてるか何かなの? 昨日も、根拠もないのに警戒されたし」
いくら初対面でもあそこまで警戒することないじゃない、と不機嫌そうに眉を寄せられ、悠日は逆に首を傾げる。
じゃあ彼は、違うのだろうか。
そんな質問を向けてくるのだし……。
「じゃああなたは、刺客とかそういうものではないの?」
「……君さぁ、刺客とかそういうものかもしれない相手にそんなこと訊くの?」
「だって、あなたはそうじゃないだろうって思ったから」
いけなかったですか? と首を傾げると、総司は腹を抱えて笑いはじめた。
失礼な、と顔に出せば、彼はさらに笑い転げる。
むぅ、と少し頬を膨らませれば、ごめんごめんと彼はようやく笑いをおさめ、涙を拭った。
「残念ながら僕はそういうのじゃないよ。ここから離れたところにある道場の内弟子」
「道場?」
「うん。天然理心流っていう流派なんだ。試衛館っていう道場、聞いたことない?」
総司の問いに、悠日は頷いた。
江戸の剣術の流派は京には聞こえて来ないし、興味もなかったからだ。
「剣術に興味とかないの?」
「私の家は薙刀を主に学んでいたから、そっち方面のこと知らなくて、興味の持ちようもなかったんです」
事実なので淡々と告げれば、総司はつまらなさそうにふぅん、と呟いた。
「じゃあ次の質問。君はどこの子なの? 宿に泊まってるってことは、少なくとも江戸の人間じゃないよね?」
僕はどこの誰なのか答えたんだから君も答えなよ、と反論の隙を与えない問いに、悠日は再び眉を寄せた。
刺客ではないとはいえ、ここで答えていいのだろうか。
「言わないなら、君の噂、近所に撒き散らすよ? 近所のおばさん口が軽いから、その人に喋ったら二日と経たず広まるだろうね」
刺客云々からいろいろ隠そうとしていることが丸分かりだったらしい。
断れば噂が広まる。――ただでさえ緊張感漂う旅に、不安要素が増やされる。
それこそ最悪の展開だ。命を差し出せといっているようなものだろう。
「京……」
「じゃあ君は、公家のお姫様なの?」
総司の言葉に、悠日は首を傾げた。
公家かどうかはともかく、なぜ自分が『姫』と分かったのだろう。
京にだって農民も町人もいる。その可能性は考えなかったのか。
そんなことを考えていた悠日に、総司はくすくす笑いながら言った。
「君、考えてること顔に出過ぎ。……そんな上質な着物着てて、しかも刺客に襲われる可能性のある京の人って、公家くらいしか思い付かないでしょ? それとも君、武家の人間なの?」
今悠日が着ているのは、薄青の着物と、蝶の刺繍の入った桜色の帯。
髪は横髪だけ後ろで結び、残りはそのまま流している。肩より少し長い髪だから、公家の姫とはどう考えても違う。もちろん武家の姫でもないのだが。
「……そういうものですか?」
「うん。それで、どうなのさ」
再び尋ねられ、悠日は困惑したような表情で総司を見つめる。
瞬間きらりと光った瞳に、脅されていると分かって仕方なく口を開いた。
「公家ではないですが……近い者、ですね。――京の中心部から離れた宇治が、邸のある場所です」
そこまで口にして、言い過ぎたことに気づき、思わず口に手を当てた。
宇治に住んでいることまで教える必要はなかったのに。
「ふーん。……宇治って、どこ?」
「……教える義理はありません」
「そんなこというとばらすよ?」
「私がわざわざ教えなくても、調べれば分かることですから」
ぷいとそっぽを向けば、総司はつまんないなぁと口にして、丈の短い草の上に横たわって空を見上げた。