第六花 松
そんなやり取りを経た次の日、約束通り牡丹に一言告げて、悠日は再び森に来ていた。
薄青の着物の袖を翻し辺りの景色を見回せば、やはり故郷のそれに似ていて心が安らぐ。
悠日は、都は宇治、その一帯を取り纏める一族の次代だった。その姓を霞原という。
霞原の一族――その中でも頭領家は血筋の特殊性上、各地の『鬼』と呼ばれる者たちと繋がりを作っておく必要があった。
今回の悠日とその乳姉妹の牡丹、牡丹の母彼岸とでの旅は、そのためのものだった。
千鶴という東の鬼の一族の純血の生き残りに会いに、その少女が住んでいるという家を尋ねたのだ。
ひと月ほど滞在した後帰路についたのだが、その途中、江戸を抜けきらないところで、何を思ったか彼岸がしばらく宿に泊まると言い出した。
何か理由あってのことだろうと、事情を知らない悠日と牡丹もそれに頷いた。
なにかなければ、この
東の地をさっさと去っているはずだったのだ。
それをしない理由が気になりながらも、尋ねても答えをくれない彼岸に、二人はただ従うしかない。
霞原の者は、特殊性から外部の者から狙われることも少なくないため、それが原因かもしれないとの憶測はあるのだが――。
そこまで考えて、悠日は小さくため息をついた。
「……彼岸は、いつ帰るのかしら」
宿に泊まるようになってもう十日ほど経つ。しかし、一泊目以降ずっと、彼岸に会っていない。
牡丹によれば三日置きほどで真夜中に戻っているらしいが、悠日を起こさないよう配慮されているため、実際にそうなのかを彼女は知らなかった。
乳母ということはもう一人の母も同然なのだ。不安にならないわけがない。
彼岸は悠日の母の乳姉妹でもあるので、いろいろ忙しいのも分かってはいるのだが、彼女が何か言ってくれなければ状況も分からない。
ため息をつき、悠日はその場に座り込んだ。
傍らに習いはじめたばかりの棒――薙刀を置き、空を仰ぐ。
木々の間から見える空は、とても澄んでいる。
そのままじっとしていれば、傍らに鳥たちが集まりはじめた。
悠日にとってはごくごく普通の光景に、彼女は微笑む。
雀や
鶯、傍に川があるためなのか
翡翠もいる。
鶯の歌に耳を傾けて目を閉じ、悠日は微笑んだ。
やはり森は好きだ。故郷に似ているからというのもあるが、木も動物も自然にあってこその『自然』で、美しい。
そんなことを考えていると、急に鶯の歌が止み、鳥たちが一斉に飛び立った。
何が起きたのかと身構えて、悠日は傍らの薙刀を手にする。
気配は感じる。しかしそれは、牡丹のものではない。
では、誰なのだろう。
――もしかして、刺客……?
もしそうなら厄介なことだが、ほぼ素人なのに変わりはないものの【鳴らして】、その上で逃げるだけの隙は作れるはずだ。
そんなことを考えながら辺りに意識を向けていると、少し離れた場所の茂みが鳴った。
薙刀を持ち上げて腰をあげれば、どこか緊張感のない声が悠日に向けて放たれる。
「ひどいなぁ、人の気配がするから覗いただけなのに。こんなに警戒されるなんてさ」
茂みの中から現れたのは、悠日より四つか五つ年が上だろう少年だった。
悠日は、そんな少年に怪訝な表情を向ける。
誰だろうか。この辺りに人が来ることなどなかった。だから悠日も安心していられたのだ。
だからこそ、警戒するのは当たり前なのだが――。
「薙刀持ってるけど、君、僕に勝てるの? 隙だらけだよ」
言っておくけど、僕は強いからね? と、少年は楽しそうに笑いながら悠日に近づいてきた。