第五花 金盞花

 ほぅ、と息をつきながら、悠日は縁を歩いていた。

 千鶴の言葉がどうにも心に引っ掛かり、悩ましげに眉を寄せる。


『例えば、沖田さんとか』


 何故あの言葉に、自身の中の何かが反応したのだろうか。そして反応したそれは何だったのだろうか。


 ふと足を止めて、悠日は視線を巡らせる。
 京の南東方面を何となく見て、すっと目を細めた。

 故郷宇治。そこであったことは分かるのに、鮮明にならないそれは片隅で時折形となる。


 はっきり覚えているのは、母と引き離されたことと、業火に包まれた里。――そのあとを、悠日ははっきりと覚えてはいなかった。

 人形のように感情のない生活に、記憶が麻痺したかのように。

 そして、決して思い出せない何かがある。


「……何を、忘れているのかしら、ね…………」


 呟いたとて何の解決にならないことは分かっているが、呟かずにはいられなかった。
 風が吹いて、長い髪がそれにたなびく。

 うっとうしげにそれを後ろにやり、一度目を閉じてから体の向きを変えた悠日は、自身の部屋に戻ろうとし――。


 いつからそこにいたのか、壁にもたれてこちらを見ている沖田と目が合った。


「何考えてたの、悠日ちゃん?」


 反論を許さない瞳に見つめられ、悠日は何となくいたたまれなくて視線を反らした。


「……特には、何も」

「そう言う割には、何か考えてた顔してたよね?」


 あくまでも聞こうとする沖田に、悠日は袖の中で手を握った。
 知られて問題のあることではないが、知られたいものでもない。


「少なくとも、新選組に害意のあるようなことではないですよ」

「……僕が聞きたいのは、そういうことじゃないんだよね」


 少なくとも間違ってはいない悠日の返答にため息をつくと、沖田は壁から背を離した。
 いつの間にか悠日の近くにやって来ていた彼は、悠日の右手を掴み、話のつながりの見えない質問を彼女に向ける。


「君さ、何も覚えてないの?」

「……少しずつ戻っていることは、皆さんにお伝えしているはずですが……」


 どこか鋭い光を帯びた翡翠の瞳に、悠日はそう口にして唇を引き結んだ。

 そう、伝えているはずだ。何も覚えていないわけではない……。





 ――……く、だよ…?




 ふいに、どこか遠くから声が聞こえた。
 誰だ、と思考をめぐらせる暇もなく、沖田は悠日を引き寄せた。


「……僕が言ってるのは、そういうことじゃないんだよ」


 くるりと体を反転させると、沖田は悠日の背を壁につける。
 そうして、懐から小さな紐の飾りを取り出した。


「もうさ、待つのはやめることにしたんだ。……いいよね、ちゃんと僕は、約束守ったんだし。――八年、我慢したんだからさ」


 何を言いたいのだろうか。
 どこか得体の知れない恐怖を感じながら、悠日は沖田を見上げた。


「これ、知ってるはずだよね? もし君が、【あの子】なら」


 薄紫色の紐で作られた、五つの花弁。桜を模した形のそれを見て、悠日は大きく目を見張った。


「……霞原の姓も、悠日って名前も、出身が宇治だって言うのも。……全部あの子と同じ。……君が、『悠ちゃん』なんでしょ?」


 矢継ぎ早に問われて、悠日は混乱したように目を見開いた。

 頭の中を何かが駆け巡り、思考がさえぎられる。


「君は、忘れちゃったの?」


 途端悲しそうな顔をして、沖田はささやくように言った。


「僕との、『花結び』」


 それを聞いた瞬間、悠日の中で何かを封じ込めていたものがはじけとんだ。




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