第五花 金盞花
同じ頃、洗い物を終えて乾かしに向かう悠日と千鶴の二人に意識を向けていた沖田は、腕を組みながら眉を寄せた。
「……悠日ちゃん。君が言ってること、どこまでが本当なの?」
先日の千本通での一件以来、沖田はなにかと悠日に視線を向けるようになった。
悠日がそれに気づいていることは知っていたし、彼自身もそれを自覚している。
だがどうしても確かめたくて、しかしどう踏み切るかを彼らしくもなく悩んでいる。
――【あの時】の彼女が、悠日だと言うことは分かっているのに。
「……いっそのこと、あっちから言ってくれれば問題ないんだけどね」
――君を知ってるのが千鶴ちゃんだけじゃないこと、覚えてないからなんだろうけど。
そんなことを考えて、沖田はあの夜と同じく空を見上げた。そこにあるのは点々と雲の浮かぶ青い秋空。
そこに舞うのは、真っ赤に染まった紅葉。
目の前に降ってきたそれを受け止めると、沖田はそれを握り潰した。
彼女の記憶が徐々に戻っているということは、幹部の誰もが知っている。
だがそれがどこまでの物なのかは誰も知らない。分かっているのは日常生活に支障のない程度の記憶のことだけだ。
それでも彼は、やはり怪訝に思っていた。
あの日彼女は、確かに『記憶が戻った』と言っていた。ならば、思い出してもいいはずなのに、彼女は何も言い出さない。
その矛盾を不思議に思うだけに、余計踏み出せない。
「やっと京に来れたと思ったら、今度は僕が待ちぼうけかぁ」
僕は八年待ったのに、と沖田はどこか淋しげに小さく呟いた。
翡翠の瞳の奥に、少しばかり焦れた光が点っている。
「まあ、覚えてないならそれはそれで楽しいけどね。いちいち反応が新鮮だから」
だがやはり癪に触る。
――池田屋で会ったあの風間と名乗る浪士には記憶が戻ったと告げたことも、この屯所にいる時とは全く異なる表情を彼に向けていたことも。
そんなことを考えるような雰囲気でなかったことは分かっていても、だ。
「さて、僕はどうしようかなぁ」
記憶がないにしても、そろそろ待つのも飽きてきた。
何かを考えてからどこかいたずらめいた表情で笑うと、沖田は身を翻して屋内に戻っていく。
これから彼の組は巡察だ。いつまでもこんなことをしているわけにもいかない。
どこか面倒そうな様子で、彼はその場を去って行った。
その沖田の背を、一人の者が剣呑な瞳で見つめていた。
「……沖田総司、ね」
朱色の瞳が木陰でらんらんと光る。
そこは、さきほど沖田のいた場所から大して距離はない。
ざあっと風に舞い上がる木の葉を気にした様子もなく、その背をしばらく見続ける。
少しばかりの敵意と期待がないまぜになった視線に彼は気づかない。――その者が、そのように気配を消しているからだ。
その背が見えなくなってもそこを見つめていたが、しばらくして目を閉じる。
風の流れに不穏なものを感じる。――まるで、何かを予兆するように。
忌ま忌ましい、と思いつつ、彼女は目を開けた。
「……姫様、あなたの本心は、いずこにあられるのですか?」
困ったようにも呆れたようにも見える表情で悠日のいた場所を見つめた牡丹は、そう小さくつぶやく。
もちろん、それへの返答はない。
沖田ではないが、彼女もまたどうするべきかを思い悩んでいた。
主の望まない行動に出ないことが彼女達に定められた遵守事項。
悠日の思いがどこにあるか分からない牡丹には、動きようがない。
もどかしさを覚えつつ、時の流れに任せるしかないか、と小さくため息をつくと、彼女はふっと姿を消した。