第四花 八目蘭

 そんな悠日の様子を気にした風もなく、男性――風間が口を開いた。


「残念だが、俺は今、頭領の地位にある。八年前のように後継ぎの地位にはない」


 その言葉に、一瞬驚いたように悠日は少し目を見開く。

 ……八年というのは、こうも長いものなのか。


「……なるほど、それなら納得もいきますね。――だからといって、私があなたを敬う理由にはなりませんよ、風間」

「『霞原は東西どちらにもつかぬ』か? 今更それが通じるとでも思っているのか、貴様は」


 風間の言葉に、悠日は呆れた風情で肩をすくめた。
 通じるとは思っていないが、どのみち敬うつもりも必要性もないのだから結局一緒だろう。


「……地位云々にこだわるつもりは毛頭ありませんから、この話はもうやめましょうか」


 このままこの話題を続けていたら夜が明けてしまう。

 それに、この話題のために呼び出したわけではないだろう。この場合、自分が譲歩しなければ突っ込んでくるのが風間の性だ。

 いい加減本題に入ってもらわなければ困るのはこちらなので、事実こだわる気のない地位の話を悠日の方からさっさと終わらせた。

 特に何か返してくる様子もないので、異存はないと取って悠日は口を開く。


「それで、私をここに呼び出した用件はなんなのです? 内容によっては答えず帰らせていただきますが」


 言外に早くしろと急かす悠日に、風間はさも面白そうに笑った。

 そんな彼の行動に多少の不快感を覚えたが、この性格にいちいち苛立っても仕方ないと自分に言い聞かせて気持ちを落ち着かせる。


「まずは質問以前の問題だ。……何故貴様がここにいる? 霞原の者は八年前に全て死んだと、一族すべてに話が伝わっているぞ」

「……某所に軟禁されていましてね。先日、そこでの騒動に乗じて、やっとのことで逃げてきました」


 思い出したくもない日々を思い出し、悠日は辛そうに顔を歪ませた。

 日の当たらない部屋の前には鍵のかけられた格子。決められた時間にやって来る食事、身の回りの世話のための侍女たち。

 ただ『生かされる』だけの生活。思い出したくもない。


「かの家のものが、私の存在自体を隠していたのでしょうね。――彼らなら、やりかねない」

「なるほどな。その様子ならば、貴様がいたのは土佐か」

「何故そんなことが言えます? 私はそのようなこと、言った覚えはありませんが」


 ある意味相手の気を逆なでするかのような物言いの悠日に、風間は不機嫌になるどころか、むしろ面白そうに笑いはじめた。

 喉の奥からの笑い声に、悠日はため息をつく。

 笑われるようなことを言った覚えもない。
 一体彼のつぼは何なのか、相変わらず不明だ。


「ここ最近で騒動が起きた一族はあそこ以外ない。騒動に乗じて逃げられるほどの騒動ならば、いまは土佐の一族しかないだろう。――鬼の頭領の情報網を甘く見てもらっては困るぞ、霞原の菖蒲」

「それは失礼しました」


 あらぬ方向に目をやりながら、悠日は全く気にした様子もなく皮肉混じりの口先だけの謝罪を示した。
 それに風間も面白そうに笑うだけだ。


「では、私の生存理由がそれで納得できたのなら、速やかに本題へ入って頂けませんか?」


 悠日がいないことが分かれば、屯所の中で騒ぎが起こる。その結果辛い思いをするのは、悠日を庇った形になる千鶴だ。

 彼女をそんな目には合わせたくなく、騒ぎにならないためには早く帰ることが最良。

 そんな悠日の心情を知るよしもない風間は、急かす悠日をうっとうしそうな目で見る。


「そう急ぐこともあるまい。――だが、確かに本題には触れておくべきではあるな」


 ふっ、となんとなく納得した風情で、真意の見えない笑みを悠日に向ける。


「霞原一族はお前を除き、既にない。……ならば、より血の確かな子が必要なのではないのか?」


 ゆったりとした歩調で、風間が悠日に近づく。獲物を追い込んだ獣のような足取りに、悠日の体がすくんで後ずさりすることしかできない。


「俺の元へ来れば、霞原の血の高潔さは守られる。――霞原の血を継ぐ唯一の生き残りであるお前には、その義務があるのではないのか?」


 先程までの緩慢さはどこへ、風間は唐突に悠日の腕を引き、池田屋で会ったあの時のように顎に手がかけられる。

 被布が、慣性で悠日の頭からはずれた。

 ――その髪や瞳は、普段と全く異なる色をしていた。


「……わざわざこの姿で来るとは、一体何の真似だ?」


 口端を吊り上げる風間に、悠日は鋭い視線を向ける。

 好きでこの姿で来たわけではない。だが、新選組の面々にばれずに屯所から出るには、この方が危険を少なくすることが出来るだけのこと。
 しかし、それを言う義理もないので、悠日はひたすら無言で風間を睨みつける。


「答えぬか。……まあいい。それにしても、桜の髪に菖蒲色の瞳。……未だ貴様は、『菖蒲』のままか。頭領の座にはまだつけぬと見える」

「あなたには関係ないでしょう? ……っ、離して!」


 だが、悠日の言葉を聞く気もないようで、風間はふ、と笑った。


「もう少し素直になったらどうだ? 未だ頭領でもない貴様が、西の鬼の頭領の妻となることに何の不服がある? 我が妻となれ、悠日。――悪いようにするつもりはない」

「誰があなたの元に嫁になど行くものですか!」


 気丈に叫ぶも、強い腕の力に抗えない。もがけばその分、腕の力は緩まず、むしろいっそう強くなった。


 そんな悠日の脳裏に思わず思い浮かんだのは、浅葱色の背中。
 血を吐きながら自分を後ろに庇ってくれた……。


 ――沖田さん……!


 彼が今屯所にいて、悠日が出ていることも知るよしもないことは分かっている。それでも――。

 顔を背けようが、悠日の力が風間に叶うはずもない。


「嫌だといっているでしょう! 離して!」

「叫んで助けでも求めているつもりか? 無駄だ、やめておけ」


 風間の顔が近づいてくる。恐怖と嫌悪でぎゅっと目を閉じると、ふ、と風間の笑う気配を感じた。

 そのとき。


 風の唸るような音が左の方から聞こえてくるのを、悠日は聞き取った。



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