第三花 花菖蒲
夜になると、屯所の中が慌ただしくなった。
「なんだか皆さん、ぴりぴりしてる……」
「うん。……私達、どうしたらいいのかな」
昼間のこともあって何か手伝いたいと言う千鶴とともに、悠日は広間の隅で二人縮こまっていた。
部屋に戻ればいいのだろうが、何となく機会を逃してしまった結果がこれである。
そんな中、不意に話し声が聞こえて二人はそちらに目を向ける。
話しているのは斎藤と原田だった。
「動ける隊士が足りない。近藤さんの隊は十人で動くそうだ」
話によれば、近藤の隊は池田屋に、土方の隊は二十四人で動くのだそうだ。
それだけしか使えないのは、腹痛で寝込んでいる隊士が沢山いるからだ。
おそらく、この暑いのに痛みやすいものを食べたりしたのだろう。あくまで推測に過ぎないが、悠日はそう考えていた。
食事係が気をつけていても、彼らが勝手に食したものまで責任は取れるはずもないので、対処が難しい。
「……そういえば、あいつらは使わないのか?」
原田の言葉に、悠日と千鶴は顔を見合わせた。
あいつら……?
「しばらく実戦から遠ざけるらしい。……血に触れると俺達の指示も聞かずに狂われてはたまらん」
血。狂う。――その単語に、二人は思い当たるものがある。
詳しい話を知らない悠日も、【それ】を見た。
なぜなら、彼女の今の記憶はそこから始まっているのだから。
だが、それを口にした途端向けられた敵意を思うと、きっとこの話は聞くとまずい話なのだろう。
部屋に戻ろう、と隣で目と耳をふさいでいた千鶴を促しかけた時、不意に声を掛けられた。
「……ん? 雪村君に霞原君、こんな所で何をしているのかね?」
近藤だ。羽織に身を包んだ姿から、彼自身の準備は済んだらしい。
「すみません。何か手伝えることがないかと思って、こちらに来たのですが」
「なんだか、じっとしていられなくて。でもなかなか手伝えることも見つからなくて……」
悠日と千鶴の言葉に、近藤はなるほどな、と頷いた。
「討ち入り前で、皆も高揚しているしな。君たちもそれに影響されてしまったかな」
その言葉に悠日は苦笑した。
――高揚というよりむしろ『殺ってやる』と殺気立っている気がするのは気のせいだろうか。
「おおそうだ。君達も一緒に来るか?」
「え…!?」
近藤の言葉に、悠日と千鶴は目を見張った。
討ち入りに参加すると言うことだ。
「伝令役になってもらえるとありがたいんだが……。もちろん、君達に無理は言わせん。……どうかね?」
確かに、近藤の組は人数が少ないから分からないでもない。しかし、千鶴はともかく悠日にまで誘いがあったため、悠日は困惑して眉を寄せた。
「あの、近藤さん。私は護身術すら知りませんので……」
「私も、京の道はよく分かりませんし…」
そんな事情があってお互いになかなか頷けない。
仮に参加するにしても、足手まといにしかならないのはやはり嫌だった。
そこに、先程まで斎藤と話していた原田が三人の許にやってきた。
「お? 近藤さん、どうしたんだ?」
「ああ、左之か。実はな――」
先程の話を原田に話すと、なんだ、と彼は楽しげに笑った。
「だったらお前ら二人で常に動けばいいじゃねえか。悠日の護身術云々は千鶴が補って、道の方は悠日が補えば問題ねぇだろ? 二人で一人、丁度いいだろ?」
ある意味その通りの提案に、悠日達は少し難色を示す。それでいいのかと、二人は近藤を見上げれば、近藤は驚いた表情をしていた。
「何? 霞原君は京の道が分かるのか?!」
「そうらしいぜ。今日の昼、通りの覚え歌歌ってたろ、お前。ほら、えーと」
「丸竹夷のあれ、ですよね。……確かに、道は分かると思いますが……」
「ならばこちらも助かる。……俺も左之の考えに賛成だが、どうだろうか?」
再度の頼みに、千鶴と悠日は互いに顔を見合わせてから頷いた。
「……伝令役くらいでしたら」
「ご同行させてください」
その言葉に、近藤は満面の笑みで頷いた。
池田屋に向かいながら、千鶴と悠日は話をした。
「でも、知らなかったな。悠日ちゃんが都の通名覚えてるなんて」
「昨日偶然思い出したの。そうしたら京の道も思い出して……。ここに住んでいたっていうことは間違いないことが分かった気がして、少しほっとしてる」
自身でも素性は分からないが、少しでも自分に関して分かったのが嬉しい悠日である。
そんな話をしていたとき、急に声を掛けられて二人は振り返った。
「君達も僕達と行くことになったんだって?」
そこには沖田と藤堂、永倉がいた。
近藤と同じく池田屋方面で動く隊の組長達だ。
「二人とも本当にいいのか? 一応討ち入りだし、その、見れた物じゃなくなる可能性だってあるしさ」
心配そうにそう言う藤堂に、千鶴と悠日は微苦笑した。
「でも、私に出来ることがあるならやりたいなって思って……」
「足手まといにならないようには気をつけますから」
こちらを見る沖田の目が『足手まといになる子は斬っちゃうよ』と言っているように見えて、悠日は思わずそう言った。
案の定そう思っていたらしい沖田は、にやりと笑って悠日を見る。
「うん、その点は気をつけてね、二人とも。足手まといになるようなら、僕が斬っちゃうからね」
毎度お馴染みの本気か否か分からないその言葉に、二人はなんとも言えない笑顔で頷くしかなかった。