第三花 花菖蒲

「桝屋喜右衛門と身分を偽っているのは、長州の間者の古高俊太郎だった。我々はその事実を知った上で彼を泳がせていた。……違いますか、沖田君?」


 山南の言葉に、沖田は口をとがらせて反論する。


「その通りですけど……。でも、捕まえるしかない状況だったんですよ。そんなに怒らないで下さいよ」

「まぁ、確かにある意味では大手柄だろうがなぁ」


 そんな沖田に、悠日の横に座した原田に続き、藤堂がからかうような口調で言った。


「でもさ、その古高を泳がせるために頑張ってた島田君や山崎君に悪いとか、そういうことは思わないわけ?」


 そんな彼を制したのは、名前が出た島田だった。


「我々のことはあまり気にせんでください。私達も古高に関しては少々手詰まり状態でしたから、むしろ助かりました」

「それに、古高捕縛は、既に済まされた事柄ですので、不満を述べるつもりはありません」


 続いた山崎のその言葉に、永倉が感心したように言った。


「殊勝な奴らだよなぁ、お前ら……」


 はっきりと言い切った訳ではないが、嫌味にしか聞こえない。もちろん沖田の不機嫌度は増した。

 見ているしかない悠日は、古高捕縛云々よりも千鶴が心配だった。幹部の、しかも最近ぴりぴりしがちな山南に叱られているのだ。
 彼女の非がなんなのか分からないが、それでも心配せずにいられない。

 そう思っていた矢先、千鶴が少し辛そうな表情で口を開いた。


「……私が悪いんです。人の波に流されてしまって、その後すぐに皆さんのところに戻ろうとしなかったから…」

「ですが、彼女への監督不行き届きも、君の責任ではありませんか、沖田くん?」


 一生懸命説明したが山南にばっさりと切り捨てられ、千鶴はうなだれてしまった。

 さらに厳しい言葉が二人に降り注ぐのを見ているのがなんだか辛くなり、悠日も俯いてしまう。

 そのとき、土方が部屋に入ってきた。


「そいつに外出許可を出したのは俺だ。こいつらばかり責めないでやってくれ、山南さん」


 その声が怒っても焦ってもいないことに少しホッとして、悠日はそっと胸を撫で下ろした。山南もそれに苦笑を浮かべつつ、言葉を飲み込んだのが窺える。


「……土方さんが来たってことは、古高の拷問も終わったのか?」


 拷問。その言葉を聞くと、悠日の背筋が少し凍った。
 肉体を傷つけられる拷問は痛いに違いない。ただでさえ素性が怪しいのに尋問で済んだ自分が奇跡のように思えてしまう。

 あの釘とろうそくがどう使われたのか、想像したくもない。


「古高が言うには、風の強い日を選んで京の都に火を放ち、あわよくば天皇を長州へ連れ出すって算段らしい」


 一瞬意味をはかりかねて悠日は瞬きを繰り返したが、じきに理解して真っ青になった。


「都に、火を……」

「長州の奴ら、そんなこと考えるたぁ、頭のねじが緩んでるんじゃねぇの?」


 そんな悠日の横で苦々しそうに永倉がそう口にするそれに藤堂と斎藤が呆れたように続けた。


「単に天子様誘拐計画だろ? 尊王を掲げてるくせに全然敬ってねーじゃん」

「……何にせよ、見過ごせるものではない」


 幹部全員が理解したところで、土方が指示を出す。空気が緊張するのを感じ、千鶴と悠日は自然と寄り添った。
 この場で、自分達は場違いな存在だからだ。


「奴らの会合は今夜の可能性が高い。てめえらも出動準備をしておけ」


 それに面々も様々な反応を見せつつ土方の言葉に了承の意を示した。


「……それから、綱道さんのことだが、長州の者と桝屋に来たことがあるらしい。――分かったのは、それだけだ」

「え?」

「……父様が、長州の人と……?」


 何がどういうことか分からなくて混乱した様子の千鶴に、悠日も心配そうに目を向ける。


「でも幕府と長州は、仲が悪いはずではないのですか……?」

「……なのに、どうして父様が、その人達と一緒に……?」


 悠日には答えようもなく、幹部の誰も答えはしない。――誰もがそう思っているのだ。


「……取りあえず、古高の件は以上だ。昼飯にするか。準備は……」

 土方の言葉に、悠日は顔を上げた。


「御膳の準備は出来ています。すぐに運びますね」


 そう言って立ち上がった悠日に続き、千鶴も立ち上がった。


「私も手伝うよ」

「いいの? 今日は当番じゃないのに」

「うん。……ちょっと、動きたいかなって…」


 先ほどのことが衝撃だったのだろう。
 一緒に勝手場に向かう悠日と千鶴の後に原田と永倉も続く。


「どうして、父様が長州の人達と……。だって父様は、幕府の味方のはずで……」

「もしかしたら、好きで一緒にいるわけじゃないかもしれないでしょう? 別の人ってこともありえるもの。あまり気にしないほうがいいと思う」


 ね? と笑う悠日に、千鶴もようやく笑顔を見せたのだった。


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