第三花 花菖蒲

 千鶴と悠日が新選組に厄介になり始めてから早半年。
 朝から蒸し暑い、元治元年六月五日。

 今日の昼食当番は原田・永倉と悠日だった。



「まーるたけえーびすにおーしおーいけー」


 軽快な高い歌声が、勝手場に向かって近づいてくる。
 声の主に気づき、永倉は首を傾げた。


「なんだ、ありゃ。歌ってんの悠日ちゃんだろ?」

「どの道ここに来るんだ、訊けばいいじゃねえか」


 そんな永倉に、原田は呆れたような笑みを浮かべる。
 彼らがそんな会話を続けている間も、その歌は続いていた。


「あーねさんろっかく、たこにしきー」


 しばらく待てば、呪文にも聞こえるそれを口ずさみながら、悠日が勝手場につく。


「しあやぶったかまつまーんごーじょう……。あ、すみません。ちょっと遅かったですか?」


 歌い終わりと共に勝手場にひょっこり顔を出して、悠日が申し訳なさそうに謝罪を口にする。そんな悠日に、二人は手を振った。


「いや、俺達が早過ぎただけだから心配すんな。ところで、千鶴はどうした?」

「千鶴ちゃんなら、沖田さんと一緒に巡察にいきました。やっとお父様を捜せるから喜んでました」


 悠日は自分のことのように嬉しそうに笑った。
 そんな彼女の頭を叩きつつ、そうか、と原田は笑う。


「でも、お前も、たまにはここから出たいんじゃねえか? ずっと屯所の中ってのも息が詰まるだろ」

「でも、私は千鶴ちゃんみたいに多少の護身術も使えませんし、外に出る理由もありませんから。一応沖田さんと斎藤さんが、土方さんに掛け合って下さってはいるらしいです」


 だから許可が出るまで我慢します、と悠日は朗らかにそう言った。
 可能性がないとは言われなかったことが嬉しかったのだろう。


「まぁなぁ……。ま、もう少し辛抱してれば何かいいことでもあるさ」

「はい」


 じゃあ私も始めますね、と悠日も準備に取り掛かりはじめる。

 本日の献立は、[あゆ]の甘露煮と焼茄子らしい。
 随分手の込んだものを企画したものだと思う悠日である。

 なぜなら。

 甘露煮の係は悠日だったりするからだ。


「……そういや悠日ちゃん。さっき歌ってたあれ、なんだ?」


 鮎の下準備は昨日のうちに済ませてあるので、残りの味付けと煮込みの準備に入った悠日は、目を瞬かせた。


「えっと……『丸竹夷〜』のあれですか?」

「おう。ありゃなんだ?」

「京の通りの覚え歌です。昨日沖田さんと一緒に子供達に入りを教えてもらったら、思い出しまして」


 へえ、と原田が感心したように言った。


「なんだかんだで記憶は戻ってるってことか?」

「自分自身についてはさっぱりですけど……それ以外のことはきっかけさえあれば思い出しています。基本京のことが多いので、ここに縁があるのかもしれない、ということが分かるような分からないような…そんな感じです」


 すみません、と苦笑する悠日に、気にすんな、と二人が悠日の頭を叩いた。


「で、その覚え歌ってのは……」

「さっき歌っていたのは東西の通りで、通称『丸竹夷』です。南北は『寺御幸[てらごこ]』って言います。……ご存知なかったですか?」

「初めて聞いたぞ、俺は。……てか、なぜにまるたけ…」

「丸竹夷二押御池……丸太町通、竹屋町通、夷川通、二条通、押小路通、御池通……と、北から南に向かって歌われているんです」


 口を動かしながら甘露煮を作っていく悠日に感心しながら、原田と永倉はへえ、と目を丸くした。


「そのあとは『姉三六角蛸錦 四綾仏高松万五条』と続きます。順に姉小路通、三条通、六角通、蛸薬師通、錦小路通、四条通、綾小路通、仏光寺通、高辻通、松原通、万寿寺通、五条通になってます」

「……五条から先はないのか? まだあるだろ、雪駄屋町とか六条とか」

「私は五条までしか歌は知らないので……。五条から先には町屋もあまりないので、その辺りが理由みたいです」


 へーえ、と二人は感心した風情で悠日の話を聞いていた。
 その声に振り返った悠日は、それを見て思わず苦笑する。


「あの、お二人とも手が止まってますよ」


 茄子の下ごしらえをする永倉とみそ汁作りをする原田が手を止めて話を聞いているのを見て、悠日はそれを指摘した。


「甘露煮はやりますから、そちらはお願いしますね」

「悪い悪い。つい話に聴き入っちまった」


 いえ、と悠日は首を振り、にっこりと笑った。


「うし、じゃあやるか! 悠日ちゃんの味付けはすげーうまいからな! 期待してるぜ!」

「……ご期待に沿えるように頑張ります……」


 これで味付けに失敗したらなんと言われるのだろうか。
 そんな小さな不安を抱えながら、悠日は甘露煮作りをするのだった。



















 大半の準備が終わった頃、玄関口が急に騒がしくなった。


「妙に騒がしいな……。何だってんだ?」

「巡察で何かあったんでしょうか?」


 甘露煮を煮詰めていた悠日がそう言って不安そうに首を傾げたのと、勝手場に藤堂が駆け込んで来たのはほぼ同時だった。


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