第二花 露草

 いつもの賑やかな夕飯の時間。
 やはりおかずを盗られてご飯と味噌汁で食事をとる悠日も、横で争奪戦を繰り広げられて苦笑気味の千鶴も、ある意味有意義に食事をとっていた。

 そんなわいわいと楽しい時間。その空間にはそぐわない空気をまとって、井上が広間に入ってきた。


「皆、ちょっといいかい」


 彼の真剣そのものの表情に、一瞬で空気が硬くなる。
 それを肌で感じ、悠日と千鶴が不安げに顔を見合わせた。


「大坂に居る土方さんから手紙が届いたんだが……山南さんが隊務中に重傷を負ったらしい」


 皆が一斉に息を呑んだ。硬かった空気に緊張が走る。悠日も思わず目を見張った。


「呉服屋に無理矢理押し入った浪士達を退けた時に、左腕に傷を受けたらしくてね。相当の深手らしいが、命に別状はないらしい」

「良かった……!」


 千鶴がほっとした風情でそう言ったが、悠日にはどうしてもそう思えなかった。

 ……幹部全員が、厳しい表情のままだったから。


「あと数日経てば屯所に帰ってくると思うよ。……それじゃ、私は近藤さんと話があるから」


 そう言って井上は広間を出ていった。

 重苦しい空気が場を包み、食事どころではない。そんな中、口を開いたのは斎藤だった。


「お前も分かっていると思うが、刀は片手では容易に扱えるものではない。最悪、山南さんは二度と真剣を振るえないだろう」


 千鶴と悠日は、皆が何を憂えていたのかようやく理解した。

 刀を振るえないというのは、武士にとっては何よりの屈辱だろう。

 ……命は助かっても、刀を振るえなくなった彼は、武士ではなくなってしまうことも意味するのかもしれない。

 それを思うと、悠日は何を言っていいか分からなくなった。


「片腕では刀の威力はかなり損なわれる。そして、鍔ぜり合いになれば確実に負ける」


 斎藤の言葉をそこまで聞いて、剣術の知識のない悠日でも、どういうことか意味は分かった。

 両腕が健全だからこそ、刀は振るえるのだ。
 左腕が使えなくなれば――当然刀もろくに振るえなくなる。

 そんなことを考えていた悠日の横で、ふう、と沖田がため息をついた。


「最悪、薬でもなんでも使ってもらうしか、方法はないですね。山南さんも、納得してくれるんじゃないですか」

「総司。滅多なこと言うんじゃねぇよ。……幹部が『新撰組』入りしてどうするんだ」


 その言葉に、悠日と千鶴は不思議そうに首を傾げた。

 彼は、新選組の幹部のはずだ。なぜ今更、改めて新選組に入る必要があるのだろうか?


「新選組は、新選組ですよね……?」


 同じことを考えていたのか、千鶴がそう口にした。
 それに答えるために、藤堂が空中に文字を書く。
 そこに書かれたのは『新選組』の『選』の文字。


「普通の『新選組』ってこう書くだろ? 『新撰組』っていうのはその選の字を手偏にして……」

「平助!!」


 藤堂がそこまで説明したその時、原田が彼を問答無用と言わんばかりに殴り飛ばした。
 膳が衝撃でひっくり返り、いくつかの皿が割れた。


「いってぇ……」


 硬直して声も出せない悠日は、その藤堂の声ではっと我に返る。
 蒼白なのは、急な状況にびっくりしたためだ。


「平助君、大丈夫……!?」


 千鶴が心底心配そうに藤堂を気遣う。その横で永倉が疲れたように息をついた。


「やりすぎだぞ、左之。それと平助も、こいつらのことを考えろ。左之ばっかり責められる状況じゃねぇぞ」

「……え?」


 私達? と千鶴と悠日は首を傾げた。
 『自分たちの存在を考えてくれ』とは、どういうことなのだろう。


 ――聞いては、いけないことだった……?

 そう思って、悠日は更に青くなる。


「……悪かったな」

「いや、今のは俺も悪かったしさ……。左之さんはすぐ手が出るんだからなぁ……もうちょっと手加減してくれてもいいじゃん」


 短く謝った原田に藤堂が曖昧に苦笑してそう返す。

 原田に手加減がなかったとはいえ、その行動が正しかったのだと窺える。
 そんなことを考えていたとき、永倉が悠日と千鶴の方を向いて言った。


「……さっきの平助の話は、お前らに聞かせられるぎりぎりのところだ。これ以上のことは教えられねえ。気になるだろうが、何も訊かないでもらえるか」


 言葉も口調も優しいのに、そこにあるのは真剣さそのもので、触れてしまえばいつ身を裂かれるか、そんな鋭利なものが含まれている気がした。

 それでも釈然としない。聞いてはいけないと分かっているのに気になってしまうのは、人間の性だ。
 そんなことが顔に出ていたのか、悠日の隣の沖田が冷たい声で付け足す。


「『新撰組』っていうのはね、可哀相な人達のことだよ」


 これ以上気にするなら斬っちゃうよ。

 そんな声が聞こえるかのような声色だった。思わず見上げた先にあった薄緑の瞳は、底冷えするような暗い色をしている。

 それはさながら、闇夜でひらめく刀のような。


「とにかく、二人とも何も気にすることねえよ。だから、そんな顔するなって」


 取り成すように言った永倉に、千鶴と悠日は目を軽く伏せる。
 部外者が踏み込む領域ではないのは分かっていても、どこか悔しさを覚える。

 そんな二人に、斎藤が淡々と言った。


「それ以上の詮索は、お前たちの生き死ににも関わりかねん。忘れるのが身のためだ」

「……はい」


 悠日は頷くしかなかった。千鶴も悔しそうに唇を噛む。


 関係者と部外者の間にあるあまりに高く固い壁は、彼女達二人を容易に跳ね返す。

 元より分かっていたことを、改めて理解させられた時間だった。



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