第十四花 柊

 だが、そこで腑に落ちないのは、すでにその約定がない――血を与えようと思えば与えられる悠日の存在がありながら、牡丹が行動を共にしたいと言っている理由だった。

 千姫も人の世に関わらせるつもりはない、と言っていたくらいだ、本来であれば隠れ住んでいるだろう彼女が出てくる理由が見当たらない。


「……それで、お前が俺たちと行動を共にしたいってのは、どうしてだ?」

「お前たちと敵対している新政府軍。――そこで、姫の血が利用されている」


 先ほどの話を聞いたうえでのそれは、彼らを戦慄させた。形勢が逆転し、錦衣の御旗が揚がった以上、こちらが『賊軍』だ。これからも敵に回る相手は増えていく状況で、あちらにそれがあるのは彼らにとって悪い知らせ以外の何物でもない。
 敵意を見せた土方たちに、牡丹はつと目を細めた。


「もちろん、姫の意思ではない。姫の血は人の世の条理を覆してしまうことを姫本人が何よりご存じだ。だが、人は利用できるものはなんでも利用する。違うか?」


 変若水に手を出したことを示されていると理解し、土方は苦い表情をした。
 変若水は人道に背くような薬だ。それでも、新選組にはそれが必要なものだったのは事実だ。反論も弁明もすることなく、土方は話の続きを待つ。
 返答を期待していなかった牡丹は、土方の表情を見ただけでその意味を理解して話を続けた。


「利用されていると言っても、姫の血そのものだけなら何ら問題はない。少しならば傷や病を治す薬になるだけだし、多すぎれば狂い死ぬだけだ。それそのものが覆ることもない。だが、新政府側はよりによって、姫の血を変若水に混入させた」

「……ちょっと待て。新政府側にも、変若水があるってのか……?」


 永倉が愕然とした様子でそうつぶやく。変若水の存在自体幕府から匂わされたものだ。敵対していた相手側にそれがあるとは彼らとて考えてなどいなかっただろう。
 そこに追い打ちをかけるように、牡丹は淡々と続きを述べる。


「その通りだ。……そして、私たちも捕らえられてから初めて知ったことだが、あちら側には綱道が捕らえられている」

「え……父様が……?」

「あの様子だと、恐らく脅迫されて変若水の研究を向こうで続けているのだと思われます。その副作用を抑える方法も分かっているそうです。……その方法の一つが、姫の血を混入させた変若水」

「へぇ……」


 結局山南さんが言っていたそれは事実には違いなかったのか、とそんなことを思いながら土方はつぶやく。少なくとも千鶴の血では無理だった可能性は高くても、悠日のものであればそれが叶ったわけだ。
 しかし、そんな考えを見抜くように牡丹は敵意を隠さない瞳とともに言葉を返す。


「だが、鬼の一族にとって、それはたいそう面倒なことになる」

「ほぉ、なぜだ?」

「……姫は、鬼を抑える力を持っている」

「抑える……?」

「風間の頭領が屯所へ直接来なかったのは、姫がいたことも大きい。――本気になれば、鬼の一人や二人抑えつけることなど、姫には造作もない」

「……そういえば、天霧さんもそんなようなこと言ってた……」


 藤堂が変若水を呑む前――御陵衛士にいたころ、偶然助けられたあの時。その話は、今もなおこの新選組の中では千鶴しか知らない事実だ。それをわざわざ言う必要はなかったからなのだが、まさかその話がこの話につながるなどとは思ってもみず、千鶴は目を見張る。


「で、それが変若水に何の影響があるってんだ?」

「変若水の作用そのものすべてを相殺してしまうのであれば問題はなかったが……そもそもあれは、異国の鬼の血だからな。姫の力すべてが及ぶわけではないのだろう」


 淡々と述べたその言葉に、この場にいる全員が息を呑んだ。


「おい待て、今お前……変若水が何だって言った……?」

「異国の鬼の血だ。西洋諸国にいる、この日ノ本とは違う種類の鬼だと言えば分かりやすいか? やはり知らなかったか」

「……お前、その情報はどこで……」

「綱道が独自に調べたと言っていたな。おそらく、阿蘭陀[オランダ]から入って来たんだろう」


 西洋の鬼は、この日ノ本の鬼とは異なり血を呑まなければ生きていけない。血が濃ければ濃いほどその要素は強く、徒人がその血を受ければ鬼と化す。この国の鬼の性質とは大きく異なるそれは、薬の一つとしてこの国に持ち込まれた。


「……それで?」

「姫は、かなり薄いがその血を引いていらっしゃる。極限まで追い込まれた時、血を欲するのはそのせいだ。だが、もともとこの国の鬼の血の方が濃い。この国の鬼を抑える力に関しては右に出る者はいないが、相手が異国の鬼となれば勝手が違う」


 この国の鬼の血を持つものであれば、誰であれ悠日の一族に反することは難しい。さすがに自然と人の血が濃くなり、鬼の血を雀の涙程度しか引かないような相手には通用しないが、鬼の一族に分類される者であれば確実に逆らえない。

 だが、牡丹の言うように、それは相手が『この国の鬼』であればこそだ。いくら外つ国の鬼の血をわずかに引いているとはいえ、その血は管轄外ともいえる。その血が入る前から霞原の一族が持っていた力なのだから、異国の鬼は制御できる範囲にない可能性が高い。実証したことがあるわけではないから、こればかりはその場にならなければ分からないのだが。


「それを混合した変若水を飲んだ奴らには、その力が及ばない、ってことか……?」

「風間ほど上位の鬼ともなればそれを撃退することもできるだろうが、普通の鬼、しかも人の血が多く混じってしまった一族であれば、その力に対応することは難しいだろうな。姫の『鬼を抑える力』も効かない可能性がある。最悪なのは、鬼を抑える力を持つ羅刹であることだ。そちらの方がよほど問題だな。……どちらにしても、ただの憶測でしかないがな」


 悠日や牡丹がひどく懸念しているのは後者の可能性だ。その力がその羅刹たちにないのであれば何の問題もないのだが、もしそれが真実となったのであれば、血が薄く力の弱い鬼の一族は、ひとたまりもなく蹂躙される。


「……で、お前はどうしたいってんだ」


 ようやく結論へ持っていけるのか、とそんな心持で返した土方に、牡丹は顔色一つ変えず言い放った。


「おそらく、新政府側は戦力として投入してくるだろう。羅刹を――特に、姫の血が及んだ羅刹を始末する必要がある」

「始末って……」

「殺す、ってことだろ。……それは、悠日も承知してんのか?」


 藤堂の言葉に原田が事実を突きつける。それについて牡丹は否定せず、向けられた問いに答えた。


「ええ。快復すれば、姫本人も出ていらっしゃるでしょう。……それまでは、私も姫の代わりに動く必要がありますので」

「それで、その新政府側と敵対してる俺らと行動を共にしたい、ってことか」


 敵の敵は味方、という関係と考えるのが妥当だろう。羅刹に関わることしか手を貸さない、という意味でのものだろうが、その羅刹に手を焼く可能性は非常に高い。常人で対応できるはずがないのが羅刹だ。牡丹の力量はほとんど未知数とは言え、できると断言しているその表情に迷いも恐れも見られなかった。


「……分かった、好きにしろ。ただし、おかしな行動を見せてみろ。――容赦なく切り捨てる」

「どうぞご自由に」


 できるものなら、と言外に告げられたそれを何となしに察しながら、新選組の面々は牡丹の申し出を承諾するほかなかった。







 その日、自身が賊軍になることを恐れてか、戦況を不利と考えたのか、各藩に裏切りが続出、さらには将軍が江戸へ撤退したことを受け、新選組もそれに続いて江戸へと引き上げることが決まったが、その中に井上と山崎の姿はなく。

 それを聞いた牡丹は、ほんの少しの寂寥感をのぞかせながらそうかと呟いた。

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