第十四花 柊

 千姫たちと別れた千鶴たちは、牡丹という強い味方が加わったこともあり、大坂までなんとか辿り着くことができた。淀を抜けるときには少々ひやひやしたが、牡丹の機転のおかげもあって抜けることができたため、千鶴たちが揃って安堵したのは言うまでもない。

 そうしてたどり着いた大坂だが、どこか空気が重苦しく思うのは、こちらが『朝敵』側になり、これまでの立場から全く逆の方向に向いてしまったからだろうか。

 ここまであまり口を開かずにやってきたが、大坂に入ったこともあってか、話したいと言っていた牡丹が人の目を避けるように人気のない場所へと移動し、とつとつと話し始める。さわりと頬を撫でる冬の風は冷たく、どこか責を含むように剣を帯びていた。


「……まずは姫のご容体についてですが、半月前にようやく目を覚まされました。怪我はすでに治っていらっしゃいますが、まだ自由に動き回れるほど回復はされておりません」

「……そう、なんですか……」


 まず何よりも心配していただろう悠日の容態に、千鶴は複雑な表情を浮かべる。無事ではあるが回復していないということは、それだけ消耗していたということにほかならない。そんな千鶴にちらと視線を向けてから、牡丹は藤堂へそれをよこした。


「で、藤堂。お前、姫に関して誰かに話したか?」

「千鶴には話したけど、土方さんには俺からは何も言ってねぇな」

「あ、でも、斎藤さんから話を聞いたって、土方さんは言ってたよ。……山南さんは、私と平助君が話してるのを聞いて知ってるって言ってたけど……」


 直接の表現でないそれが何を示すか、千鶴も藤堂もすぐに察してそう答える。それでも二人の表情はどこか重苦しく、それなりに霞原の重い事情を聞き知ってしまったのだと、牡丹も理解した。
 千鶴の表情があまりに思わしくなく、牡丹は気遣うように千鶴を覗き込む。


「……千鶴様、何かあったのですか?」

「悠日ちゃんの血にあるような力が鬼にあるなら、私の血も変若水と混ぜれば副作用を抑えられるんじゃないか、って……」


 それを聞いた牡丹は、仇敵を見つめるような、そんな表情を一瞬見せた。一瞬漂った殺気に藤堂は半ば無意識に刀へと手をやり、千鶴は肩を震わせる。
 そんな双方の反応を見て、牡丹は少々バツが悪そうにしながら空気を和らげるように小さく息をついた。


「……大坂城についた暁に、土方とあなた方を交えて話をさせて頂いてもよろしいか? できるのであれば、土方以外の人物には人払いをかけた上で」


 先程ほど剣はないものの、それでもまだその双眸の奥には忌々しそうな光が宿ったままだ。安心させるように千鶴を引き寄せながら、藤堂は多分、と前置きをして牡丹の言葉に答える。


「俺と千鶴がいるなら、土方さんも何も言わねぇとは思うけど……新八っあんと左之さんがなぁ……」

「その二人であれば最悪構わない。面倒極まりないが」

「何か、あるんですか……?」

「その件に関して力を借りたいことがあるのです。……新政府側を敵としている点では、私も姫も変わりませんのでね」


 だが、それもまた苦渋の決断とでも言わんばかりに、あまり良い表情を浮かべてはいなかった。どういうことかという千鶴の口以上に物を言う視線を受けて、この二人ならまあ問題ないか、と思いながら差し支えのない範囲で牡丹は言葉を付け足した。


「本来であれば、我々鬼の一族は人の世の戦に関与することは禁じられているのですが……今回は、巻き込まれた件で精算しなければならないことがあります。その話の中で、これまで黙していた件も話す必要が出てきたので。――ただ、あまり広く知られたくはない事項ですので、必要最小限の人間にのみという形にしたいのですよ。近藤があの状態である以上、土方が最低限、譲歩して古参であって上にいる人間に話す形になります」

「悠日ちゃんは、そのことを知って……?」

「もちろんご存知です。もしもの場合はその話をしていいという許可も頂いております。そもそも、私がこうして動いているのは姫の命でもありますから。そして、どういう場合にどう動けばよいのか、という指示も。……もちろん、私の独断で動くこともありましょうが、それは一族そのものに関わる重要事項でない場合のみです」


 あくまで彼女は悠日の目であり手足であるのだろう。それを当然とする姿勢に千鶴も藤堂も理解は及ばないのだが、少なくとも悠日に不利になるようなことをする人物でないことも彼らは分かっていた。その延長線上で千鶴に危害を加えることがないことも、だ。
 だからこそ信頼して大坂城までともに向かっているのであるが。


「……悠日ちゃんの傍には、今誰か居るんですよね?」

「はい。少なくとも、私と姫にとっては信頼できる相手であることは確かですよ。千鶴様もご存じの者です。と言っても、あなたにとってはあまり良い印象のないものでしょうが……」


 牡丹のどこか苦笑いに近しい笑みは随分と珍しく、千鶴も藤堂も軽く瞠目する。それに気づきつつも、牡丹に咎める素振りはない。それにホッとしつつ、千鶴は少し考えてみた。

 千鶴が知っていて、おそらく悠日や牡丹と共通の知り合い、その中であまりいい感情を抱いておらず、直近で出会っていない人物となると一人しか思い浮かばなかった。


「……もしかして、不知火さん、とか……」

「もしかしなくてもそうです」


 ためらいなく出た牡丹の言葉に、一瞬聞き間違いかと思って藤堂も千鶴も二の句が告げなかった。そんな彼らに、牡丹は再度答えを差し向ける。


「不知火匡で間違いありませんよ」

「それって大丈夫なの!?」

「問題ありません。先日千姫様にお話したとおり、あの一族は我が一族へ悪い方向での干渉をしないよう厳命されておりますので」


 なんの心配もいらない、と言わんばかりの牡丹の言葉に、千鶴と藤堂はつい互いに顔を見合わせた。不知火というと拳銃を手に牽制をかけてきた鬼である。確かに風間や天霧ほどしょっちゅう顔を合わせているわけではないが、それでも印象は強烈だ。

 ましてや結構好戦的な印象も強く、あれが悠日と牡丹が信頼を置く相手というのが信じられない。そんな中、千姫と話していた時の話を思い出して、千鶴は小さく声を上げた。


「そういえば、大伯父の代から、とか何とか……」

「はい。それに、鬼の一族の同族意識は人よりも強いのです。人の血が入っているとはいえ、霞原もまた血筋の良い鬼であることに違いないので、そう言う意味でも普通の鬼が手を出すことはありません」


 そうでなければ、鬼の一族はとうの昔に滅んでいたはずだ。人との関わりを避け、鬼同士の仲間意識の強さもあってここまで生存できているのだから、良いことではあるのだろう。


「……じゃあ、やっぱり悠日ちゃんに関わったのは、人間……?」

「いえ、お一人だけ、そこに関わっていた鬼はいらっしゃいました。……千鶴様、南雲薫という方をご存知ですね?」

「あ……はい、前に町で会ったんですけど……じゃあ、薫さんが……」


 三度目である先日の邂逅は、あまり気分のいいものではなかった。しかもそれまでとは全く異なる態度と口調で、千鶴自身未だにその件に関しては混乱しているのを自覚している。
 藤堂もそれを知っているからこそ、苦い表情を浮かべている。

 その千鶴の発言に、牡丹は小さく息をついた。


「……覚えていらっしゃるのは、やはりそれだけですか…………」

「え、それは……どういう……」


 戸惑いを隠せない様子の千鶴に、牡丹はつと目を細めて尋ねる。


「一つ、お伺いします。あなたの一族――雪村の一族が滅びたことと、それからあとの一族の動向。……知りたいと思いますか?」

「え…………?」

「当時、あなたは五つくらいだったはずです。覚えているか覚えていないか、それくらいの微妙な時期でしょう。私も伝え聞いた話でしかありませんが、そう言う意味では知っています。知りたいとおっしゃるのでしたら、お話することもできますが」


 突然の千鶴自身の身の上の話に移り、目を白黒させる千鶴の様子に藤堂は落ち着けとその手を握る。少しだけ気が休まったらしい千鶴は、どう答えていいか分からず目を泳がせた。


「それ、は……」

「姫は、それを千鶴様に伝えるも伝えないも、千鶴様次第だとおっしゃっていました。当時の記憶がない理由も、姫は分かっていらっしゃいます。そして、お伝えする事実が、今のあなたの立場では残酷なものであるということも」


 覚悟が必要なことなのだと、牡丹の言葉の端々から感じ取れる。それが分かるからこそ、千鶴は今の自分に受け止められるだけの余裕がないことを自覚し、ゆるゆると首を振った。


「……すみません……少し、考えさせてもらってもいいですか?」

「はい、少しと言わずゆっくりお考えください。私も急かすつもりはありませんので」


 今すぐ知らなければならないことであれば、どれだけ残酷なことでも牡丹は千鶴に告げていた。告げなかったのは、知っているのと知らないのとでは感覚が異なってくる、という程度で進退に影響するようなものではないからだ。


「それと、先の千姫様の話ですが……」

「あ、それ……」


 気にはなっていたらしい千鶴は、身を乗り出すように牡丹へと詰め寄った。


「あれって、お千ちゃんが私の身代わりになるってこと!?」

「……そういう側面がない、というわけもありませんが、千姫様の言葉もまた事実なのです」

「どういうことなんですか……?」


 鬼の世の仕組みが分かっていない千鶴にとって、その言葉はなかなか理解しづらいものだろう。千姫や悠日のように、それらを理解できる中で育ってきたわけではないから余計だ。


「もともと、女鬼は――その中でも特に直系の、血筋の良い女鬼はその血筋を保つために鬼の一族のため子を生むことが義務付けられています」

「え……?」

「姫様にもそういったお相手がいたことはいたのです。もっとも、その話はないことになっておりますがね」


 初耳なそれに、千鶴は愕然とした様子で唇を引き結ぶ。そんな素振りも何もなかったため、彼女のその反応は当然とも言えた。そんな彼女の反応を理解しながらも、牡丹は話を続ける。


「逆に、千姫様にはそういったお相手はおりませんでした。いずれはいずこかの男鬼との間に子を設ける必要があるのは役目として当然とも言え、風間の子を生むというのも何らおかしなことでもないのです」

「でも、お千ちゃんは風間さんのこと……」

「特別な感情はありませんよ。あくまで義務なのですから、当然とも言えますし、過去の頭領方にそれで娘を設けた方も少なくないでしょう」

「……なんで、そんな平気そうな顔ができるんだよ、お前」


 一連の話の流れを聞いてきて、藤堂が思わずといった形で口を挟んだ。


「では、あなた方人間にそういったことがないと? それはないだろう。地位の高いものほど心のとおりに動けることは少ないのが事実だ」

「それは……そうだけどよ」

「一族上の制限さえなければ、うちの姫様がその役目を負うつもりもあっただろうが、血筋の良い、という条件のつく風間家の嫡子となると霞原の一族では無理があるからな」

「むしろなくてよかったと思うんだよな、俺……」


 沖田の執着を知っているからこその藤堂の発言に、千鶴も苦笑を向ける。牡丹もそれは確かに、と思いながらもなんとも複雑そうな表情を見せた。


「とりあえず、千鶴様。千姫様が身代わりになった、という負い目を感じる必要はございません。千姫様ご自身が、人の世で生きてきたあなたには、鬼の一族の抑制からは外れた人の世のならいの中で生きていってほしいと、そう願っていらっしゃいます」


 だからといって、千鶴もそれを手放しで喜べるほど人ができていないわけではない。藤堂も同様で、しばしの間沈黙が流れる。


「申し訳なく思うのでしたら、この戦を終えた後、あなた方のご様子を千姫様と姫様に見せて差し上げてください。それが何よりの、お二人への感謝となるでしょうから」


 話をそう締めくくった牡丹は、時間を取らせましたと謝罪した上で、立ち上がる。まだどこか呆然としている二人を叱咤し強引に心に整理をつけさせてから、三人は大坂城へ再び向かうことに相成った。

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