第十四花 柊

 敵の目をくらますため、新選組の面々はバラバラに撤退した。木の生い茂る山の中、千鶴は平助と共に、助かれば皆が集うであろう、大坂城を目指す。今ここにいるのは二人だけだ。

 途中で敵方の兵に見つかりそうになったが、走りに走って何とか撒いた。既に真夜中を過ぎ、辺りは真っ暗だ。

 そこそこ大きな木の下に二人並んで座る。冬の森の中は随分と寒い。寄り添って互いの体温の温かさを感じながら、藤堂の羽織が二人を包む。


「疲れたろ?」

「ううん、私は大丈夫。……平助君こそ、大丈夫?」

「大丈夫だって。町で育っちゃいても、鍛えてるからな」


 彼に体力があることを、千鶴も分かっている。そうだね、と頷いて、逡巡した後ためらいがちに再度尋ねた。


「……血の、衝動の方は? あれ以降、発作は起きてないみたいだけど……」


 伏見を出てからどれほど経っただろうか。あれから問題なく過ごしているように見えるが、隠れて我慢しているのではないだろうか。そんな不安を抱えて尋ねた千鶴に、藤堂は首を振った。


「今んとこ、血が欲しくなったりってのはねえよ。ただ……」

「ただ?」

「山南さんはさ……多分、人の血を吸ってるんだと思う」

「え……?」


 ただの思い過ごしなのではないのだろうか。そんな感情が顔に出ていたようで、藤堂は肯定を示すように話をつづけた。


「気のせいとかじゃなくてさ……羅刹隊が出動した後、その現場がかなりひどいことになってたんだよ」

「それって……証拠を、隠すために……?」

「だと思う。でなきゃ、切り刻まれたような死体になんてならねぇし」


 山南とは別働で出動することが多いのだろう、藤堂は実際にそうしている現場をその目で見たわけではなくても、容易に想像がつく。


「羅刹になる前は、理解できなかった。でも、自分が羅刹になった今なら、山南さんが何考えてやってんのか分かるんだよ。……俺だって、お前が止めなきゃ、同じことやってたかもしんねぇし」


 それを否定する材料を、千鶴は持っていなかった。自分には理解できない範疇だし、ここで相槌を打ってもそれはただの想像でしかない。
 肯定も否定もできない千鶴に、藤堂はどこか申し訳そうに笑ってから息をついた。


「……俺さ、山南さんみたいに『何か』を考えて変若水飲んだわけじゃねぇんだ。俺はただ、死にたくないって思った。……大義のためだとか、剣客として生きていきたいとか、そんな事これっぽちも考えてなかったんだ」


 月はとうに沈んでいて、空を彩っているのは星明りだけだ。そんな夜闇の中、藤堂の表情は木が落とす影に隠れてしまって、はっきりと見て取ることはできない。
 それでも、声色がどこか不安そうな雰囲気をはらんでいるのは分かって、千鶴はどう声をかけていいか分からず、結局沈黙を返すしかない。
 藤堂も何か反応を待っていたわけではないようで、枝の向こうに見える暗い空を見上げて目を細める。


「でもさ、今度は、羅刹になんてならなきゃよかったなんて思ってるんだよな……」


 大きく息をついて、藤堂はうつむいてしまう。自分を卑下するように見える、どこか悲しい雰囲気をたたえる彼に、千鶴もつられるように悲しそうな悔しそうな、そんな様子で唇を引き結んだ。


「俺さ、いつもそうなんだよな……。伊東さんについて行っても、新選組にいたときの方が楽しかったって後悔して、こっちにいていいのかなんて迷って……。自分で決めたはずなのに、最低だな、俺」

「そんなことないよ。……私だって……迷って、後悔して、そうやってずっと生きてきてる。私だけじゃない、みんなきっと、そう」


 すぐそばにある藤堂の手に、そっと自分のそれを重ねる。あたたかな、それでも普通の人よりもずっと冷たいその手を握り、驚いたように見つめてくる藤堂に千鶴は微笑みを返した。


「嫌なことがたくさんある日だってある。つらいことがたくさんある日だってある。それでも、そんな中でも、嬉しいこととか楽しいこととか……そう言う、幸せだなと思える瞬間があれば、進んでいける」


 きっとそうして、みんな生きているのだ。嫌なことがない人なんていない。後悔がない人なんていない。――迷うことがない人なんていない。

 それでもみんなが生きていけるのは、楽しいこと、幸せなことを見つけられるからだ。これがあるから生きていけるのだと、そう思って、自分を奮い立たせているからだ。


「……私はね、嬉しかった。羅刹になってでも、平助君が生きていてくれたことが、嬉しかったの。平助君が、そんなことを思っていなくても」


 わがままだなという自覚はある。その言葉が彼を困らせるかもしれない。それでも、それが本心であることに変わりはなく、そう思う人間がいるのだとちゃんと知っていいてほしかった。


「ごめんね、すごく、困らせちゃうようなこと言って……」

「……じゃあさ、俺のわがまま、ひとつ聞いてくれるか?」

「うん?」


 何だろう、と首を傾げて藤堂を見つめる千鶴に、彼は穏やかに笑った。


「傍にいて欲しい、千鶴に。……お前が傍にいるの、俺もすげー嬉しいんだ。……お前がいなきゃ、俺はとっくの昔に狂ってる。第二の山南さんになってたかもしんねぇ」

「……私、何もできないよ? こうやって話を聞いてあげたりとか、そう言うことしかしてあげられない。それでも、いいの?」

「…………何もできねぇってことはねぇんだけどなぁ……」


 さっきの話聞いてたのか、などと呟きながら、藤堂は大きくため息をついた。
 それは何かを悲観したものではなく、呆れが含まれたような代物だ。そんな顔を見るのは久しぶりかもしれないと思って、千鶴は怪訝そうに首を傾ける。


「……鈍いにもほどがあるっての」

「え……?」

「なんでもねぇよ。……ありがとな、千鶴」


 何かが吹っ切れたように、先ほどまでの影が含まれた声色は消えている。太陽のような笑顔に、千鶴も嬉しそうに笑った。


「少しは休めよ、千鶴。見つかるから火を焚くことはできねぇけど……」

「平助君は? 今は夜だし、今のうちに動いておいた方が……」

「それでも、ちょっとくらい休んでも問題ないからさ。逆にお前は夜休んどかねぇといけないんだから、遠慮しないで休めって」


 そんな時だった。

 ――突然、夜闇の中からその人物が姿を現したのは。

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