第十四花 柊

 年が明け、慶応四年になった。どこかピリピリとした空気が漂う中での正月は、落ち着かない。
 当たり前だ。元日早々、元将軍・慶喜公が薩摩を討つためという名目で都へと進軍を始めたからだ。正月が正月でないことに陰で文句を言う者もいたが、上も上、旧幕府上層部の人間が決めたことなので抗えないということも分かっているため、しぶしぶと言った形でその命に従っていた。

 そして三が日も最終日。鳥羽街道を北上していた旧幕府軍とそこに張っていた薩摩軍がぶつかり、戦端が開かれた。

 新選組も伏見奉行所に詰めながら行方を見守っていたが、鳥羽方面からの銃声を機に、こちら側でも戦闘が始まってしまう。

 薩摩側が伏見奉行所の高台から打ち込まれる大砲。奉行所を出れば銃弾の雨。
 これが戦なのだと、これまで実感したことのない恐怖の下で千鶴は自分にできることをしていた。

 砲弾の音が響く。時折地響きも聞こえてくるのは、その砲弾の影響だ。そんな想像を絶する戦況の中どんどん運び込まれてくる怪我人に、音に怯えながら千鶴もてんてこ舞いでその治療にあたっていた。

 戦端が開かれた時刻は夕方。太陽が山に隠れてからなので、時間がたつにつれてどんどん辺りは暗くなっていく。そんな最中でも続く銃撃に辟易しながらの戦闘は、精神的にも削られる。
 日が完全に暮れてからは羅刹隊が戦闘にあたったが、それでも歯が立たなかった。多少の打撃は与えられたが、決定的な差を付けることはできなかったらしい。

 しかし、全滅を免れて戻ってきた山南は、それでもまだ諦める様子はなく、羅刹の可能性を説いていた。


『まだ、こんなものではありません……。不意を突かれて体制も整わないこの状況でしたしね……。状況さえ整えば、羅刹は最強なのですから……』


 そんな彼に先んじて帰ってきた藤堂は、あちこち傷だらけで血にまみれていた。普通の人ですら酔ってしまいそうな血の匂いに、羅刹である彼が耐えられるはずもなく、その場で発作を起こした。
 きっと、奉行所に帰ってくるまで、かなり我慢したのだろう。脂汗のにじむ顔は苦痛に歪んでいた。

 そんな中で、奉行所前にやってくる薩摩軍の人間を、千鶴を守るために片っ端から斬った。だが、それを繰り返すうちに、更なる血を求めて再び戦場へ向かおうとしたのだ。

 そんな藤堂を止めたのはつい先程である。


「……平助君……」


 目の前で自分の血を呑む藤堂を見やる。
 闇にまぎれてとうとう血の衝動で狂いかけてしまった彼は、今どんなことを思っているのだろうか。

 あの時――発作を起こした時、藤堂は血を呑むことを拒んだ。


『俺は、血なんか飲まねぇよ……。だって俺は、人間だからな……』


 羅刹となったものは、人であって人ではない。それでも、藤堂が人でありたいと願っているのは、千鶴も分かっていたし、そうあって欲しいと思っていた。

 だからこそ、血を求めて戦場へ行こうとする藤堂を止めたのだ。それを山南には『人に食事を摂るなと言っていることと同義だ』と責められた。だが藤堂は、千鶴の思いをしっかり汲んで、そして自身の信念から、山南の言葉を否定したのだ。


「……ごめんな、千鶴」

「どうして謝るの? ……さっきも言ったでしょう? もしかしたら、私の血には発作を抑える力があるかもしれないって……」


 少しでも楽になって欲しい。このまま狂ったままでいて欲しくないし、そんな思いで自分の腕を切った千鶴を、藤堂は愕然とした面持ちで見つめていた。それでも、彼は血を飲んでくれた。その甲斐あってか、髪の色も瞳の色も元に戻っている。

 鬼の血だからなのか、それとも血を飲めば皆こうなるのか。それは分からないが、元に戻ってくれたことは良かったと思える。


「仮にそれが本当でも……俺は……」

「……うん、ごめんね」


 血は飲まないと言った矢先に飲んだのだから、心中複雑だろうことは察しがつく。
 お互い謝ってばかりだと思いながら、互いの面持ちは沈んだままだ。


「……けど、実際のところ発作も収まってんだよな。……だから、ありがとな、千鶴」


 ふるふると首を振って、千鶴は顔を伏せる。
 山南から発作が起こった時のための薬をもらっていたので、そちらを飲ませてもよかったのだろう。だが、あちらは一時しのぎにしかならないと山南は言っていた。羅刹である彼が言うのだから、それが事実なのだろう。

 今いるのは奉行所の中だ。外で血を飲むのも、あの髪色をさらすのも避けた方がいいという判断からだった。外からは今もひっきりなしに砲弾の音が聞こえてきている。
 戦況は正直言って芳しくない。どうなるのかと思って、とりあえず広間に戻ろうとした時だった。
 今までにない砲弾の音が響くのに続き、凄まじい衝撃が伝わってくる。


「きゃあっ!」

「千鶴!」


 思わず頭を抱えた千鶴と、その千鶴をかばうように藤堂がその体に覆いかぶさる。
 何発かの砲弾の音と、それに誘発されるようにほんの少しの時間をおいてから聞こえた爆発音。きな臭い匂いが漂ってきて、千鶴と藤堂は目を見合わせる。


「……火事……?」

「もしかしたら、さっきの砲弾が原因かもしれねえな……」


 奉行所には弾薬庫もある。そこに着弾したのだとしたら、先ほどの音の意味も理解できた。ぱちぱちという音も聞こえ始め、遠くから土方の声も聞こえてくる。

 喧騒の狭間から、撤退だという言葉が聞こえる。切羽詰まっているその声からは悔しさがにじみ出ていた。


「……火が付いたってのも、冗談じゃなさそうだな…………」

「平助君……」

「大丈夫だって。……行くぞ、千鶴」


 部屋を出ればすでに黒い煙が充満し始めている。辺りの民家にも燃え広がったのか、そこからも火の粉が散って、夜だというのにとても明るい。ひっきりなしに響く銃声の中、二人はその音の間を縫って奉行所を後にした。

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -