第十三花 柘榴
風が、大きく強く動いた気がした。
未だ動けない床の中から、開け放たれた障子の向こうの雪景色を見つめる。
体調を崩さないようにと、火桶に炭を足して室内を暖かくしようとしている牡丹が、何かを感じとった様子の主を見て怪訝そうな様子を見せた。
「……姫様?」
「…………何でもないわ」
胸騒ぎがする。それが何なのかは分からないが、それでもざわめく胸は落ち着かない。
それを振り切るように、悠日は一度目を閉じてから雪へと再び視線を投じる。
「雪は、深いの?」
「はい。宇治よりもずっと深く感じられますね。幼い子どもたちが遊びに興じておりました。一緒に遊ぼうとは言われたのですが……」
どこか困った様子で佇む牡丹に、悠日は淡く微笑んだ。
「いいじゃないの、一緒に遊んであげれば」
「しかし……姫様をお一人にしておくわけには」
「私はこの通り、満足に動けないけれど、ここは八瀬の結界の中よ。よほどのことがない限り大丈夫でしょう。ちゃんと安静にしているから、行っておあげなさいな」
だが、牡丹はそれでも首を縦に振ろうとはしない。
その理由が分からなくて、悠日は怪訝そうに首を傾げる。
「……この年で子どもと遊ぶのは、いや?」
「そういうわけではありません。ただ、関わり方が分からないと申しますか……」
「……そう、ね……。宇治の里には、子どもは少なかったから」
人と関わってもろくなことがない。それが分かっているから、人と血を交わらせる霞原の一族とて、そう簡単に人と関わるようなことはしなかった。
頭領家は必要にかられてそうすることもままあるが、一般の者たちはそうではない。その上、あの地にいるのはいわくつきの血を引く者たちだからか、外の鬼との関わりも希薄だった。
血族婚が増え、それが代を重ねて続けられれば、血が濃すぎて少しずつ子も生まれなくなってくる。頭領家ですら、過去に兄弟姉妹で婚姻を結んだものとているのだから、そういう一族なのだと言ってしまえばそれまでなのかも知れない。
もともと護衛という立場からか、無邪気な子どもたちが頭領屋敷へやってきて遊ぼうと誘っても、悠日は参加するのに、牡丹は傍らで見ているだけで参加をすることはなかった。悠日ほど子どもたちと関わることはなく、だからこそ余計に接し方も分からないのだろう。
「でも、逃げていてはどうすることもできないでしょう? 子どもたちはあなたと遊びたいのだし、あまり断っていては嫌われてしまうわよ」
この先どうなるかは分からないが、昔よりは霞原の一族と他の鬼との確執はかなり薄くなっているのは事実。だからこそ、子どもでも牡丹を遊び相手にするのだ。これが昔なら、確実に避けられていたのだろう。
良い機会なのだから子どもと関わって来ればいいのにと、そんなことを考えて告げた言葉に、牡丹は気難しい表情で呟く。
「……これも試練と心得れば……」
「相変わらずあなたは固いわねぇ、牡丹。そんな難しいことは考えずに、子どもたちに沿ってあげれば自然と関われるようになるわ。……ね?」
ずっと自分の傍についているだけというのも、何だか可哀想だ。牡丹がそんなことを思ってなどいないことは分かっているが、これまでずっと閉じ込められていたのは牡丹も同じなのだから、少しくらい自由にさせて様々なことを経験させてあげたいとも思うのだ。
そこまで主に言われて引き下がるわけにもいかず、牡丹は息をついてからようやく頷いた。
「……分かりました。もしかすると泣かせるかもしれませんが……」
「一体どんな遊びをしようと思ってるの、牡丹……」
子どもを泣かせるなど尋常ではない。手加減するということを知らないのか、それほどに不安なのか。
そんなことを考えていた悠日の考えは、どうやら後者が正しかったらしい。
「加減が難しいと申し上げているのです。子どもは、弱いですから」
「そうでもないわよ? 確かに力という点では弱いかも知れないけど、子どもって突拍子もないこと思いつく生き物でもあるから」
油断は禁物だと伝えながらも、それでも手加減はしてあげるよう伝えると、牡丹はそれに了承の意を告げて部屋を出ていく。
ひやりとする冬の風は長いこと当たるのは体に悪いからと障子は閉められ、障子越しに雪あかりを感じるだけだ。
木から雪が落ちる音を耳にして、悠日は目を細める。
「……何か、あったのかしらね」
誰に、というのは分からない。悠日が知っている誰かに、何かがあったのかも知れない。もしかしたら、ただの杞憂なのかも知れない。
だが、言い知れない不安は、先程の牡丹との話でも拭えるものではなかった。
不安に思うのは、千鶴のことと、沖田のことだ。
風間はどうしているのか、何も聞こえてこない。だが、千姫が何も言わないということはきっと、今のところ接触することはないということなのだろう。実際、千鶴が無事かどうか尋ねれば無事だとは返ってきているのだから。それに、藤堂が守ってくれているだろうとは思うから、千鶴への不安はそこまで大きいものではない。
だが、もう一人の人物に関しては、不安が日に日に大きくなるのを自覚していた。
枕元の着物の上に置いてある、桔梗の簪を目にとめる。沖田からだと、牡丹から渡されたものだ。それがどういう意図なのか、さすがの悠日でも分かった。応えられないと分かっていても、手放せないのはやはり未練があるからだ。――そして、未練があるからこそ、今どうしているのかが気になる。
しかし、沖田に関しては箝口令でも敷かれているかのように、何も耳にしない。聞いても牡丹にはぐらかされるのが分かっているから聞くこともできないし、何より自分の覚悟を今も揺らがせる存在であることを理解しているため、考えないようにしているのだ。
それが不安を煽るのを、自覚しながら。
気だるい体に小さく息をつき、悠日は大きく息をつく。
「……姫様には、結局、答えを示せていない……」
自分の血が人の世に関わりすぎてしまったことは分かっている。仮にそれが自分の意志に反して行われたものだとしても、それを始末するのはその種を蒔いてしまった自分なのだから。
労咳はきっと、少しずつ確実に沖田を蝕んでいる。治してあげられたなら良かった。そうすれば彼は、彼の望むままに、新選組の剣であることができたはずなのだから。
死してさえいなければ、助けることはできる。霞原の血も万能ではない。死んだ人間を助けることは、できない。
動けるだけの体力が戻っても、彼に血を与えられるだけの力はすぐには戻らないだろう。本来の鬼の力を使えるようになって、調子が戻ってからになるのだろうか。
せめて半年、長くて一年。それくらい後であれば、きっと――。
その頃まで、彼の剣が必要とされることがあればいいのだが。
「……きっと、いずれ顔は合わせることに、なるのだろうけれど」
悠日の血と綱道が関わった実験によって、倒幕派側の羅刹は新選組のものよりもずっと副作用が抑えられている。陽に強く、発作もなく、より鬼に近い存在となった、悠日の血を受けた羅刹たち。ただの羅刹もだが、それ以上に悠日の血を受けた羅刹は殲滅する必要がある。
新選組と敵対する勢力を追いかけるわけだから、彼らと会う可能性は低くないだろう。
「その時私は、平静でいられるかしらね……」
そういられるように、心を殺す術を。
ぎゅっと目を閉じて、すべてを覆うような闇へ身を投じるように、悠日は眠りへとついた。
<第十三花 終>
2018.5.16