第十三花 柘榴
久方ぶりにまとう浅葱色の隊服。手にする刀は、いつもよりずっと軽く感じられる。
その髪は白く、瞳は禍々しい赤色に光っている。
銃声がこだまする路地へ向かうと、そこにいたのは、彼がいつぞやに見た面影を持つ人物だった。
だが、これまでに見たそれとは、服装も髪型も大きく異なる。たおやかな女性らしい風情は見当たらないような、まるで少年にも見える装用だった。
「ああ、やっぱり飲んだんですね、沖田さん」
喜悦の色をにじませる薫に、沖田は警戒心を隠すことなく刀を向けた。
「……どうして君が、ここにいるのかな?」
「どうして? そんなの決まっているじゃありませんか。――お前をおびき寄せるためだよ、沖田」
口調も態度もがらりと変えた薫の様子に動揺することなく、沖田は冷たい瞳を薫へと向けた。
「……君が、近藤さんを撃ったのかな?」
「俺がやったわけじゃないよ。証拠もないのに疑うなんて、これだから人間は……。ああ、でも、あの日ちょうど御陵衛士の残党たちに会ってね」
悪びれる様子もなく黒い笑みをたたえる。言葉の続きを待つ沖田に、薫は楽しそうに話を続けた。
「油小路の件の報復をしたいけど屯所に討ち入る気概もない輩がうろうろしてたから、街道沿いに張って狙撃したらいいんじゃないかってことは言ったかな」
くすくすと笑うさまは、話の内容さえなければ優美なものだろう。だが、そこに含まれる闇がそれを完全に凌駕していて、心地悪いことこの上ない。
怒りに燃える沖田の様子を楽しむように、薫は笑みを深めた。
「だってさ、まさか新選組局長ともあろう人が、あんな少人数で歩いてるなんて思わなかったからねぇ」
その言葉を境に、沖田は言葉なく間合いを詰めた。
だが、薫はそれを難なく受け止める。千鶴が持っている刀に酷似した、それよりも大きな大刀だ。
千鶴の小太刀と対を成す、大通連。鬼が見ればその出自はすぐに分かるようなものだ。だが沖田はただの人間だ。分かるはずもないのは分かっていることと、沖田の反応が面白くてしょうがない薫の表情は、全く謝意が感じられない。
「俺にだって悪気はなかったんだよ?」
「そう言いながら笑ってる君からは、悪意の匂いがぷんぷんするけどね……っ」
ふいに、沖田が目を剥いた。どこか苦しそうにしながら、我慢できずそのまま咳き込み始める。
いつもと変わらない、発作と喀血。体が軽くなっていたこともあって、その事実は彼を驚愕させるに十分だった。
「……っ……なんで……」
「まさか、俺の言ったこと本当に信じてたわけ? ……変若水じゃ労咳は治らないんだよ」
何がおかしいのか、薫は愉快そうな様子で笑っている。咳が止まらず、体を支えきれず膝をつく。
刀を片手にそれを見下ろす薫は、それを鞘に収めるとどこか嘲る風情で北方を見つめた。
「悠日も馬鹿だよね。そもそも、悠日の一族を滅ぼしたのは幕府なのに、わざわざ幕府側のお前たちのところに居続けるなんてさぁ」
初めて聞くその事実に、沖田は見開いた目で薫を見つめる。
確かに、幕府方でも倒幕方でもないとは言っていた。だが、その真意を確かめたことはない。
「……どういう、意味?」
「そのままの意味だよ。……こんなやつを好きになってなければ、あんな事にはならなかったかもしれないのにね」
沖田の表情を満足気に見つめてからそう呟いた薫は、ぱちりと指を鳴らす。それに呼応して、ざっと音を立てて現れた面々の手には、銃。
「まんまと罠にはまってくれてありがとう、沖田。万全の体なら避けることくらいはできるだろうけど、今のお前にはせいぜい致命傷を避けるくらいしかできないだろうね」
四方からの殺気と向けられる銃口の数々に、沖田は口元の血をぬぐって足に力を込める。その行動がまるであがくように見えたのか、薫はいっそ優しげに笑った。
「安心しなよ、そう簡単には殺さないから。いたぶって、苦しめて……そうだな、あいつの前で殺してあげるのが、せめてもの情けかもしれないな」
『あいつ』が誰なのか、薫は口にしない。だが、沖田も知っている誰かであることだけは理解できる。
そんな時、遠くから足音が聞こえてきて薫は剣呑な表情を見せる。沖田を呼ぶ声の中に、薫も聞き知ったものが含まれていた。
「……沖田さん、どこですか!?」
「総司! ったくあいつ、あの体で単独行動とか無茶にもほどがあるっての!」
千鶴と藤堂の声に、沖田も眉を寄せた。このまま彼らがここに来れば、銃の餌食になるのは明白だ。自分や藤堂は羅刹だから致命傷でさえなければ助かるとしても、千鶴がどうかは分からない。鬼の体質がどんなものなのか、沖田も詳しくは知らないのだから。
千鶴に何かあれば、悠日が悲しむ。いつもどこか悲しそうな何かをたたえている瞳を、これ以上深いところに引き込ませたくない。――いま傍に、悠日がいないとしても。
だが、運の悪いことに、千鶴はここを引き当てた。少し遅れて藤堂がやってくる。
「沖田さ……!」
「っ……千鶴ちゃん、来ちゃだめだ!」
「――撃て」
淡々とした言葉と共に、引き金が引かれる。銃口が向いているのは沖田だけではない。
鋭い銃声が空に響くのと同時に、沖田は自然と体が動いていた。
「っ総司!?」
「沖田さん!?」
異変に気づいて、とっさに千鶴を庇うように抱え込んだ藤堂と、その前にまるで立ちふさがるように身を投げだした沖田。
千鶴たちの方へ向いていた銃弾はすべて、沖田の体へと命中していた。
耐えきれず倒れ込みそうな沖田と、それを支える千鶴を背に、藤堂が刀を構える。
「総司、お前馬鹿だろ! なんで前に立って庇うなんて真似すんだよ!」
「……っ」
藤堂の言葉に、沖田は傷の痛みをこらえるのに必死なためか、返す言葉はない。うめき声が聞こえるだけだ。
「沖田さん、しっかりしてください!」
「……本当に、なんでそいつはそうやって……」
その声に、千鶴は理解できない様子で顔を上げてその顔を見つめた。
そこにある面差しは、服装も髪型も違えど、見知ったあの人物だとすぐに理解する。
「薫……さん……?」
「やあ、久しぶりだね、千鶴。……俺のことを覚えてないのは、かなり衝撃だったけど」
「……え……?」
「わけがわからないって顔だね。ま、詳しい話はまた会ったときにしてあげるよ。……じゃあね、沖田。苦しんで足掻いて、無様な姿を見せてくれるのを楽しみにしてるよ」
そんな台詞を最後に、薫は同行していた男たちを引き連れて路地の暗闇の向こうへと姿を消した。
後を追おうか迷ったようだが、今はそれよりも重大なことがあると理解している藤堂は、沖田へと駆け寄る。
状況が状況だったため突っ込むこともままならなかった沖田の様相に、彼は苦い表情を見せる。
「……総司……お前、なんで変若水なんか……むしろどうして変若水持ってたんだ……?」
土方が渡すわけはないし、山南にしても勝手に渡すことはないだろう。となると、そもそも変若水を彼が手にしていること自体がありえないのだ。
そんな彼が羅刹となっているのはどう考えても不可解この上ない。
そんな疑問を抱く藤堂の傍ら、傷口から滲む血の色に戦慄し、千鶴は半泣きで沖田を支えている。
「沖田さん、しっかりしてください!」
「……考えてても仕方ねぇな。とりあえず屯所に運ぶぞ。千鶴、ちょっと手を貸してくれ」
「うん……」
藤堂と千鶴に両側から支えられる形で、沖田は屯所へと戻った。