第十三花 柘榴

 翌日。
 これと言って何をしでかすことのなかったこともあって、千鶴の監視という名の看病を振り切った沖田は、床の中からその音を聞いた。


「……っ」


 いくつもの銃声が宵の空にこだまする。騒然とする屯所の中で、沖田は怒りを帯びた瞳で外を見つめる。

 挑発だということは分かっていた。それでも、我慢ができるかと言われれば、答えは否だ。
 手にしている鮮やかな赤の色が、灯火に反射して異様な光を放つ。


「…………こんなもの、頼ることなんてないと思ってたんだけどな」


 握りしめる手に力がこもる。そこそこに丈夫なびいどろの容器は、その程度の力では潰れないようだ。
 労咳のせいで力が弱くなっていることも影響しているだろう。

 その瓶を渡した人物。その時のことを思い出して、沖田は眉を寄せた。








 それは、不動堂村屯所にいたときのことだ。

 油小路の変の時、沖田は屯所の中で休んでいた。だが、事態は急変した。

 夢とうつつの間から聞こえた、狂気をはらんだ声、絶叫、悲鳴、剣戟の音。これまで何度耳にしたか分からないそれらを受けて、沖田は寝ていた体をゆっくりと起こした。
 剣呑な表情で枕元に置いてある愛刀を手にし、鞘から抜き放つと部屋から一歩出る。

 その瞬間、彼は手にした刃をそれへ向けた。
 血しぶきが舞い、どさりとその体が斃れる。


「……多いな」


 屯所へ何が襲撃してきたかは知らない。だが、羅刹たちが圧され、狂うほどの状況になる相手など相当な手練だ。
 もともと、近藤の暗殺を企む奴らに一矢報いることができない憤りでむしゃくしゃしていたのだ。相手になってくれるなら好都合。

 そんな、どこか当たり散らすような剣に、血に狂った羅刹たちが餌食になっていく。

 振るわれる刀は、人斬りのそれに相違ない。

 斬って殺して、そんなことを繰り返していると、再び自身の部屋へと戻ってきていた。
 血にまみれた刀からそれを振り払うと、ふいにこみ上げた鉄の味に膝から崩れる。


「……っげほ! ごほっ……!」


 手のひらいっぱいに広がる血の色。指の間からこぼれ落ちたその一滴に、沖田は眉を寄せた。
 少しずつ、それでも確実に、労咳が体を蝕んでいっているのが分かる。
 ふいに、悲しそうな……つらそうな風情で、咳き込む自分を見ていた悠日の顔が脳裏に映る。

 何もできない申し訳無さ、とは少し違うその表情の意図を、彼は知らない。それでも、今このとき彼女を思い出したのは、偶然か、必然か。

 そんな時、人の気配を感じて沖田は口元の血を拭いながら顔を上げた。


「……この状況で、よく入ってこれたね、君」

「この状況だから、とも申しますよ、沖田さん」


 悠日ではない、それでも知らない相手でもないその人物に、沖田は不審者を見るような視線を向ける。


「騒然としてるだけじゃない、殺気立ってるこんなところに来るなんて、随分酔狂だとは思うけどね。それで、何の用? 返答によっては……」

「斬る、とおっしゃるんですか? 私はただ、親切心から訪れただけだと言うのに」


 困ったような表情で、薫はそう告げる。だが、そこに含まれた意図に、沖田はへぇ、と何かを見極めようとするかのような笑みを見せる。


「親切心、ね」

「妹もお世話になっておりますし。それでは理由になりませんか?」


 妹、の言葉に当てはまる人間は一人しかいない。だが、それをわざわざ口にすることもない。
 笑みを浮かべたまま、沖田は薫を見上げる。


「……ここに、そんな子はいないけど?」

「表向きは、ですよね。……千鶴は、生き別れた私の妹ですから。もっとも、あの子はそんなこととは覚えていないようですけど……」


 小さく息をつく薫に、沖田は眉を寄せてからつられるように息をつく。


「……なら、別に僕のところに来る必要はないよね。ただ、今あの子は出ていってるから、ここにはいないけど」

「それはまた別の機会に。今回は、いつぞやのお礼をと思いまして」


 そうして差し出されたものを見て、沖田は目を剥いた。
 月明かりに光る、妖しい赤色。それと全く同じものに見覚えがある沖田は、敵意丸出しの瞳で薫を睨みつける。


「どうしてそれを、君が持ってるのかな……?」

「綱道さんから頂きました。先程も言ったとおり、千鶴は私の妹ですから、彼とも関わりは有りますし」

「……今、綱道さんはどこにいるのか、君は知ってるの?」

「さあ……私も、それは存じません。これを頂いたのは随分と前の話ですし」


 のらりくらりとかわすかのような、本心の見えない言葉。これ以上聞いてもろくな答えが返ってこないことを察して、沖田は目の前に差し出されたその小瓶を見つめてから、再び薫へと目を向ける。


「それで、これがそのお礼、ね。……君、お礼になってない自覚ある?」

「あら、そんなことを仰るんですか? ろくに刀を振るえない、振るったとしてもそうして膝をつくまでにそう時間もかからないような、今のあなたが」


 沖田の現状そのものを指し示され、彼は反論できずに唸る。それを見つめる薫の表情は、どこか楽しそうな色を帯びているようにも見える。
 返す言葉もない沖田に、薫は変若水を近づけ差し出してから立ち上がった。


「変若水を飲めば、労咳も治ります。……これ以上ない礼の品だと、私は思っておりますが」


 それでは私はこれで。

 そう言って、薫はまるで消えるようにその場から立ち去ったのだった。









 いま沖田が手にしているのは、その時にもらった変若水だ。

 労咳のせいで動かなくなった体。動くようになるのであれば、喜ばしいのは事実だ。

 だが、これが変若水であるという保証はない。狂わないとも限らないし、薫を信用しているわけでもない。毒である可能性だって否めないのも分かっていた。

 それでも、もう守れないのは――剣であることができないのは、それ以上に辛かった。
 おそらく、土方も山南も、自分に変若水をくれることはないだろうから、ある意味で確かに親切心からの贈り物なのかもしれない。藁にもすがるような、そんな心持ちで瓶の蓋を開ける。


「悠日ちゃんがいたら、止められるだろうなぁ……」


 それ以外の面々ももちろん止めそうなものだが、彼女には泣かれそうだ。変若水がどんなものか、彼女もよく知っているのだから。

 それでも、もし本当に労咳が治るなら、また戦えるようになるのなら。

 ――近藤さんも、悠日ちゃんも、守ることができるのなら。

 そんな思いで、彼は変若水を一気に飲み干した。

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