第十三花 柘榴
新選組が伏見奉行所の守りについた二日後のこと。
騒然としている屯所の中で、千鶴は真っ青な表情で遠巻きにそれを見た。
「近藤さん……!?」
肩から出るおびただしい量の血。脂汗をかきながらも、何とか受け答えしているその人は、本日幕閣の人たちとの会談のために二条城へ行っていたのだ。
別の部屋で処置をするのか、山崎の指示で運ばれていく近藤を見つめる隊士たちの視線は不安と怒りがないまぜになったような、そんな雰囲気だった。
騒ぎを聞きつけたのか、寝間着姿のままふらふらと沖田がやってきた。
そんな沖田に、千鶴は慌てて駆け寄る。
「沖田さん、無茶しちゃだめですよ、ちゃんと寝てないと……!」
「これだけ騒がしかったら、いくら何でも寝てなんていられないよね。寝付けもしないし。……それで、何があったの?」
「それが……私もよく、分かっていなくて……」
困惑したように、難しい表情で近藤が向かった方向を見つめている土方へ視線を向けた千鶴の行動に、嫌な予感を覚えながら沖田が尋ねた。
「……土方さん、一体、何の騒ぎです?」
「…………近藤さんが撃たれた」
少しの間のあと土方が苦渋の表情で答えた内容に、沖田は驚きと怒りで体を震わせる。
「なっ……どうしてそんな……」
「二条城から伏見に帰ってくる間の道中、待ち伏せされてたらしい。撃たれた近藤さんが馬から落ちなかっから助かったようなもんだ。いま現場に何かしら残ってないか、新八たちが見にいってる」
「……護衛、つけてたんじゃないんですか?」
「つけちゃあいたが……三人だ」
「三人しかつけてなかったんですか、この時勢に!?」
叫んだことで胸に影響が及んだのか、沖田は小さく咳き込む。千鶴が沖田の背を擦る様子を見つめながら、土方は話を続けた。
「近藤さんが向かったのは、幕閣たちも集まる二条城だ。そんなところに新選組の局長がぞろぞろ護衛をつれていくわけにもいかねえだろ」
「それに、守りきれなかったのは我々の落ち度ですから……」
「そもそも、護衛は少人数でいいと言ったのは勇さんなんだよ、総司」
土方を擁護するように、護衛として同行していた島田と事情を知る井上とがそう告げるが、沖田はそれに首を振った。
「銃での攻撃を防ぐことなんて簡単じゃない。……悪いのは、それだけの護衛で行かせることを許可した土方さんの判断です」
厳しい表情で土方を糾弾する言葉に、彼は小さく息をついてから、言い訳でしかないことを分かりながらも近藤が言っていたことを告げる。
「……こんな時だからこそ、伏見の戦力を自分のために減らすわけにもいかないんだとよ…………」
「それでも、近藤さんを説得することだってできたはずじゃ……っごほっ!」
興奮しすぎたからか、沖田は背を丸めてひどく咳き込む。
千鶴に続くように、井上も気遣うように沖田を支える。
「沖田さん、無理しないでください!」
「……っ近藤さんがもし死んだら、それは土方さんのせいですからね……」
燃え盛る炎を思わせるような恨みがましい目で、沖田は土方を睨みつける。だが、土方はそれを否定も肯定もせず、それを受け止めた。
そんな二人の間にいる井上は、息をつくと島田と千鶴へ目を向けた。
「島田君、悪いが総司を部屋に連れて行ってやってくれないか。雪村君には付き添いを頼みたいんだが、いいかい?」
「……はい、分かりました」
島田に担がれるようにして、沖田は部屋に戻る。島田は報告処理などのこともあって土方の方へ戻っていったので、今は沖田と千鶴二人きりだ。しきりに咳き込んでおり、時折血痰が交じる沖田の様子に、千鶴は気遣わしげにその背をさする。
しばらくして落ち着いた沖田は、咳き込みすぎて息を荒らげながら千鶴へ告げた。
「悪いけど、千鶴ちゃん、出ていってくれる?」
「え……でも……」
井上から付き添いを頼まれてそれを了承した手前、勝手に離れるのはまずいのではないかと、そんな表情で千鶴は沖田を見る。
だが、それを意に介さず沖田は続ける。
「少しの間でいいから、一人になりたいんだよ。それとも何? 一人にしたら何しでかすか分からないとか、そんなこと思ってる?」
「そんなことは……」
「なら、別にいいよね?」
「…………分かりました、少しの間だけでしたら……」
最近は食も細くなっているらしいから、食べやすい何かを作るのもいいかも知れない。それを作る間くらいなら大丈夫だろう。そんなことを思って、千鶴は席を外す。
千鶴の気配が遠くなってから、沖田は再び咳き込み始めた。
どれほどそうしていたか、彼は手に滲む血の色を見つめてから、自身をひねり潰すかのような、それほどの気持ちが垣間見える風情でその手を握りしめる。
「……守れない、んだ……」
こんな体では、大切な人たちを守ることなどできるはずがない。今日狙撃された近藤だけでなく、先日半年ぶりくらいに姿を見ることができた悠日すらも。
体がこんなでなければ、近藤の傍で守ることもできたし、悠日だって非番の時を最大限に使って探すこともできたのだ。
誰よりも、何よりも、動かないこの体が恨めしい。
「……悠日ちゃん。君の怪我は、もう治ったのかな」
いま、どうしているのだろうか。目は覚ましたのか、怪我は治ったのか。
便りの一つも来ないから、悠日がどうしているかなど知ることすらできない。
一縷の望みをかけて、あの簪を渡した。簪を渡す行為が求婚を意味することも、彼女がそれを拒む可能性が高いことも分かっていながら。
それでも、彼女のことだから自ら断りに来る、そんなことも思って、牡丹を介して簪を渡してもらったのだ。
花結びの約束は、果たされていない。反故にする可能性のほうが高いと牡丹は言っていたが、それでも会いに来てくれるのだと言うなら――。
「今度は離さないって言ったら、君はどんな顔をするのかな」
ずっとずっと、去られてばかりだ。自分は待ってばかりで、離れていく彼女を引き止めることすらできずにいる。
こんな体で何ができると思いながら、それでも本心に違いない自分の言葉を、沖田は自嘲気味に笑った。