第十三花 柘榴

 そして、南雲の頭領家との関わり云々の他にもう一つ、悠日の相手には考慮しなければならない事案があった。


「……それに、私の場合、ここ数代に渡って鬼を相手としていることもあって、鬼の血がかなり濃いですから……。相手に純血の鬼を選ぶか否かそのものを、考える必要もありましたし」


 過去の頭領の中でも、悠日はとりわけ鬼の血が濃く、必然的に持ちうる力も強い。本来であればそれを良しとするのだが、その力はあまりにも強すぎる。代を重ねるにつれて、旧き鬼の力の片鱗すら見えなくなっている一族が多いが、霞原にだけはそれが今も色濃く残っているのだ。

 代を重ねても弱まることのない霞原の力。それを少しでも抑えるための措置として、霞原は定期的に人の血をその血脈に入れる必要があった。
 霞原が純血の鬼でないのはそのためだ。
 それがいいのか悪いのかは分からないが、鬼の一族にとってはいいことだったのだろう。事実、人を父とする頭領は、先祖返りでもない限り鬼としての力は随分弱かったと聞く。

 そして、悠日はその措置をするか否か判断しかねる代の頭領なのだ。


「……でも、先々代の相手は純血の鬼ではないでしょう? 確かに、力は純血の鬼と大差なかったとは聞いているけれど。だからこそ、霞原の先代は純血の鬼との間にあなたを産んだのでしょうし。それに、人の血を入れる必要があるのなら、彼との関わりを拒否する必要性なんて……」

「……彼を、鬼の事情に巻き込みたくはないのです」


 ただ鬼の世に関与させることになる程度なら、こんなことは思わなかったのだろう。
 鬼の世では、人間と関わるべきではないと思われている。純血の鬼たちだけでなく、普通の鬼――その中でも鬼に近しい鬼たちにとっても、人と交わる霞原はかなり異質だった。

 これまで霞原の一族の相手となった人間は、相手が鬼だという事実を受け入れる度量のある者が大半だ。だが中には、鬼と知らず関係を持った後にその事実を知って逃げようとしたり、知っていて契りを交したりしたにも関わらず紆余曲折があって殺された者もいた。霞原の頭領自ら手を下したという話すらある。

 それに、今の霞原は狙われる身だ。どこにいても身の危険に晒される。それはすなわち、伴侶となった相手をそこに巻き込むことになりかねないことを意味している。

 迷いの見える言葉を聞いた千姫は、では、と重々しい面持ちで悠日に尋ねる。


「仮に、あなたの相手に彼が認められても、あなたはそれを是とはできないと?」

「……っ……そ……」


 そうですと、肯定の言葉を口にしようと思ったが、それ以上音にならなかった。
 もし認められたなら、彼と一緒にいることはできる。だがそれは、彼を鬼の一族の事情へと巻き込むことと同義だ。傍にいたいという気持ちと巻き込みたくないという思い。

 言葉にならない言葉が、今の悠日の答えでもあった。


「否定の言葉が出ないということは、まだ迷っているのよね……」


 小さく息をついた千姫に、悠日は掛布をぎゅっと握りしめて目線を泳がせる。
 質問に動揺したのか、それとも感情を懸命に押さえ込んでいる影響か、先程までよりずっと顔色が悪い。


「……ごめんなさい、話しすぎたわ。そんなこと、今の体調のあなたに尋ねることじゃなかったわね。……今はとりあえず、休んでいなさい」


 そう言いおいて、千姫は部屋を出ていく。ここにいては悠日を刺激するだけだと彼女も分かっていた。

 しん、と静まり返った部屋の外からは、虚しい枯れ葉の音が聞こえるだけだ。


「……姫、どうぞ目を閉じてお休みください」


 先程までの話はもういいと、そう言わんばかりに牡丹がそう勧める。だが、悠日がそれに耳を貸す様子はなかった。その頬を透明なものが伝う。


「…………私は、頭領、なのに……紫苑となってまだ、こんなことでは……いけないのに……」


 霞原の一族が何事もなくここまで来ていれば、悠日はまだ頭領の娘――菖蒲という立場でいたのだろう。頭領である母の助言などを聞いて先を決めることもできただろうが、今は悠日一人で決めなければならない。
 霞原家頭領――その別称である紫苑という立場が、『悠日』という一個人の感情を阻害する。

 感情で動いてはいけない、という自分で自分に課せた枷は、あまりにも重い。


「……一族はもう、私しかおりません。そう気負いなさらずとも……」


 一族が牡丹しかいないからと言って手を抜くような主ではないことが分かっていても、牡丹はそう言うしかなかった。だが――。


「心を捨てなければならないのは、分かってるのに……っ」


 まるで自分に言い聞かせるような、そんなの言葉だった。牡丹の言葉はもう、耳に入っていないかのように。
 ざわりと空気が揺れる。当主としての立場をまっとうしなければならないという理性と、悠日自身が持つ感情とがせめぎ合い、体調が安定しないことも相まって力が暴走しかけているらしかった。
 瞳が紫苑の色に変化し、髪が端からじわじわと桜色へ変化していく。

 このままでは、あの東屋の二の舞いになる。


「姫、気を沈められませ!」


 みしみしと、部屋がきしんだ。八瀬を囲む結界がたわんだ気配を感じる。
 それと同時に、悠日が首から掛けていた璃鞘が火花を発した。バチバチという音が響き、悠日の体から力が抜けていく。


「わたし、は………………」


 なんと言いたかったのかは分からない。その後は声にならずに終わってしまったからだ。璃鞘が光り、鈴の音とも琴の音とも取れる鋭い音が響くと、悠日の手が力なく掛布をすべり落ち、瞼もふっと閉じられる。

 強制的な眠りにつかされたようだ。鳴った璃鞘の音を聞いて不快そうに眉を寄せていた牡丹は、悠日にかかった掛布を整えてから小さく息をついた。

 沖田と悠日が互いに思いを通じあっていることを、牡丹はもちろん、千姫も知っていた。しかし、悠日がそれを是としないことも牡丹は分かっていたのだ。責任感が強く、自分が何を成すべきか、悠日はちゃんと理解している。

 だからこそ、なのだろう。思いがけず芽生えた思いと責任の重圧が、悠日を苛んでいる。


「……牡丹?」

「千姫様……申し訳ありません」


 悠日の力の余波で何があったのか、千姫も十分承知している。平伏する牡丹へ楽にするよう告げると、千姫は再び悠日の枕元へと座る。

 涙で濡れた頬のそれを袖でぬぐってやると、千姫は悠日から牡丹へ視線を移した。


「私こそごめんなさいね。悠日を興奮させるつもりはなかったんだけど……」


 昔は、それこそ感情の起伏などそうそう見せる子どもではなかった。何かをこらえる様子もなく、淡々とすべてを許容するような子だった。もちろん、自分の考えは持っているし、笑うことも悲しそうにすることもあったが、ここまで顕著に見せることなどなかったのだ。
 幼い頃から関わりのあるいわば幼馴染で、もともと縁戚関係が長く続いている間柄でもあるため、千姫に対しても随分と心を開いてくれているが、それでもどこか控えめなものだったのだから。


「千姫様は、どうお考えですか?」

「どうもなにも、私自身は悠日の心のままにしていいと思っているのよ。それでなくても、これまでずっと務めにがんじがらめだったのだし、これから先くらい別に好きにしていいと思うもの。ただ、長老方が色々とうるさいのを何とかしなきゃならないだけだけど、そんなもの何とでもなるわ。でも、この子が気にしているのは、そういうことではないのでしょう?」

「……はい、おそらく」

「この子は、人一倍責任感が強いものね……」


 好きにすればいいと言われて好きにできるような――自分の心のままに生きることができるような器用な性格はしていない。仮にそうしたとしても、悠日の場合、責任を逃れた罪悪感で心を病みそうなほどに。

 千鶴と違い、鬼であること、鬼の中でも異質であることを受け入れて生きてきたのが悠日だ。化物、異形、鬼であって鬼でない者……そんな蔑称で呼ばれるのを当然のことだと思い、受け入れてしまうような環境で育ったことも大きく影響しているのだろう。

 心のまま行動できるなら楽に生きていけるのだろうが、立場上その心を抑えるようにと諭されてきたためか、悠日にそうするという選択肢はないに等しいのだ。


「牡丹は、どう思っているの?」

「……私はそもそも、人間というものが嫌いですので、正直なところあの男と一緒になることを簡単に是と申し上げることはできかねます」


 人間云々以前に、あの性格の人間とは反りが合わないとも言えるが、それぞれの相性の問題であって種族の問題とは全く関係ないので、それについては触れないでおく。
 悠日は気が合っているからこそそういう関係になったのだろうから、そこに従者である自身の私情を持ち込むべきではないことも牡丹自身よく分かっていた。


「……ですが、姫がそれを心の底から望まれるのであれば、それで良いとも思うのです。そもそも、人の血が入ることを是としているのが我ら一族なのですから、悩まれる必要などないのですし。――おそらく、姫の中で引っかかっているのは、相手のことかと」

「…………その相手が、どう思っているかということ?」

「いえ、自ら相思相愛だと公言し、終日姫にべったり張り付いていることから鑑みて、全く気にする様子はございませんでした。それに関しては懸念することもないかと。それに、あれは姫の本当の姿を見ても動じなかったようですので」


 これまで見たことのなかった人種の人間だったことが、悠日の興味に拍車をかけたのだろう。そこから好意へ転じても何らおかしいことはない。
 十年近く会わなかったにも関わらず、二人の心が変わらなかったことから考えて、結ばれてもよほどのことがない限り問題は起きないだろうと思われる。


「ただ、巻き込むことをためらっている、ということね。……つまり、問題は悠日の覚悟だけ、と?」

「……非常に不本意ながら、そうなりますね。ただ、あの男の、人としての寿命そのものが、病の影響もあって残り少ないのも事実」


 労咳に罹患して随分経つ。血を吐くこともたびたびあるようだし、今は無茶が影響してほぼ寝込んでいる状態だという。少しずつ回復はしているらしいが、それでもほぼ横ばいだろうことは目に見えている。せいぜい自力でなんとか歩けるくらいだろうか。
 そこまで来てしまっていては、もはや人の手には負えない。ただ死を待つばかりなのは、口にはしないが本人も周りも覚悟していることなのかも知れない。

 そんな牡丹の言葉を受けて、千姫は少し不思議そうな様子を見せた。


「……もう帝との花結びもないのだから、力を使っても構わないのでしょうに。その力を使うか使わないかを決めるのは、悠日自身なのだし」

「それは……」

「少なくとも、私は反対しないわ。花結びの制限はなくなっているのだから、どうしようとこの子の自由。――後悔しない道を選ぶように、目を覚ましたら言っておいてちょうだい」


 後悔『しない』道ではなくその可能性が『少ない』道、と表現するのが妥当かもしれないが。どの選択をしても悠日には後悔が残ることは千姫も牡丹も分かっているのだから。


「お伝えしておきます」

「まあ、その前にまずは心身の回復が必要なのだけど……話はきっと、それからね」

「そうですね……」


 体調的に不安定な時は、心も不安定になる。今その話をするのは、悠日にとっても負担でしかないだろう。だからこそ、先ほど暴走しそうになったのだから。

 それに、これまで悠日が望んでいなかったにも関わらず与えてしまった人の世への影響は、あまりにも大きすぎた。


「おそらくこれから、人の世は大きく揺れるでしょう」

「戦、ですか……」

「それもあるけれど……悠日に関わる件に関しては、もっと面倒なことになると思うわ」

「それは、どういう……」


 人の世が揺れることなどこれまでに何度もあった。人の世でも天下分け目とまで言われる関ヶ原の戦が最も近いものだろうか。
 それに鬼が大きく影響を及ぼすことはあってはならない。関わってはならない。だが、悠日にとって――ひいては霞原にとってもっと面倒になることが何か、牡丹はわけが分からないという様子で眉を寄せる。
 そんな牡丹の疑問も尤もだと分かっている千姫は、厳しい表情でそれを告げる。


「変若水……そのうち悠日の血が入っているものに関しては、そもそもその存在を消すしかない。ただの変若水でも厄介なのに、あれが人の世に与える影響はあまりにも大きすぎるわ。それに、あれを抑えられるのはこの子しかいないのも事実」

「そんなに、増えているのですか……?」

「そもそも、羅刹の存在自体をよしとはしたくないのよ。この子の血が入っている羅刹はなおさらね。……前者はともかく、後者を片付けるのは、きっと、悠日の役目だから」


 鬼を抑える霞原の力。それが影響しているのであれば、鬼にとっても厄介なことにしかならない可能性はないとは言い切れない。悠日の血を受けた羅刹がどうなっているのかは千姫も分からないが、少なくとも普通の羅刹とはまた違う何かを得ていても不思議ではない。そして、不可抗力だったとはいえ羅刹にその何かを与えてしまっていた場合、その責任は悠日自身にもある。
 拒否権はないし、悠日にも拒否するという思いはないだろう。

 それが分かっているから、牡丹もそれを了承する以外術がなかった。


「……心得ました」


 この先、より一層板挟みとなりかねない主を思って、牡丹は悲痛な面持ちで千姫へと平伏した。

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