第十三花 柘榴

 慶応三年師走も半ば。
 王政復古の大号令が下された。

 将軍はその職を辞すことを勅許され、それと同時に京都守護職や京都所司代も廃止。むろん幕府も廃止となった。
 薩摩を中心とした、それまで幕府と敵対していた藩が上洛してきて集っているのだそうだ。


「……それで、元将軍は大坂へ下り、そのほかの幕府側の者たちも京から去っていっているのね」


 あれから半年。三日前にようやく目を覚ましたばかりの悠日は、床の中から牡丹の報告を聞いていた。


「はい。そのためか、新選組も洛中の屯所をはずれ、本日より大坂と京とを結ぶ交通の要所である伏見の奉行所にて薩長を警戒しているようです」

「そう……」

「それよりも姫。……傷自体は癒え、目を覚まされたことは良いことではありますが、熱は依然高いです。それに、体力が戻っているわけではございますまい」


 その証拠に、未だ自力で起き上がることすらできないのだ。
 顔色がいいとはお世辞にも言えず、休息が必要なのは誰の目にも明らかだった。潤んだ瞳はそれだけ熱が高い証だ。
 あれだけの期間晒され続けた香の影響は、まだ悠日の体を蝕んでいる。いずれその効果も消えていくのだろうが、まだそれなりに長い時間が必要だった。


「外界の様子についてはお伝えいたしました。……お休みください」


 本来なら、今の自分に知る必要はないのだろうことは悠日にも分かっていた。知ったところで出ていくこともできず、何ができるわけでもない。それでも聞きたくて牡丹に尋ねたのだ。
 必要最低限のことは教えてくれたが、分かったのは世の大きな動きだけ。新選組の面々がどうしているかなどの詳しいことは、悠日が聞けば気にすると思っているのか、牡丹は決して口を割らなかった。

 きっと、その判断は賢明だ。もし悪い知らせを受けたら、飛び出していきたい気持ちになることは分かり切っている。ましてや、彼のことに関しては。
 そんなことを考えて、悠日は人の世とは関わりないようである者のことを思い出し、牡丹を見やる。


「……あのあとの、風間の動向は?」

「我らがここへ来たその夜に屯所――と申しましても今の屯所は不動堂村へ移転しておりますので、以前の屯所である西本願寺にいた時分のことではありますが……襲撃したようです。それ以降はぱったりと」


 もっとも、油小路の変のとき、妨害しに来たは来たが、千鶴を攫いに来たわけではなかったし、その結末を口にするわけにもいかなかったため、牡丹はそのことについては黙っていることにした。
 あの状況ではそうしなければ助からなかったとはいえ、藤堂が変若水を飲んだなどと知れば、悠日がどう思うかなど目に見えている。

 そんなこととは知らない悠日は、不思議そうな様子で首を傾げた。


「諦めたのかしらね?」

「あの方がそうそう諦めるとは思いませんが」

「それもそうなのだけど」


 あれがそう簡単に諦めるようなら苦労はしない。もし仮に諦めていたのであれば、悠日も早々に新選組から離れていたかもしれないのだから。
 とは言っても、それはたらればでしかないし、悠日自身本当にそうしていたかと言われると、断言できる自信もないのだが。

 風間が千鶴を諦めなかったから、悠日はあそこを離れない口実があった。少しでも彼とともにいることができたのだから、そう考えると複雑な心境になる。

 微妙な空気が流れる中、まるでそれを断つように襖が開く。
 横になっている状態とはいえ、目をさましている悠日を見て、その人は少し驚いた様子を見せた。


「あら、悠日。起きていたの?」


 八瀬の主である千姫は、悠日の傍らへと座す。菊が共にいるわけではないようだが、ここは八瀬の結界の中なので問題ないのだろう。

 寝たままでは失礼になると思い、悠日は起き上がろうと腕に力を込めた。


「姫様……っ」

「ああ、いいわよ、起き上がらなくても。無理させるつもりはないんだから」


 寝ていなさい、と目で訴えられて、悠日はしばし困惑した様子で千姫を見つめる。牡丹からも首肯が返ってきて、悠日は再び体を床へと落ち着かせた。


「……では、お言葉に甘えさせて頂きます」


 起き上がろうとするだけでも随分と体力を消耗したようで、悠日は疲れた様子で息をつく。そんな様子に苦笑いを見せる千姫へ、悠日は小さく首を傾げた。


「いかがなさいましたか、姫様? 何か、問題ごとでも……」

「そういうわけではないのよ。一つ、決めたことがあってね。一応あなたにも、伝えておこうと思ったのよ」

「……決めたこと、ですか?」


 こうしてわざわざ伝えに来るのだから、おそらく重要なことなのだろう。しかも、悠日にも関わることで。
 一体何なのだろうか。悠日をもう二度とこの八瀬から出さないということなのか。それとも、何か別の役目を言い渡されるのか。
 そんな不安を抱えながら話の続きを待つ悠日に、千姫は少し考えてから、確認に近い問いを向けてきた。


「風間が千鶴ちゃんを狙うのは、彼女が純血の女鬼だからでしょう?」

「……はい、本人もそう言っていましたから。鬼の世のことを考えれば、東の鬼の大家である雪村家の血を引く千鶴ちゃんとの婚姻は理にかなったことだ、と……」

「けれど、彼女は人として生きてきた期間の方が長いし、鬼としての自覚も、ほぼないに等しい」


 それはきっと、綱道がそういう風に育ててきたからなのだろう。鬼としての生活が幸せであると思えないのは、雪村の家の滅亡から彼も知っているはずだ。鬼だということを知らず、ただの女の子として生きてきたことはきっと、彼女にとっては幸せだったに違いない。
 悠日とは真逆の育ちを感じて、羨ましささえ覚えたこともあるほどに。


「そんな彼女に、風間のことを受け入れるのはきっと酷なことよ。それに、彼女には好いた人がいるらしいから。……だから、彼女が風間に望まれている立場を、私が引き受ける。そう決めたの」


 悠日は、言われた意味がすぐには理解できなかった。体調が万全でなく、熱で頭がぼぅっとしている今、思考もいつものようには回らない。
 それを説明するように口にしたのは、いち早くその意図に気づいた牡丹だった。


「……千姫様が、風間家頭領の子を産むと仰せになるのすか……?」

「簡単に言えばそういうことね。八瀬の頭領という立場もあるから、風間の家に入るということはないけれど、鬼の一族のことを考えればそれが最善だもの」


 明るく振る舞ってはいるが、風間が好きだからとかそういう理由ではなく、鬼の一族にとっての損得という理由で出した結論だ。つらくないわけがない。

 どこか申し訳なさそうな、それでいて本当にそれでいいのかと確かめるような、そんな複雑な面持ちで、悠日は千姫を見つめる。


「……姫様……」

「そんな顔をしないでちょうだい、悠日」

「ですが……!」

「これは、八瀬一族の姫として生まれた私の務め。……幼い頃からそう教えられてきたし、そう自覚して生きてきた。だから、大丈夫よ」


 それに、と千姫はまるで鏡の自分を見ているかのような――悠日が千姫に向けていたのと似たようなものを笑顔にのせて悠日へ向けた。


「それに、務めにがんじがらめにされているのは、私だけではないでしょう。……南雲の現在の頭領との話は、どうするつもり?」

「それ、は……」

「私は、誰か心に決めた相手がいるわけではなくて、なんとなくその役目から逃げていただけ……。でも、あなたにとっては、自分の心に反するのでしょう? 私は、南雲の話を断っても別に構わないと思うのだけど」


 そもそも、約束したわけでも、花結びを結んだわけでもない。ただそういう話が出ていた、それだけのことだ。拒否しても何ら問題はないのである。


「それに、あなたの血はそう簡単に外部へ出していいものでもない。だからそもそも、南雲の頭領と婚姻の話が出ること自体、おかしいことなのよね」


 これまで、霞原の頭領が鬼と婚姻を結ぶということは、男鬼が霞原の家に入ることを意味していた。これまでずっと、女鬼が頭領を務めてきていて、それを違えられた事実はない。
 それが分かっていてなお、風間は悠日に『妻になるか』と尋ねてきたのだから、あれはどう考えても冗談でしかない。あの時はすべてが戻っていたわけではなかったから冷静に対処できなかったが、今ならまた違った反応になるに違いない。

 それに、契りを交わすことそのものが『妻』の扱いになるのであれば、彼の言い分も間違いではないのだ。血筋の良い風間の子であれば、鬼の血の正当性という意味では霞原にとってもありがたいことには変わりないのだから。

 とはいえ、霞原の家に入りたがる男鬼はほとんどいないのが実情だ。風間もその話を出しはしなかった。

 だから、過去の霞原の頭領で婚姻を結んだものは一握りしかいない。
 契りを交わし、生まれた子は父を見知らず育つ。そもそも花結びのうち、悠日が沖田と結んだ桜結びは、そのために存在しているようなものである。婚姻の約束の花結びではあるが、その実は子を成すための契りを約すものなのだ。
 桜結びが真実婚約の花結びで、それが梅結びへ繋がった頭領は片手で数えられるほどしかいないだろう。

 悠日もそうだった。
 父親が誰なのか知ってはいるが、会ったことも話したこともない。彼女にとってはそれが普通なことなのだ。
 これから千姫がしようとしているのは、それとは逆のことだ。


「……話があったのは雪村の家があった時分で、その時薫様はまだ、次代の頭領と決まっていたわけではありませんから」


 それでも、もしかしたら将来の伴侶となるかもしれないからと、雪村の家が滅びる前までは様付けで呼ぶように言われていたのだ。三つ子の魂とはいうが本当にそのとおりで、その癖は今でも直らないから、あの呼び名で通ってしまっている。


「それは千鶴ちゃんの存在もあったからでしょうね。むしろ、千鶴ちゃんを次代の頭領と推す面々の方が多かった。だからこそ、そういう話が出たのでしょうけれど」

「雪村の家が滅び、あの方が南雲の家へ養子に行ってからは、その話もなくなったようなものです。それに、家との関係性から考えても、南雲の者となった薫様との婚姻は、許されるものではありませんしね。――南雲の先々代は、血縁上、私の父でもありますから」


 一つの一族と深く関わり合うことを、霞原の場合は許されていない。霞原の力は鬼にとって諸刃の剣だ。ひとところに力が集中するのを厭い、そう取り決めされていた。
 だから、父となる対象を純血の鬼としなければならない時、各地の鬼の一族が順繰りにその役を負っていたのだ。

 先代である母の場合、その相手が先々代の南雲家頭領だったというだけだ。それ以上でもそれ以下でもないが、そんなこともあって、南雲と直接の血縁関係がなくても、養子になってしまった薫を相手にはできなくなってしまったのである。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -