第十三花 柘榴

 結局、藤堂は悠日についての詳細を土方に伝えることはしなかった。
 この先関わりがあるかは分からないし、第一彼女は新選組を離れた身だ。伝えなくても支障はなく、沖田を無駄に心配させるのも体調に影響しそうだからやめた方がいいという千鶴の考えもあって、黙っていることにしたのだ。それに、はっきりしないことに時間を割くことができる余裕がないのも理由の一つだった。

 そんなことを思い出しながら、気が休まることのない屯所の中、一人自室にいた千鶴は、突然の来訪者に困惑していた。


「山南さん、どうかされたんですか……? 昼間に起きていて大丈夫なんですか?」

「ええ。……これほどの妙案が思い浮かんでは、ゆっくり寝てなどいられませんからね」

「妙案……?」


 部屋へと入ってきた山南は、その顔に笑みを浮かべている。だが、それはどこか影を――闇をはらんでいて、不吉な何かを感じさせるものだ。
 半ば無意識に体を引く千鶴の鸚鵡返しに近い問いに、山南は続けた。


「あなたは鬼です。そして、鬼は戦闘力、生命力ともに、人を遥かに超える強さを持っている」

「……それが、どうしたっていうんですか?」

「その、強い力を持つ鬼の血はきっと、人のものよりもずっと強い力を持っているのではないでしょうか? もしくは、羅刹の狂気を……副作用を完全に抑える力があるかもしれません」

「なっ……」

「あの時、君は藤堂君と話していたでしょう? 霞原君のことを」

「あの話、聞いて……」


 確かにあそこは羅刹の人たちの部屋で、藤堂と引き合わせてくれたのは山南だ。聞いていて悪いことはないはずなのだが、内容が内容だっただけに、ついそんな言葉が口をついて出る。


「霞原君の血に、仮に死んだ人間すら甦らせるような力があるのであれば、きっと同じ鬼であるあなたの血も、似たような力を持っているのではないでしょうか? あの千姫という方は、霞原君が特別なのだと言ってはいましたが……」

「なんで……なんで、そんなことが言えるんですか? 私の血にそんな力があるなんてこと……」

「ずっと羅刹の研究をしてきたのは、私です。その私がたどり着いた結論なのです。間違っているはずがないでしょう?」


 あまりに飛躍した、なんの根拠もないその考えに、千鶴の背筋を氷塊が滑り落ちる。狂気じみたその言動は、千鶴を戦慄させるのには十分だった。
 そんな千鶴の様子を気にも留めることなく、山南は話を続ける。


「試してみる価値はあるはずです。もしこの仮説が正しいのだとすれば、それは羅刹隊を……ひいては新選組を救うことになるのですよ! とても素晴らしいことではないですか!」


 そう言って、山南は腰の刀を抜いた。正気でない人間の所作は、これほどに狂気じみているものなのか。山南の行動に、千鶴は震えながらも一歩一歩後退していく。
 じりじりと近づく山南を見つめる千鶴の瞳は明らかに恐怖しているが、そんな千鶴を安心させるようにか、山南は優しく――どこかほの暗く微笑んだ。


「怖がる必要はありません。私は何も、あなたを殺そうというのではないのですから。……ほんの少し、その血を分けてもらえるだけでいいのですよ」


 切っ先が近づいてくる。殺すつもりはない、と言いながらも、振り上げられた刀は恐ろしいほどに怪しくきらめいていて、千鶴はぎゅっと目を閉じた。

 だが、その刀が振り下ろされる前に、外から声がかかった。


「……何やってんだ、山南さん?」


 淡々と紡がれたその言葉に、山南も千鶴もそちらを振り返る。
 軽く柄に手を添えながら、声の主――土方は、千鶴をかばうように二人の間に立った。


「君が、邪魔をするのですか? 我々新選組にとって、大きな一歩となるかもしれないというのに」

「俺が聞きてぇのはそういうことじゃねぇ。……もう一度聞く。何やってんだ、山南さん?」


 再びの土方の問いに、山南は刀を抱えたまま答える。


「羅刹の狂気を抑える方法を探っているのですよ。……彼女の血は、そのきっかけとなるかもしれないのです」

「そのためにこいつを斬るってのか? 幹部………しかも、総長であるあんたが、私の闘争を許さず、の隊規に背くのかよ」


 その土方の言葉を受けて、山南は少し考えてから小さく息をつき、刀をおさめる


「ただ、その血を分けてほしいと、そう言っているだけなのですけれどね。……これまでに、多くの羅刹を失いました。羅刹だけではない……一般の隊士たちもです」


 先日の鬼の襲撃で、特に羅刹を多く失った。沖田に殺された羅刹もいるが、風間に殺された羅刹の数の方がはるかに多い。


「今いる羅刹だけでなく、今後増やす羅刹をより有効に使うには、狂気を……羅刹の副作用を抑えることが必要不可欠なのですよ。羅刹なしでは、今後の新選組の闘いはより厳しいものとなる。それは、君にも分かるでしょう?」

「だからって、こいつを切り刻んで血を取ったりしなきゃならねぇ理由にはならねぇだろ。それに、仮に俺が許したところで、近藤さんがそれを許すわけねぇだろうが」

「……君たちは、他人事だからそういうことを言えるのでしょうね。しかし、羅刹となった幹部はもう、私だけではないのですよ? 藤堂君にとっても降りかかる問題だということは、君だって分かっているはずです」


 可愛い仲間のためにも少しは真剣に考えてほしいものですね。
 そう言って、彼は部屋を去っていった。

 彼の行動が、新選組のためのものなのか、それとも……自身の吸血衝動をおさめるための口実なのか。
 その真意は、分からない。きっと尋ねても、その答えの真意は読み取れないだろう。

 足音が遠ざかったのを認識したとたん、千鶴はほっとしてへたり込んでしまった。
 そんな千鶴に目線を合わせるように、土方も畳へ膝をつける。


「大丈夫か?」

「は、はい……」

「悪かったな」


 張り詰めた空気は払拭され、土方の表情も通常通りの――と言ってもいつも何かを張り詰めているのは間違いではないのだが――表情でそう謝罪の言葉を述べてくる。


「……いえ、こちらこそ、ありがとうございました」

「礼を言われることじゃねぇよ。俺は、山南さんに隊規を守らせただけだ」


 それだけのことだと告げる瞳はどこか優しい。もちろん、厳しさも窺えるので、先ほどの言葉は新選組のためということもあるのだろう。
 土方の気遣いにそれ以上の追及をすることなく、千鶴はそれに返事をするだけにとどめる。


「それより、さっき山南さんとお前が話してた霞原のことだが」

「……聞いていたんですか?」

「聞こえたっていやぁそれまでだな。……平助も知ってるって話だが」


 一体いつからいたのかは分からない。だが、山南が大して驚いていなかったのを見る限り、それなりに前からいたのかもしれない。そんなことを考えて、隠し立てしても無駄だし、隠す理由もないのだからと千鶴は素直に答える。


「……それが本当かは、分かりません。平助君も又聞きしたもので、それをじかに見たわけではないって言ってましたから……」

「そうか……」


 小さく息をつきながらのその言葉に、千鶴は不思議そうに首を傾げる。


「あの……?」

「その辺りの話は、斎藤から聞いて知ってはいた。とはいえ、その話を聞いたからって、あいつを疑わない理由にはならねぇが」


 相変わらずの態度に、千鶴は残念そうな様子で目を伏せる。
 斎藤からの報告なのだとしたら、私見が入るようなものではないはずだ。それを受けてどうとらえるかはその人次第なのだろうが、土方は現状維持を選択したらしい。


「……悠日ちゃんは、約束を破るような子じゃないですし……恩を仇で返すような子でもないと思います、けど……」

「そうだな」

「……きっと、沖田さんはまだ、悠日ちゃんのこと信じてると思いますし……」

「あいつは霞原にべた惚れなんだろうから、さもありなんだ」


 否定したいのか肯定したいのか、土方の言葉から真意は見えない。だが、前ほど敵愾心が見えないように思えることもあって、千鶴は遠慮がちに土方を見上げた。


「……あの、ひとつお願いしても……いいでしょうか?」

「なんだ?」

「もし……もし、です。もう、人の世に戻ってくる可能性は低いってお千ちゃんは言ってましたけど……もし、悠日ちゃんがこの新選組に戻ってきたり、顔を出しに来たときは……話くらいは、聞いてもらうことはできないんでしょうか……?」


 完全に敵とみなして、見るからに瀕死の状態で戻ってきた悠日に、新選組の面々が敵愾心を向けていたのを千鶴もよく覚えている。
 だが、悠日が帰ってこなかったのは捕らえられていたからで、自らの意思ではない。出ていったのも役目のためだとかなんとか言っていたことは、出掛けに鉢合わせた土方たちから聞いていたから、その辺りから考えても、彼女に新選組から離反する意思はなかったのだと思う。

 それが分かった以上、単に警戒するだけというのは少し違うのではないかと、そんなことを思った。
 そんな千鶴の態度に、土方はどこか呆れた様子でため息をつく。


「それは、あいつの態度次第だな。それにしても、お前は妙にあいつの肩を持つんだな」

「……根拠は、ないんです。それでも悠日ちゃんがこれまで隠していたことはきっと、表に出しちゃいけない事情があったり、新選組に迷惑がかからないようにって思った結果だったり……そんな風に思うんです。でなきゃきっと、疑われることを知っていて戻ってくるなんて真似はしないと思うので」


 それに、彼女の味方が誰もいないというのはきっと、悲しいことだ。
 きっと沖田は、彼女の味方なのだろう。だが、それだけでは、ここに帰ってきても肩身が狭いことに変わりない。
 彼女のことだから、それが当然だとか、仕方ないことなのだとか、そんな諦めの言葉を告げるだけなのかもしれないが。


「その辺は総司や平助も同じだな。言葉にはしねぇが、あいつに疑いを抱いていることを今もいい風には思ってねぇ。……ま、平助に関しては、霞原が囚われてたらしいっていうところを見てるからだろうけどな。総司の場合はまあ……言うまでもねぇか」

「……はい」


 つまるところ、土方は悠日の信用自体はその人の『情』によるということなのだろう。もちろん、それはほかの人も同じなのかもしれないが、悠日の場合はそれが顕著なのかもしれない。
 少し残念そうな顔をする千鶴に、土方は苦笑を向けた。


「そんな顔するんじゃねぇよ。……んじゃ、あんなことがあった後だ。お前は、今日は部屋でじっとしてろ」

「分かってます。本当に、ありがとうございました、土方さん」


 重ねての礼におうと返事をして、土方は部屋を出ていく。
 緊張から解き放たれて、千鶴は大きく息を吐いた。

 悠日のことは、ほとんど何も知らないのが事実だ。小さい頃に会った幼馴染のようなものとはいえ、彼女の出自も何も知らなかったのだ。
 その程度の知り合いだっただけでありながら、再会したあの時、新選組の秘密を知ってしまった悠日をここに置いてもらえたことは、きっと奇跡なのだろう。もっとも、悠日はどんどん信用されなくなってしまっていったので、そのつけが回ってしまった感じも否めなかったりするのだが、そうなってでもやらなければならないことがあったのだと思われた。


「……どうしてるのかな、悠日ちゃん」


 彼女に関しては、不安と心配だけが心を席巻する。
 風に舞った枯れ葉が寂しげに地を撫でる音を聞きながら、千鶴は本日何度目か知れないため息をついた。

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