第十三花 柘榴
伊東の暗殺は、結果的には成功に終わった。
その伊東の亡骸を利用して御陵衛士をおびき出し、襲撃するという作戦も。
後に『油小路の変』と呼ばれるその事件だが、新選組側にとって……そして御陵衛士側にとっても予想外だったのは、薩摩の介入だった。
そしてそこに、鬼も同行してきたのだから、想定外もいいところだ。千鶴が暗殺部隊の中についていっていたことも影響したのかもしれない。
新選組も御陵衛士も薩摩の罠にはまってしまい、あの小路は乱戦状態となってしまった。
その時、千鶴を庇ったために藤堂が瀕死の重傷を負ってしまったのだ。距離があったからなのか、刀を投げる形で千鶴を助けたところで天霧の拳を受けてしまった。
それは、生き延びるために変若水を飲まざるを得ないような、そんな状態だった。一目見ても助かるはずのないその傷を、一般の隊士たちも見て知っている。
だから、表向き、藤堂は死んだこととなって新撰組――羅刹隊の一員となった。
そして最悪なことに、その油小路の件と同時に、風間が薩摩側の援護のためか屯所を襲撃してきた。
その時、羅刹隊が応戦したのだが、風間との実力差は明らかだった。斬られても死なないとはいえ、斬られれば血が出る。その血に彼らが狂ってしまった。
風間自体は屯所に残っていた面々でなんとかしのぐことができた。
そして、その最中に屯所の中へ入っていってしまった狂った羅刹を殺したのが沖田だった。無茶をしたせいか、あれからずっと彼は寝込んでしまっている。
油小路の件やら鬼の襲撃やら、諸々が重なって、それ以来屯所の中は妙にぴりぴりしている。
重苦しい屯所で一人過ごすのは心細くなり、藤堂の様子を見たくて――話がしたくて、千鶴は屯所の奥にある羅刹隊の部屋へやって来た。
藤堂の傍にいたいと、そう思って。
それを告げた千鶴は、藤堂から笑われたが、それでも元気を出してくれたことや以前と変わらない彼の様子に安堵したのだ。
それからとつとつといろいろな話をし、話題は沖田と悠日のことへ移っていた。
「……そっか……」
「傍にいないからこそ心配なこともあるのは、私も知ってるから……。悠日ちゃんも沖田さんもきっと、気が休まらないんじゃないかって思って……」
寝込んでしまってから、ほとんど動くことのできない沖田。安否すら分からない悠日。
悠日が無事だという前提になってしまうが、きっとお互いがお互いに心配しているはずだ。そこからのこの状況なのだから、それを仮に知ったら悠日がどんなことを思うのか計り知れない。
千鶴のその言葉に、藤堂はもそうだなと呟いた。だがそれ以上何も言えず、口ごもってしまう。
しばらく沈黙が続いたあと、千鶴はふと思い出して、ずっと尋ねてみたかったことを口にする。
「……そういえば、平助君。この間、大路で天霧さんから助けてくれた時、悠日ちゃんが伊東さんと行ったところにいたって言ってたけど、あれってどういうことなの……?」
あの後結局詳しいことを訊けず、彼は帰っていってしまったから分からなかったのだが、今その彼は傍にいるのだ。
自分で答えが出せるわけもなく悶々としていたため、答えが分かるなら少しはすっきりするかもしれない。そんなことを思って尋ねた言葉に、藤堂は少し困った様子で頭を掻いた。
「どういうも何も、そのまんまなんだよな……。いたっていうより、捕まってたっていうのが正しいんだろうけど。ただ、そのこと、俺からは土方さんたちに話してねぇんだよな……。その場には一君もいたから、もしかしたら一君が言ってるかもしれねぇけど」
「そっか……。悠日ちゃんのことはきっとまだ、疑ってるから……。話した方がいいと思う?」
傷だらけで、さらに言えば意識のない状態で戻ってきた悠日を見ても、彼らが敵意を隠す様子はなかった。それだけ警戒しているということだし、完全に『敵』という認識を持っているということに他ならない。
藤堂は千鶴の手前もあるのか、それとも自分の考えからなのか、どちらかというと敵と認識していいか迷っているように見える。千鶴の質問への答えもそれが垣間見えるものだった。
「……分かんねぇ。ただ……あいつ、薩長側に利用されてた可能性があるんだよな。しかも、牡丹の様子だと、本人がそれを承諾してるわけじゃなさそうだったし」
「え……?」
薩長側、という言葉に、千鶴は困惑の表情を見せる。だが、藤堂はそちらではなく本人の意思云々の方の驚きととらえたようだ。
「あんだけの怪我を負わせるなんて、どう考えても正気の沙汰じゃねぇじゃん。牡丹が大反対してるのは声色もだけど言葉から分かったし、悠日は意識ねぇし。ただ、自分からそれを受け入れてるわけじゃなさそうだったから、状況からもそう考えるのが妥当だろ?」
「うん。……それに、お千ちゃんも追ってきたきた人たちを追い払ったし、牡丹さんもそれでようやくほっとしたみたいだったから、間違いはないと思う」
でも、と千鶴は沈痛な面持ちで顔を伏せる。
「薩長側に利用されてるって……どうして……」
「これは俺の想像なんだけどさ……新選組にいたときは、悠日がどんなやつかとか、そんなこと全然分かんなかっただろ。けど、御陵衛士になってからは……新選組から離れて、長州とか薩摩とか、そっちのやつらと伊東さんが繋がってたみたいで……」
「そっち筋の情報、ってこと……?」
「ただの憶測だぞ? 事実、新選組じゃ悠日がどうとかそういう話題は昇らねぇのに、あっちじゃ……」
その内容を思い出したのか、藤堂は不快そうに眉を寄せた。
それは、ただその内容に不快感を抱いただけではないように思えて、千鶴は不安そうな様子で首を傾げる。
「平助君? どうかしたの?」
「いや、あのさ……その、伊東さんと行った場所……河原町三条の東屋でなんだけどさ……」
一度言いにくそうにしてから、藤堂が続けた。
「前、総司と巡察に出たときに会ったやつがいたんだ。お前と顔がそっくりだって総司が言ってた、あの……」
「薫さんのこと……?」
千鶴とそっくりの少女とは、千鶴と沖田は二度会っている。何とも言えない思いを持っているその少女のことをここで聞くとは思わず、千鶴は目を丸くした。
対し藤堂は、千鶴の言葉でその人物の名を思い出して声をあげる。
「ああ、そうそう。……悠日がここに来たとき、どんな状態だったのかは見て知ってんだろうけど……。腕の傷は、そいつがつけてたんだ。伊東さんが言うには、悠日の血は『死者ですら蘇らせる回復薬』って言ってて、東屋には悠日の血をもらいに行ったらしくてさ……」
「……それって……」
変若水、と口に出かけて、千鶴はそれを押しとどめる。目の前にそれを飲んだ人がいるのが拍車をかけた。
だが、藤堂は千鶴が言わんとしたことを察して、それを否定した。
「変若水とは違うと思うぜ。それだったら、事情を知ってる伊東さんも変若水だって言ってるはずだしな」
「……じゃあ、それとはまた別、ってこと……?」
「たぶんな。つっても、その時その薫ってやつが悠日からとった血は、瓶ごと割れて使い物にならなくなっちまったから、その効能がどうなのかってのは見て知ってるわけじゃねぇけど……」
むしろ、知らなくてよかったのかもしれないと思うと、藤堂は自嘲気味に笑った。
おそらく、悠日の着物が血まみれだったのは、血の搾取という名目で何度も切り刻まれたためなのだろう。そして弱っているのは、それが二度や三度で済まなかったからだ。
牡丹が言っていた『香』とやらの影響もあるのかもしれない。そういったいくつものことが、悠日の状況に結びついているのだろうと考えられた。
「……もしかしてそれが、悠日ちゃんの一族のことを天子様しか知らなかったって言う理由なのかな……?」
「そうなのか?」
「うん。……あの日、お千ちゃんがそう言ってたから……」
鬼の一族の話。自身も鬼であるという話。その時その場にいなかった藤堂に、その辺りの話をつまびらかにする。
まるで物語を聞かされているような気分になりながらも、藤堂とて千鶴がこの状況で嘘やごまかしを言うわけはないことも分かっているので、全く疑わなかった、というわけでもないがどこか得心がいった様子を見せる。
「それで、悠日はその八瀬にいるのか……」
「うん。あれから便りもないし、お千ちゃんが来るわけでもないから、悠日ちゃんがどうしてるのかは分からないけど……」
せめて連絡をくれれば安心できるのに、とは思う。だが、千姫は『悠日を人の世に関わらせたくない』と言っていたから、あえて連絡を寄越さないということも考えられた。
「でもよ、総司の体調がよくないことはあいつも知ってたんだろ? もし仮にあいつの血にそんな力があるなら、なんでそれを総司に使わなかったんだろうな? なんだかんだ言って、悠日のやつも総司のこと好きだったんだろ?」
「……だとは、思う。というか、沖田さんの方が自分たちは相思相愛だって言って譲らなかったし、悠日ちゃんもそれを否定はしてなかったから」
ただ、悠日がその言葉にどこか悲しそうな様子を見せていたことは事実だ。儚げな、悲しそうな、寂しそうな。沖田へ向けていた笑顔に含まれた感情を表現できる言葉は、どれも物悲しいものばかりだ。
沖田はそれに気づかないふりをしていたのか、それとも気づいてすらいないのか。
千鶴が気づくくらいなのだから、沖田が気づかないはずはないとは思うので、おそらく分かっていて指摘しなかったのだろう。
なんにせよ、自分の血が真実『回復薬』となるなら、千鶴だって使うだろう。
それはきっと悠日も同じだと思うのだ。
「悠日の性格なら、総司のためなら使えるもん使いそうなんだけどな。伊東さんのあの様子だと、変若水みたいな副作用はないんだろうし……何か事情でもあんのかな」
「悠日ちゃん、いろいろ複雑なもの抱えてるみたいだったから、そうかもしれないね」
もしかすると、伊東すら知らなかった副作用があるのか、それとも別に大きな事情があるのか。それは分からない。
それでも、元気でいてくれることはとても嬉しいことだ。
千鶴自身は、すべてが元通りというわけではないし、これでよかったと言えるような状況でないことも理解している。それでも、傍にいられる。その笑顔をこの目で見られる。話ができる。
それはきっと、藤堂が藤堂である限り、幸せなことだ。
だが、沖田と悠日は、それすらできないのだ。顔を見ることができない、声を聞けない、触れることもできない。会えないということはそういうことだ。音沙汰がないから、繋がりがあるわけでもない。それが分かっていたから、もしかしたら沖田はあの時、簪を托したのかもしれない。
そんな二人を思って、千鶴は悲痛そうに眉を寄せた。