第十三花 柘榴
それからの新選組は、随分とあわただしかった。
鬼の襲撃騒動の翌日、西本願寺側から、これ以上いてもらうのは困る、と言われたのだ。
ここで騒ぎを起こされては困ると――結論から言えばここから出て行ってほしい、ということに他ならなかった。
そもそも西本願寺は尊攘派だ。新選組は歓迎される存在では決してない。それを承知の上で強引にここを屯所にしたのはこちら側なのだ。移転先の敷地の購入費用、屯所の建物の建設費用など、移転に必要な諸々を西本願寺側が持ってくれるという話で、新選組の屯所移転が決定した。
そして、夏を迎え若葉が力強く陽に輝くころ、新選組は新しい屯所――不動堂村屯所へと移転した。
三千坪以上の広さがある土地に建てられているのは、大きな屋敷だ。敷地を囲む高塀、大きな表門に広い玄関。幹部の居間だけでなく平隊士の部屋もあり、その規模も様式も大名屋敷と遜色ない。
最初は訳も分からず、屋敷の中で迷うこともしばしばだったが、さすがに半年近くここにいれば迷うことはない。
季節はもう冬に差し掛かっている。これだけ広いと、寒さと共に心細さがこみ上げる。悠日がいてくれればこんなことは思わなかったのだろうか。そんなことを思って、千鶴はぶんぶんと首を振った。たらればを並べてもどうしょうもない。
八瀬へ行ったという彼女は、今どうしているのだろうか。あの怪我は治ったのだろうか。――意識は、戻ったのだろうか。
あれ以降千姫と会うこともなく、不安は募る一方だ。何かあれば知らせてくれるかもしれないが、知らされずそのまま時が過ぎ去る可能性だってある。
あの日、助けてくれた藤堂が言っていたことも気になって、時折北の方角を見晴るかしては眉を寄せていたりするのだが――。
「考えてても、仕方ないよね……」
気を取り直して、千鶴は手にしたお茶を持って広間へと向かった。
この数か月、新選組だけでなく世の方も大きく動いていた。
新選組に関しては、幕府から正式なお達しがあり、水無月の屯所移転とほぼ時を同じくして、新選組の面々は幕臣となることが決まった。直参と呼ばれる、徳川家直属の家臣だ。
新選組の中にもいろいろな面々がいる。これまで『幕府寄り』だった新選組が完全に『幕府の一部』となることをよく思わない人たちもいたのだ。
その中には、離隊できた人、表向きには切腹に処された――羅刹とさせられた人もいたという。おそらく、今も直参と言う立場を快く思わない人は、それを本人が口に出さないだけでそれなりにいるのだろう。
そんな中、十六歳の年若い親王――
儲君だった
祐宮が帝として即位した。それが葉月も末の頃だ。
そしてそのひと月ちょっとあとの神無月半ば、幕府の将軍が『大政奉還』を行った。天下を取り仕切る権利を朝廷へ返したのだ。
幕府が名目上はなくなったも同然。しかし完全に潰れたというわけでもなく、その存在自体は今もなお強く残っているのが現状だ。将軍慶喜はまだ征夷大将軍の地位を手にしているのだから。
その大政奉還を主導したのは坂本龍馬と呼ばれる人物だったのだが、そんなこともあって彼は佐幕派からも尊攘派からも強く恨みを買っていた。
その辺りのことは先日の巡察中に永倉から聞いた話だから、千鶴自身詳しいことをすべて知っているわけではない。
とはいえ、その坂本と呼ばれる人が重要な人物だということは理解していた。新選組にも、上からその人物に手を出すなと言う名が下りているくらいだからよほどなのだろう。
そんな坂本龍馬が暗殺されたのだという。
――しかも、下手人に新選組が疑われているらしい。
井上の口からそれを聞いて、広間の面々はざわついていた。
「現場に新選組隊士の鞘が落ちていたらしくてね。今取り調べの問い合わせが来ているところだ」
「鞘、ですか……?」
そんなものが証拠になるのだろうか。そんなことを思って、茶を配りながら千鶴は首を傾げる。
それへ同調するように、呆れた様子で原田が眉を寄せた。
「どう考えても単なる言いがかりじゃねぇか」
「だがな……その問題の鞘が、あんたの者だという話なんだよ、原田君」
全員の視線が原田へと向いた。言われた本人も何のことか分からない様子で目を見開いている。
「なんだ、左之さんが斬ったんだ?」
「馬鹿、何言ってんだよ、総司。俺の鞘ならここにあるんだぜ?」
「ああ、もちろん、私もみんなもあんたがやったとは思っちゃいないよ。だが……世間がそれを信じてくれるか分からんからなぁ……」
井上の言い分ももっともだ。何せ『壬生狼』と呼ばれている新選組だ。町の人々がそれを信じてもおかしくはない。
「とはいえ、犯人を絞り切れていないようでね。紀州藩の三浦休太郎が新選組に依頼して暗殺したという話も出ているし」
「ま、俺らを下手人にして都合がいいやつらもいるだろうしな。とはいえ、俺たちは知らねぇんだし、新選組が手を下したわけはねぇよ」
「山南さんが勝手に動いて殺したっていうなら話は別ですけどね」
「……冗談で済めばいいが、最近の山南さんはな……」
沖田の言葉は、ありえないようでありえる、そんな響きを持っていた。事実、夜の巡察のやり方には批判が出ている。常に血に飢えているような、そんな雰囲気すら感じるほどに、最近の山南の様子普通ではないのだ。
「……その件についてだがな」
それまで広間にいなかった人物の声が聞こえて、面々はそちらを振り返った。
先の声の主である土方と、その彼に並んだ近藤。
そして、その後ろにいる人物の姿を見て全員が驚いた。
「斎藤!? なんでここにいるんだよ!?」
「なんでもなにも……こいつは、本日付で新選組に復帰すんだよ」
話について行けない、といった風情で、全員が全員言葉を失った。
「……え?」
千鶴のその声にはっとした様子で、原田がどこか焦った様子で尋ねる。
「ちょっと待った、土方さん。俺たちには嬉しい限りだけどよ、それじゃああっちの立場は……」
そもそも、御陵衛士として離隊するのは斎藤の意思だったのではないのか。それがこうも手のひらを返して戻ってくるとは、と言わんばかりのその問いに、斎藤自身が答えた。
「……そもそも俺はもともと、伊東派ではない」
「どういうことですか……?」
千鶴の疑問ももっともだ。答えを待つ面々に向け、近藤が口を開く。
「斎藤君は、間者として伊東派に交じっていたんだよ。トシの命令でな」
その言葉で、ようやく千鶴も理解した。
あえて自分から『抜ける』と告げていった斎藤。だがそこに土方の命令があったとなれば、その意味はもちろん――。
「敵をだますには味方から……ってことですか……?」
それには沈黙が返ってくる。これすなわち肯定だ。
「そういうことかよ……。近藤さんたちも人が悪ぃよ……」
「す、すまん。極秘だったんでな……話すわけにもいかなかったんだ」
永倉の言葉に、近藤もかなり困った様子でそう謝罪する。彼とて騙したくて騙したわけではないことは分かっているので、みんなそれ以上彼を責めることはしなかった。
複雑な面持ちでいる面々に、斎藤が淡々と話を続ける。
「この半年、俺は御陵衛士として活動したが、伊東たちは新選組に対して明らかな敵対行動をとろうとしている」
「羅刹隊の存在を、あっちも知ってるからな。……俺たち新選組を――幕府を潰す材料として、その存在を公表しようとしてやがんだ。……そのために薩摩と手を組んだって話まである」
「それだけではなく、さらに差し迫った問題もある。――伊東派は、新選組局長暗殺の計画を目論んでいる」
斎藤と土方の言葉を受けて、その場に緊張が走った。
暗殺計画されている当人である近藤は難しい顔をして、何かを言うことはない。
「それだけじゃねぇ。あいつらは、俺たち新選組を潰しにかかってやがってな。……坂本龍馬暗殺の件の話は聞いてるな?」
「俺がやったとかいう話になってるらしいってさっき源さんに聞いたとこだけどよ……」
「そのうわさを流したのも、伊東派の連中だ。『三浦休太郎が新選組に頼んで坂本を暗殺した』ってな」
本人に身に覚えがなくても、怒りや恨みを買うのは必至だろう。土方の話によると、三浦もその事実を否定しているが、それでも怒りや恨みが募った仲間が襲撃してこないとも限らない、ということらしい。
「その三浦の警護は、斎藤に頼むことになる。何も知らねぇ連中からすれば、斎藤は伊東派からの出戻りでしかねぇからな」
だからこそ、しばらくの間新選組を離れていた方がいいという判断だ。
命令でそれを遂行してきた斎藤もそのことをすでに了解しているらしく、彼は静かに目を閉じた。
「ほとぼりが冷めるまで、俺はここにいない方がよいことは分かっています」
その言葉から先、沈黙が落ちた。誰かが何かを発することのない緊迫した無言の中、それを断ち切るように土方が小さく呟く。
「伊東甲子太郎……羅刹隊を公にするだけでなく、近藤さんの暗殺まで目論んでやがる……」
淡々としたその声音は、『鬼の副長』という土方の二つ名を彷彿とさせるほど冷えていた。
刺すような冷たい冬風よりもずっと底冷えするようなその声は、その声音と同じくらい冷たい言葉を紡いだ。
「残念だが、伊東さんには死んでもらうほかねぇな」
全く残念そうに見えない口調で、土方はそう言った。近藤も、それに心の底から賛同できてはいない様子だが、それでもそうしなければならないことを彼も分かっているのだろう。
命を狙われているのは自分だし、何より彼を生かしておいては新選組そのものの進退に大きく影響する。
「……やむを得まい」
絞り出すようにそう告げた近藤の一言で、新選組の総力を挙げた伊東の暗殺が、今この場で決定してしまった。