第十三花 柘榴

 大通りに出てようやく我に返り、千鶴はどうしようかと悩んだ。

 天霧の態度は終始丁重で、自分に危害を加えるつもりがないのは理解できる。だが、隙を見て自分をさらいに屯所へ踏み込んでくるくらいなのだ。信頼できるはずがないし、おそらく、連れていかれたら二度と開放して貰えないだろう。
 今が夜だとか、誰かが来てくれる保証のあるなしだとか、そんなことは考える間もなく千鶴は声をあげた。


「誰か! ……誰か助けてっ!」


 これまで大人しく運ばれていたため、まさかここで声を上げられるとは予想しなかったのだろう。天霧がぎょっとして口を押えようとするが、もう遅い。
 砂地を蹴る音が近づいてきて、路地からその人は現れた。


「おいおいどうした? 人さらいか!?」


 聞き慣れた声に、千鶴は耳を疑う。
 屯所を去る前、桜の下で話した彼と会うのはいつぶりだろうか。感慨とともに安堵が心を吹き抜けていく。
 安心できる状況ではないのは分かっているが、それでもここで彼に会ったのは幸運に他ならない。

 もちろん、彼も――藤堂も、千鶴の姿を見て目を剥いていた。


「お、お前……何やってんだよ、こんなとこで!?」

「平助君こそ……どうしてここに?」


 夜中のこの時間帯に彼がいるのは、正直なところ予想外だった千鶴だが、それは藤堂も同じだ。お互いに質問へ質問を返している形になっているが、そのまま呑気に話を続けていることもできない。
 驚きもつかの間、藤堂は千鶴を抱えた人物をとらえて睨みつけた。


「てめえは、池田屋にいた……! こんなとこで会えるとは思わなかったぜ。お前には、借りがあったよな」


 刀を抜き、藤堂は千鶴を抱えた天霧へ構える。
 だが、天霧はそんな藤堂に怪訝そうな様子を見せる。


「……何か貸していましたか?」


 その問いは、覚えていないから純粋に問いかけた。そんな調子だった。
 だが、それは藤堂の感情を余計に逆なでし、彼は眉を釣り上げながら自身の額の髪を上げた。


「忘れたとは言わせねぇぜ! 池田屋でもらった、この傷だ!」


 見せられた額の傷と、『池田屋』の一言で、天霧も何のことかすぐに理解したようだった。


「ああ、なるほど。あの時の方でしたか。元気そうで何よりです」


 本心かどうかはともかく、敵意は見えない様子で天霧はそう告げる。少なくとも、一度は敵対して戦った相手に向ける言葉ではない。
 その言葉が火に油を注いだのは明らかだった。


「ち……畜生! ふざけやがって! 今度は負けねぇからな!」


 そう口にしながら藤堂が刀を振り下ろす。並の剣士では受け止めることもできない、速く重い一撃だ。
 だが、無手の天霧にいともたやすく避けられてしまう。
 鬼と人、その性質の違いがこういうところで顕著に現れる。


「な……っ!」

「無駄なことはやめましょう。あなたの実力は、あの時からさして変わっているようには見えない」

「うるせえ! こちとらあきらめが悪いのが取り柄なんだよ!」


 そう口にしながら、藤堂が刀を振り下ろし、そのまま刃を翻して跳ね上げる。
 だが、天霧は眉一つ動かさずどちらも交わしてしまう。
 呼吸を整えるためか、二人の距離が離れて相対する形へ戻った。

 悔しそうにももどかしそうにも見える表情で、藤堂は刀を構える。そこには焦りも垣間見えているのが分かった。


「やたら滅多切り込むわけにもいかねぇし……くそっ……!」


 それまでひたすらに攻撃をかわしている天霧と、藤堂の剣筋を思い出して、千鶴はようやく藤堂の言葉の意味に気付いた。

 天霧は千鶴を抱えており、そんな彼女に刃を当てるわけにはいかない。傷つけてしまうことを恐れて、藤堂は全力で刀を振るえないのだ。
 大切に思われていることを嬉しく思う反面、このまま黙って勝負を見ているわけにもいかないと判断し、千鶴はきゅっと唇を引き結ぶ。
 どうすればいい。どうすれば、彼に加勢できる?

 そんな千鶴の考えを読んでいるわけではないが、まるでその答えを指し示すように、藤堂が振り切るように呟いた。


「……考えてる場合じゃないよな。とにかく俺が、何とかしないと!」


 藤堂が再び切り込んでくる。
 彼の言葉に奮い立たされるように、千鶴も思い切り手を動かした。
 天霧の動きの邪魔をすれば、きっと隙ができる。短絡的だがそれ以外にない思いつきでじたばたする千鶴に、天霧は少し困った様子で眉をひそめる。


「危ないですから、じっとしていてください」


 だが、千鶴は諦めなかった。怪我をする可能性も厭わず、平助の刀の前に自分から身をさらそうとする。
 それに目を剥いたのはきっと、天霧も藤堂も同じだ。だが、焦りの度合いが大きかったのは、天霧の方だった。


「なっ……!?」


 ほんの一瞬、このままでは千鶴に怪我をさせることになると思ってためらいが生じたのだろう。千鶴を庇うようにした天霧の腕から鮮血が飛び散る。
 拘束していた腕の力が弱くなったことを受けて体の自由を取り戻した千鶴は、腕から逃れるとそのまま平助のもとへと駆け寄った。


「平助君!」

「無茶しやがって……。ひやっとさせんなよな」


 そう言いつつも、藤堂は笑っていた。
 藤堂の後ろへ隠れるようにしている千鶴を、藤堂も庇う形で立ちふさがって切っ先を天霧へと向ける。


「……やってくれましたね」


 その言葉は、藤堂と千鶴、どちらにも向けられたものだったのだろう。途端、天霧から殺気が放たれる。逃げおおせることはできたが、このまま戦いに持ち込んだら、どうなるのか。
 池田屋で藤堂が負った怪我を千鶴もよく覚えている。不安を抱え胸元で自身の手を重ねていた千鶴は、ふと少し離れたところで呼び子の音がいくつも鳴り響いたのを捉えた。
 人が集まり始めている気配もある。
 それに感づいていたのは千鶴だけではない。


「……人目に付きすぎたようです。今は退いておきましょう」


 そう言いおいて、天霧は闇の中へ掻き消えるように姿を消した。千鶴はほぅと息をついてから藤堂を見やった。


「ありがとう、平助君! おかげで助かったよ!」

「ああ、無事でよかったよ、本当に」


 そう答えて微笑みつつも、彼はすぐに悔しそうな顔に変わった。


「けど……池田屋の借り、ちゃんと返せなかった。やっぱり、とんでもねぇ強さだな、あいつ」


 悔しそうではあるが、それでも天霧の実力を素直に認めている様子だ。なんとも複雑そうに頭をかく藤堂に、千鶴は首を振った。


「そんなことないよ。だって……平助君、私を助けてくれたんだもの」

「いや、それはお前のおかげだって。隙を作ってくれなかったら、助けられたかどうかなんて分かんねぇし……」


 なんとか場をしのぎきれたのは、千鶴のおかげであるのも違いなかった。安堵した様子を見せたが、すぐ自嘲気味な笑顔を浮かべる。


「やっぱり新選組を出てから、稽古が足りてねぇのかな……。なまくらになっちまったみてえだ」


 自分の手を見つめて視線を落とすその様子は、明らかに自身への落胆を物語っていた。そこには自身の剣に関すること以外のものも含まれているように見えて、千鶴はためらいがちに尋ねる。


「平助君……あっちでうまくやれてるの?」

「……なんて言えばいいんだろうな……俺さ、あっちが俺の道だと思って、みんなと離れたんだよな。けど、新選組にいたときのことばっか考えちまうんだ。最近じゃ、伊東さんの考えてることもよく分かんなねぇし……」


 ため息をつきながらそう答えた藤堂に、千鶴は小さく目を見張った。
 普段前向きで、笑顔で導いてくれるような彼がそんな風に不安を口にする姿をあまり見ることはなかったからだ。
 伊東さんとうまくいかないなら新選組に戻って来ればいいのに、とこぼしそうになった時、そういえば、と藤堂が口にした。


「悠日がさ……さっき伊東さんと行った東屋にいたんだよ。……悠日、牡丹に抱えられて逃げ出してったんだけど、無事なのかな、二人とも……」

「え……?」


 つい先程、突然現れていろいろな衝撃を与え、千姫とともに去っていった人物の名前が出てきて、千鶴は思わず声を上げた。


「なんか、伊東さんとかそこにいたやつとかの悠日の扱いが納得いかなくてさ。そのまま帰んのが嫌で、伊東さんと一君には先に帰ってもらって、俺はこの辺ぶらっとしてたんだよな。まあ、だから、こうやってお前を助けられたんだけどさ」


 だが、その話を聞いても千鶴の驚き方があまりに静かだったからか、藤堂は怪訝そうに首を傾げる。


「あんまり驚かねぇのな、千鶴」

「……その悠日ちゃんが、牡丹さんにつれられて、新選組の屯所に逃げて来たから……」


 つい先ごろの出来事の続きがまさか新選組の屯所にあるとは予想外だったのだろう。藤堂は大きく目を見張っている。


「……ただ、すごくひどい怪我してて……。悠日ちゃんがいつ目を覚ますか分からないって……牡丹さんは言ってた」


 着物にできたどす黒い紅のしみを思い出して、千鶴は悲痛な面持ちで顔を伏せる。
 その怪我の程度を藤堂も見て知っているのだ。当然だろうと思い、その結果生じる疑問を千鶴に向ける。


「……それで、悠日はまだ屯所にいるんだろ? 土方さんたちが悠日のこと完全に敵だって思っちまってるから、それはそれで大丈夫なのか……分かんねぇけど」


 御陵衛士として新選組を離れる前の出来事であるため、藤堂もそれをよく知っている。
 帰ってくる、と言っていたにもかかわらず、悠日は帰ってこなかった。これまでは帰ってくると言って本当に帰ってきたのに、今回に限ってそれがなかったことが輪をかけたのだろう。
 敵として認定した悠日を新選組の屯所に置いておくかどうか自体、怪しいところなのは彼もよく分かっている。

 だが、そんな藤堂の言葉を、千鶴は首を横に振って否定した。


「屯所には、もういないの。……お千ちゃん……前に町で会った女の子が連れて行っちゃって……。その子は悠日ちゃんの味方だって言ってたし、牡丹さんも信頼してたみたいだから、悠日ちゃんの身の安全については問題ないんだろうけど……。ただ、もう、会えないかもしれないって言ってて」

「なんだよそれ……って、やべっ」


 こちらへ何人かの人が駆けてくるのが見えた。浅葱色の羽織と提灯の柄など、その格好からして新選組の隊士達なのはすぐに分かる。
 おそらく、幹部の人間もいるに違いない。


「……じゃ、俺もう行くわ。送ってやれなくてごめんな!」

「あっ……平助君!」


 別れの挨拶もそこそこに、藤堂は路地の闇の向こうへと消えていってしまった。
 新選組の人と顔を合わせられないのは、そういう取り決めになっているようなものだから、分からないわけではない。だが、もう少し話していたかった、という思いもこみ上げてきて一抹の寂しさが胸によぎる。
 とりあえず体は元気そうだったが、色々と悩んでいるようだった。
 それに、気になる話もあった。


「悠日ちゃんが、伊東さんが行った場所にいた……って……」


 突然姿を消して、ようやく帰ってきたと思えばあんな状態だった悠日。
 一体何が起きているのか。

 自分の出自や風間の襲撃、そして悠日のこと。いろいろなことがありすぎて、理解が追いつかない。頭が痛くなりそうだし、随分と混乱している。

 駆けてくる隊士たちの姿を認めながら、千鶴は解消できない不安を抱えて自身の胸をそっと抑えた。

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