第十二花 十五夜草

 牡丹たちの話が終わって少ししてから、千鶴と千姫が戻ってきた。


「お待たせしました」


 沖田が悠日の傍に来ている以外これといって変化のない様子を見て、千鶴がほっとした表情になる。
 そんな彼らに、近藤が優しく尋ねた。


「結論は出たかな?」

「これまで通り、よろしくお願いします」


 千鶴が答えるよりも先に口にした千姫の言葉を受け、牡丹は少し驚いた表情を浮かべる。
 深々と頭を下げた千姫の様子は、普通の鬼には見せることのないものだ。相手が人間なのだから余計に驚くのだが、突っ込んではいけないと分かっているため、牡丹は口出しせず事の流れを見守るだけに徹する。
 そんな牡丹の思いも汲むように、隣の菊が千姫へと尋ねた。


「姫様……本当に、よろしいのですか?」

「ええ。彼女の意思を優先することにしたのよ」


 隣にいる千鶴を一瞥し、千姫は少し困ったような表情をしながらもそう告げる。
 そんな千姫の言葉を受け、近藤が大きく頷いた。


「分かった。そういうことなら、新選組が責任もって預からせてもらおう」


 明るい笑みを浮かべてそう答えた近藤に向け、ただし、と千姫は厳しい表情で続ける。


「千鶴ちゃんに関しては、です。……悠日に関しては、彼女が望もうと望むまいと、ここに置いておくわけにはいかない」

「……その辺りのことは、さっきそいつから聞いた。どう引き留めたところで、お前が了承するつもりがないこともな」


 千姫の口からも出たことで、引き止めることは何をどうしても無理なのだろうと悟り、土方は息をつく。
 どこまで話したのか千姫には分からないものの、菊と牡丹が話したということは必要最低限のことだけだろう。告げてはならない部分は伏せてあるはずだと言われずとも理解する。


「悠姫様からも、その件はご了承いただいております」

「悠日が? ……もしかして、目を覚ましたの?」


 安心した、というより何かを危惧するような面持ちになった千姫に、菊が問題ないといった表情でそれに答える。


「はい。と言いましても、少々お話になった後、すぐにお眠りになりましたが」

「おそらく、璃鞘の計らいです。……今度こそ、いつお目覚めになるかは私にも分かりません」

「そう……」


 小さく息をつき、千姫は菊たちへ近づいた。
 胸が小さく上下しているだけで、それを見なければ死んでいるのかと思うほどに静かな悠日の様子を見て、千姫が目を細める。
 土気色の顔はまだ予断を許さないものだ。いくら牡丹の血を飲んだとて、そうそうすぐ回復するものでもない。


「帰りましょう。……あまり、悠日を人の世には置いておきたくないわ」

「はい」


 まだ本調子ではないため、牡丹は悠日の身体を菊へと託す。一瞬目の前が暗くなったのを何とか堪えた牡丹をいたわるように覗き込んでいた千姫へ、千鶴が遠慮がちに声をかける。


「お千ちゃん……」


 千鶴の様子は、悠日と自身の先のことへの憂慮が含まれるような、そんな複雑なものだった。
 そんな千鶴を振り返った千姫は、それを払拭するように穏やかな笑みを浮かべてから、真剣な表情になる。


「くれぐれも気を付けてね、千鶴ちゃん。私はいつでもあなたの味方だから。……そしておそらく、悠日も。ただ、人の世に近しいあなたと悠日が、これからも関わることができるかは分からないけれど」


 ごめんなさいね、と困ったような笑みを見せる千姫に、千鶴は少し悲しそうな様子でうつむく。随分と長く共に暮らした悠日と、この先会えるかどうか分からないと告げられたのだから無理もない。
 そんな二人の会話にきりがついたのを見計らい、菊が声をかける。


「姫様」

「ええ。……それじゃあ、お邪魔しました」


 庭先に降りてふわりと微笑んだ千姫に続いた牡丹を、沖田が呼び止めた。
 気分を害し眉を寄せる牡丹の様子を気にすることなく、沖田は牡丹へ近づいていく。


「……何か用か、沖田」

「はい、これ」


 渡されたのは、桔梗の花をかたどった簡素な簪だった。華美なものよりも控えめなものを好む悠日が選びそうなそれを見つめ、牡丹は怪訝そうな様子で尋ねる。


「……これは?」

「前に悠日ちゃんと外に出たとき、悠日ちゃん気に入ってたみたいだからさ。あの後悠日ちゃんは八瀬に行っちゃうし、いろいろごたごたとあったこともあって渡す機会がなくなっちゃったし」


 そんなはずがあるかと、牡丹は突っ込みたいのを何とかこらえた。
 牡丹自身、その簪には見覚えがあった。記憶すべてが戻ったあと、沖田と一緒に町へでかけた際、悠日が手にとって見ていた簪だ。悠日が信頼の対価に髪を切る前のことで間違いないだろう。
 だが、あのあといつ買ったかにもよるが、それでも渡す機会は何度となくあったはずである。

 それを今ここで渡す理由。


 ――この人間は、本当にこの主を困らせることしかしやしない。


「……確信犯か、お前」

「何のことかな?」


 牡丹が何を言いたいのか、全て分かっているかのような表情で沖田が笑う。
 それにほだされたわけではないが、一つくらい偲べるものを残しておいても構わないだろうと結論づけて、牡丹はそれを受け取った。
 

「…………目を覚まされたら、お渡ししておく」

「ありがとう」

「だが、期待はするな。……所詮、我らは鬼で、お前は人間だ。それは変わらない」


 『簪を贈る』ことの意味は牡丹でも知っている。悠日も同様だ。
 だが、その意を汲むことはきっと出来ない。受け取ったとしても、それに是と答えることは許されないのだ。
 あの花結び――桜結びも、知らなかったとは言えそれに近い意味になる。

 来ない未来を期待しても、辛いだけだ。それが分かっているから、悠日はそんな未来を諦めている。そして、牡丹もまた、諦めてもらうしかないと思っていた。

 だからこそ、伝えておかなければならない。


「人の世が落ち着いた頃にその花結びの件で訪うことはあるかもしれないが……」

「あれ、約束は守らせてくれるんだ?」

「逆だ。……反故にすることを告げるために。そして、それを了承させるために、だ。断ろうなどと思うなよ。――姫の命に関わる」


 約束した内容とは別に含まれる、花結びそのものの意味。然るべき時が来たらするものだと教わっただけで、それが何かを知ったのは、花結びを結んだ後だった。

 菖蒲の花結びは、何に用いても良いとされる花結び。
 藤の花結びは、血を以って関わるための花結び。

 そして桜の花結びは、咲くか散るか、そんな風情を思わせる縁の約束の花結び――簡単に言ってしまえば、夫婦となる約束のための花結びだ。
 花ののちに実を結ぶ梅の花結びが、正式な婚姻のための花結びとなる。

 あの時、悠日が沖田と結んだのは、奇しくも桜結びだった。
 人と関われた間――攫われる前の状況が続いていたのであれば、『悠日の故郷で会う』という約束そのものだけは守り、花結びそのものの意味合いだけ反故にするつもりだった事は知っている。沖田がその花結びの本当の意味を知らずにいることも有り、それは十分に可能だった。

 だが、この状況となっては、あの桜結びは約束の内容そのものも反故にする以外ないのだ。霞原の存在が広く知れ渡ってしまった以上、鬼の一族に大事でもない限り外に出ることすら出来ないだろう。

 もし仮に、外出を完全に禁じられたら、二度と会うことは叶わない。


「もし仮に、すべてが落ち着いても姫が来なかった場合でも、それは捨てずに持っておけ。死にたくないならな」

「死ぬ……?」

「花結びの一方的な反故の代償は、命そのものだ。それほどに、霞原にとって花結びの約定は重い。相手が人間であれ鬼であれ、それは変わらない」


 時差があったとはいえ、孝明の帝のあの病の一因にはそれも含まれている。霞原を守るという約定を、彼らは守れなかった。完全に命までとられなかったのは、霞原が滅びたときに次代頭領で、再会したときにはすでに頭領だった悠日が生きていたからだろう。頭領が生きていれば、霞原の一族再興は叶うのだから。
 まるで脅しも含まれるような牡丹の言葉に、沖田は少し考えてから納得した様子で悠日を見つめる。


「……ああ、そういうことか。だから、あんなに約束に関して厳格だったんだ」

「とはいえ、それが永続的に続くわけではない。基本的には、どちらかが死ねば、自然と花結びはほどける。お前が姫と結んだ約定もそうだ」


 永続的に続くたぐいの花結びは、霞原と八瀬の間にある約定や悠日の一族と牡丹の一族の間にある約定のたぐいだ。血脈そのものに組み込まれていることが多いから、その花結びは持ち歩くのではなく厳重に保管されていることがほとんどだ。
 沖田との約定の花結びはそれとは異なるため、牡丹が言ったとおりである。
 そんな牡丹の言葉を聞いて、沖田は堪えた様子もなく笑った。


「死ぬまでずっと待ってるから、いいよ」


 ただ、死ぬまでと言ってもその時間がそう長いこと残されていないのを彼自身が知っていた。牡丹も同様だろう。そしてきっと、悠日も。


「……そうか」


 そう短く告げて以降、牡丹は何も発さない。小さく息をついた彼女が主である悠日の側へ寄ると、千姫は縁側にいる面々を見やって小さく礼をする。
 その瞬間、彼らを取り巻くように強い風が吹き、それが収まった時には彼女たちの姿はすでにそこにはなかった。

<第十二花 終>
2017.7.17

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