第十二花 十五夜草
霞原について納得した風情の面々の反応を確認してから、千姫はさて、と話を続ける。
「話を戻しましょうか。……散り散りになってしまったがために、鬼の血筋は人との交わりが進んでしまっています。血筋の良い鬼の一族と言うのは、そう多くはありません」
「それがもしや、あの風間と言う……?」
近藤の問いに、千姫は小さくうなずいた。
「今、西国で最も大きく血筋の良い鬼の家は風間家です。薩摩の後ろ盾を得て、その血を長く濃く継ぐことができています。現在の頭領は、あなた方も対峙された風間千景です。そして、東国で最も大きな家は――雪村家」
「……え?」
唐突に出てきた自身の姓に、千鶴は大きく目を見開いた。何故ここで自分の姓が出てくるのかと困惑した様子だ。
「正確に言えば、大きな家だった、と言うべきでしょうか。雪村家は滅んだと聞いていますから」
「……じゃあ、私は……」
「千鶴ちゃんはその生き残りなのだと思っています。――以前、悠日もあなたに会いに江戸へ行ったという話だから、間違いはないでしょう」
その辺りの話を耳に入れない辺り霞原の一族もどうなのかと思いはしたが、今の千姫にとって問題はそこではない。
「事実、あなたからは特別強い鬼の力を感じるのよ」
「そんな……」
「それに、今、あなたが腰にさしてる小太刀。もとはうちのご先祖様が持ってた刀で、小通連という名なの。それは雪村の家に代々伝わる宝刀でね」
それ故に千姫は千鶴が鬼であると確証を持てたのだ。
それだけではない。
「それに、私だけじゃなくて、悠日もそれを確信してる。悠日はその血筋のせいもあって、私よりも鬼の気配に聡いのよ。その悠日が、千鶴ちゃんが東の鬼の大家である雪村家の直系なのだと断言した。だから間違いないわ」
間接的な悠日の言葉と、千姫の言葉。断言する形で告げられた言葉に、広間の中がしんと静まり返る。
千姫の言葉が冗談でも何もないことはその口調から分かる。それ以上に、千鶴が鬼だということそのものについて思い当たる節が、新選組側にも千鶴自身にもあるのだ。
風間が血筋の確かな鬼なのであれば、その風間が狙う千鶴の出自についても自ずと結論づく。殺すことではなくさらうことが目的に近いようだったことを鑑みれば、いくらその事実を知らなかったとはいえ、新選組の面々でも察しがつくはずだ。
これまで自身を鬼と認識していなかった当人である千鶴とて同様だ。自身の体の『異質さ』は、誰よりも千鶴自身が一番良く知っている。
「傷の……治り……」
先ほどの牡丹と千姫の会話を思い出しながら、千鶴はかなり小さな声でそう呟いた。
明らかに深い傷だった、牡丹の首筋に穿たれた牙の跡。あれだけ深ければ、場所が場所なのでただの人なら血はなかなか止まらないはずだ。だが、血はすぐに止まってしまっていたし、傷も数日で治ると口にしていた。
同じなのだと認識して、千鶴は自身が鬼だと認めざるを得なくなった。
「じゃあ、あの風間が千鶴ちゃんを狙う理由っていうのは、千鶴ちゃんが鬼だからって言うことなんだ?」
「ええ。ただでさえ、女鬼は生まれにくいんです。そんな中で純血の血筋。純血同士が結ばれれば、より強い鬼の子が生まれるのが摂理」
「つまり、嫁にするつもりでいるということか」
なるほど、と納得した風情の近藤の言葉に、千姫は頷きを返す。
「今のところはまだ遊びで済んでいるようですが、本気になればどうなるか……。そうなったら、千鶴ちゃんを守り切れるとは思えない。少なくとも、あなた方人では対処の仕様もないでしょう」
「おいおい、それは新選組をなめすぎだぜ。俺たちを見くびり過ぎなんじゃねぇか?」
侮られて機嫌を悪くしたのか、永倉が呆れた様子で千姫にそう告げる。
それくらいどうにかなると言いたげな彼らに、牡丹が静かに、それでもよく響く声音で告げた。
「鬼をなめると痛い目を見るぞ」
「……さっきまでふらついてた奴が言えたことか?」
牡丹から出た先ほどの千姫の言葉へ向けた肯定のそれに、土方が不機嫌そうにそう返す。
それに自嘲気味に笑いながら、牡丹は真っ直ぐに土方へ目を向ける。
「ただの鬼とは少し事情が違ってな、まだその影響が残っている私が言っても説得力はないだろうが。……なんにせよ、本気になった鬼に人が勝てるとでも思っているなら、それは思い上がりだ」
「――牡丹」
「……失礼いたしました」
暴言に近い、それでも事実を含むその言葉を千姫が止めたのは、それ以上口にすれば新選組の面々が今にも抜刀しそうな雰囲気だったからだ。
先ほどまで以上に空気がピリピリしている。
頭を軽く垂れた牡丹に小さく息をつき、千姫は再び新選組の者たちへ視線を戻した。
「とはいえ、牡丹の言うとおりです。いくら壬生狼と呼ばれた新選組とはいえ、そう簡単に行かないことは風間と対峙したことのあるあなた方なら分かるはずです。……ですから、千鶴ちゃんのことは私たちに任せてください。私たちなら、彼女を守れる可能性は高まります」
「おいおい、俺たちじゃ守れないって決めつけんのか?」
「第一、『可能性が高まる』ってことは、確実に守れるってわけでもねぇんだろ? それなら渡す必要は無いんじゃないのか?」
「それに、新選組の内情の話でもあるし。……部外者には、首突っ込んでほしくはないよね」
怒気をはらんだ、次々と向けられる拒絶の言葉に、千姫と菊がどちらからともなく息をつく。
「土方さんは、どう思われますか? 風間と対峙したことのあるあなたでしたら、姫様の言、ご理解いただけるのではありませんか?」
「それとこれとは話が別だ。……あいつらがどんだけ強いのかは知らねぇが、新選組の名にかけて守るっていう事実は変わらねぇ。それに――お前たちを信用したわけでもねぇし、信用する義理もねぇ」
「何より、彼女にはまだここにいて頂かなければ困りますし。私も、土方君に同意ですね」
土方の言とそれに続いた山南の言葉の双方に、菊が激情を帯びた声を上げた。
「っ無礼な……! 千姫様はかの鈴鹿御前様の血を引く――」
「……やめておけ、菊」
響いた菊の声を遮ったのは、後ろに控える牡丹の静かな声だった。
淡々とした言葉は、先ほど土方たちへ向けていた口調と何ら変わらない。感情の乗らないそれは、人への信頼をなくした鬼のそれに相違なかった。
「人にとって、鬼の血筋の良し悪しなぞ意味はない」
腕の中にいる悠日の姿を見つめ、牡丹はどこか諦めた様子で口を開く。
「我が一族がいい例だ。宇治の橋姫と呼ばれ崇められようと、その実が鬼と知れれば人はいとも容易く手のひらを返す。だからこその【霞原】だ。違うか?」
「牡丹……」
人と信頼関係を築こうとした悠日と違い、牡丹はいつも、どこか人を軽蔑するような眼差しで見ていた。馴れ合うつもりはなく、必要以上に近寄ることもない。いつまでも変わらないそれはきっと、守る立場である牡丹と守られる立場の悠日の違いなのだろう。
どこか冷気を含んだ風が通りすぎたかのような部屋の雰囲気に、少し考え込んでから言葉を発したのは近藤だった。
「……このまま話していても埒が明かんだろう。雪村君自身は、どう思うんだ?」
突然振られたその言葉に、千鶴はびっくりした様子でキョロキョロと視線を動かす。
「え……私は、その……まだ……なんとも……」
どう答えたものか、そんな風情が見て取れる。混乱した風情で即答できなかった千鶴の言葉を受けて、近藤が穏やかに告げた。
「そうか……。我々がいては、話しにくいかもしれんな。千姫さんと二人で話してくるといい」
「近藤さん……!」
「せめて一人、立ち会うべきでは……!」
焦った様子で止める土方と山南の言葉に首を振り、近藤は千鶴に向き合って信頼の見える笑みを向けた。
「なぁに、心配いらんよ。なぁ、雪村君」
「はい、皆さんを裏切るような真似はしません」
断言する千鶴の言葉と瞳を見て、沖田が苦笑いを浮かべてそれに了承の意を口にする。
「近藤さんが言うんだから、仕方ないなぁ」
「二人きりになった途端彼女を連れ去る、などということはないでしょうね?」
なおも警戒する山南に、千姫はそれに大きく頷いた。
「ご心配なく。私は風間とは違いますから」
「大丈夫です。お千ちゃんはそんなことする子じゃありません」
付き合いが多い方ではない。それでもそれは千鶴の中ではどこか確信めいている。
そんな二人の言葉を受けて、近藤以外の面々も千鶴と千姫の一対一という条件で話し合う時間を設けたのだった。