第十二花 十五夜草

 次の日。薫の指示を受けて新選組の様子を見てくるよう言われた牡丹は、主の安否を気にしつつもその言葉に従って動いていた。

 昨夜騒動があったことは知っている。それがおそらく、悠日の力が及ばなくなったゆえのものだということも。
 悠日がここから離れている間も、ずっと璃鞘が抑えていたものだ。悠日の力が及ぶ分、羅刹達の力は抑えられる。
 と言っても、ここ最近はすべてを抑えきることはできなくなっていたのだが。羅刹の数が、山南が羅刹になった頃よりも増えていたから。

 そんなことを考えて、牡丹は自分達一族の役割を思い出して少し不快そうに眉を寄せた。


 霞原の一族は、人と鬼とをつなぐ役割を果たしていた。はるか昔から、鬼以外の血を――人の血をも受け継いでいたために。
 持っている力の特性上、人の血を入れざるを得なかったためでもある。純血の鬼を頭領とする慣習が根強い鬼の一族の中で、唯一その例外とされてきたのが霞原の一族だ。

 その霞原の鬼が持つ力は二つ存在する。

 そのうちの一つが、鬼に脅かされる者を守るために、鬼を抑える力だ。

 鬼の血に反応し、その力を抑え込む。遠い昔から人とのつながりを忌んできた鬼の一族にとって、人にとってより有益なその存在は何よりも忌むべきものだった。その歴史が血塗られていることも大きな理由だろう。

 そんな血筋ゆえに、霞原はほとんどの鬼達から良いように思われていない。歴史の長い一族であり、鬼にとっても有益であるために敬われてはいるものの、その表現は崇敬というより畏怖に近い。
 近すぎず遠すぎず。その絶妙な距離を保っているからこそ、霞原とその他の鬼との間で秩序が保たれていた。その力が外部に渡ることは、鬼にとって何よりも恐ろしいものであり、それを狙われる危険性も熟知している。だから、誰も霞原の血を欲さず、霞原も血を外へ繋げることはなかった。

 とはいえ、その力を持つのは長の血を引く直系の者のみだ。
 だからこそ、霞原の者の中でも特に頭領家直系の血筋は、外部に出ることはこれまで一度もなかった。いずこかより婿を取り、血を繋いでいく女系の一族。その最後の生き残りが悠日だ。だからこそ、薫が許婚と言うのも、彼が霞原の一族に入ることを意味する。
 と言っても、一族の面々はそれに是と答えてはいなかったので、正確に言うと許婚ではないし、薫が頭領となった時点で婚姻は完全に無理な話なのだが。


「……姫様」


 今もあの檻の奥で、香の煙に巻かれながら道具と化している自身の主を思い、牡丹は唇を噛みしめる。許婚と言い張るのであれば、あのような扱いなどしなくてもよいものをと、これまで何度思ったか。彼に悠日を開放する意思はない。
 牡丹が力づくで助け出すことができない以上、自身の力で出てきてもらうか、何かしらの理由をつけて出してもらうか、その二択のほかない。布で顔を覆っても逃れられないその香から身を守る術はなく、味方になるものが誰一人としていないのだから、現状後者しか方法がないのが事実ではあるが。

 何もできないことがこの上なく歯がゆい。そんな悔しさを胸に秘めながら、牡丹は新選組屯所の様子を探る。

 あの一件以降、悠日への警戒を強めた新選組だ。仮に牡丹が彼らに見つかったとして、助けてくれることはなかろう。頼みの綱のあの男も、今は弱り切っていて動こうにも満足に動けないのだから。

 息をつきながら立ち上がった瞬間、背後から殺気が向けられるのを感じて牡丹はそちらへちらりと視線をむける。

 そこにいるのは薫によって配された見張り達だ。牡丹が不審な行動を起こせば、すぐさま薫へと連絡が行く。悠日の命がそれだけで危なくなってしまうのだ。ただでさえ自由が利かないのに、なお重い枷をかけられているように思える。

 一挙一動に反応されていてはこちらも自由に動けないので、薫から頼まれた役目を全うできないのも問題ではないかと思ったりもするが、そのための者たちだ。最低限の情報を持ち帰るしかあるまい。


「そんなに殺気立って見張らずとも、何もするつもりはない」


 ぽつりと呟いてから、牡丹は再び屯所の中を見渡す。

 昨日の一件で、新選組が分裂した。
 千鶴が羅刹となった隊士に斬られ、そこにやって来た山南もその千鶴の血で狂いかけた。その現場を見た伊東がとうとうしびれを切らし、こんな隊にいるつもりはないと啖呵を切った形になる。

 もともとそのつもりだったのだろう。でなければ、御陵衛士などという役職を理由に即脱退する手はずなど取れない。機会をうかがっていたのだろうことはすぐに理解できた。
 伊東が入ってきたとき、悠日が懸念していたことが起きてしまったのだ。


 御陵、という言葉から、牡丹は二人が捕まったその日に向かった場所――御所の様子を思い出す。

 あのまま捕まってさえいなければ、その後も足を運び、その結果先帝の命を長らえさせることができるはずだった。
 かの帝の望みもあって、花結びは当代を限りに終わらせる形になり、それをほどいたのではあるが。

 それでも悠日は、約定した最後の人物その人との約束を、花結びをほどいた後も続けるつもりだった。

 もともと、霞原の頭領家一族と皇族との間で遥か昔に結ばれた花結び。それがあったから、まだ斃れるには早い帝の命を救いに向かったのだ。


 ――霞原の血には、他者の傷病を癒やす力があるために。


 その力の存在そのものも、本来外部に出ることはなく、鬼以外でそのことを知っているのは帝のみのはずだった。帝にもしものことがあり、必要と判断した場合にその血をもって病や怪我を治すという約定だったからだ。

 だが、いつどこで漏れたのか、その情報が幕府へと渡り、それが朝廷の力の一つであることを懸念した幕府によって一族は滅ぼされた。とはいえ、治癒能力を持つ頭領家の血を引く現頭領の悠日と前頭領である悠日の母は、利用価値があると考えたようでそのまま幕府の手に落ちる手はずだったらしいと聞く。

 しかし、前頭領はあの宇治の山でほかの一族の者たちとともに死を選んだ。命を絶ち、火を放ってすべてを消す。それがかの頭領が考えた、頭領としての最後の役目でもあった。それに応じ殉じたのもまた、一族の総意だ。


 治癒能力は頭領家だけでなく、牡丹の一族も持っている。

 牡丹の一族のずっとずっと昔の先祖が、悠日のずっとずっと昔の先祖と重なる。その重なった先祖が持っていた能力が、その治癒能力だった。鬼を抑える力を持ったのはその更に数代後の悠日の先祖だから、牡丹の一族にその力はないのである。

 霞原の一族と言っても、そのほとんどが頭領家とは血のつながりのないものばかりだ。霞原の一族と総称されるものの、霞原の姓を冠するのは頭領家のみ。牡丹の一族を除いて、頭領家の血と重なるものは誰一人としていない。
 一族の中でさえ『外』に出ないその血筋であったために、悠日の一族と牡丹の一族以外の者にはその力は引き継がれていなかった。

 だからこそ、双方の一族の血は霞原の一族の中であっても特異なものとされ、大切に敬われた。その鬼達に守られることによりその血筋が外部へ出ることもなく、守られている側もまたその力をもって一族の者達を守る。
 互いが互いに守られてきた秩序であり、皇族との花結びよりもずっと長く続けられてきた見えない約定でもあった。

 その秩序を、約定を、霞原の一族は何よりも重んじる。

 霞原の鬼は訳ありの血筋の者が多い。外に出てもそうそう簡単に受け入れられるはずもないことを彼らは知っている。だから、治癒の力を持たない鬼達も一族の最期に殉じたのだろう。

 人間の攻勢は恐ろしいほどに凄惨だった。女子供も関係なく手にかけるさまは、鬼以上に鬼の所業だったのだ。逃れるすべなどなかったことも事実だろう。


 生き残った悠日と牡丹は、今は行方知れずということになっている。今のところ幕府の方からそれらしい話が聞こえることはないが、霞原の一族の存在は今や幕府だけでなく幕府より遠い人間にもその話は伝わっているようだ。

 伊東が悠日を見て、どうしてあなたのような人がこんなところにいるのかと、そう尋ねたのがそのいい例だろう。――おそらく伊東は、霞原の一族がどういうものか知っているのだ。


 霞原の存在を知らせたのが誰なのか、検討は全くつかない。
 少なくとも霞原の一族の者でないことは、牡丹が誰よりも分かっていた。
 霞原の治癒の力が外部に出ることを最も恐れたのは、一族の者達だったからだ。自身がその力を持っていなくても、その力が外に渡れば今度危機に陥るのは自分達だと彼らは知っている。

 そう信じたいだけな事も、分かっているのだが。



「……帰ります」


 何かを振り切るように目を閉じて小さく深呼吸すると、見張り達にそう告げた牡丹は、その足でかの東屋へと向かう。
 鬼の目と耳は人のそれを超えるもの。大体の情報はつかめた。

 雲に隠れた陽の光に続くように、牡丹は木の葉の陰へまぎれるように姿を消した。


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