第十二花 十五夜草

 そんなことを考えていた時、足音を聞きつけて薫はそちらを振り返った。


「ああ、また来たのか」


 その言葉を聞いて、牡丹ははじかれたように顔をあげた。まさか、という予想が当たり、苦虫をかみしめたような表情をする。そんな牡丹を見て笑う薫に、せめてもの抗議の言葉を向ける。


「……ついこの間も、来ていたと記憶していますが」

「今のあいつらには悠日の血が必要みたいだしね。……断る理由もないだろ?」

「あのままでは、姫様がいつか身罷られる!」

「悠日がどうなったって俺には関係ないけど、一応許嫁だしね。命の危険が及ぶことまではするつもりもないけどさ。でも、あまり過ぎればどうなるかは分からないけど」


 それに人間のあいつらにそれが通じるかは分からないしね。
 そう告げる言葉は冷たさを帯びており、悠日を気遣う様子は毛ほども見られなかった。

 殺すつもりがないのは分かっているのに、悠日へ向けられる殺気が本物なのも知っている。
 薫に脅されるたびにどちらが本心か分からなくなり、故に身動きが取れなくなるのだ。


「悠日の血を『使ってる』だけなんだし、そこまで寿命が縮むわけじゃないんだろ? 縮んだところで数年単位って聞いたけど」

「それでも、あれだけ何度も取られたのでは、確実に相応の寿命が縮みます! それでなくともかなりの体力を消耗することくらいあなたも承知で……っ!」


 そこまで口にして、薫が袖の奥に隠していた短刀をひらめかせた。その切っ先は悠日の方を向いており、これ以上言えばその切っ先が悠日の命を屠ることが分かって、牡丹は口をつぐんだ。

 口で何を言おうと、この方の目は本気だと、気配だけでそれを察する。


「口答えしない方がいいよ。あんまりうるさいと、あいつらに心の臓一突きにしてもいいって言ってもいいんだから。……ここでは悠日がどうなるかなんて、俺の言葉にかかってるってこと、分かってるだろ? 正直、許嫁って言ってもそこまで執着もしてないし、霞原の一族がどうなろうと俺は知ったことじゃないから、悠日を手にかけることそのものにそれほどためらいはないんだよ」


 そんなことを言い、薫は分かったかと笑顔で尋ねてくる。
 牡丹はそれに悔しげな表情を向けるしかなく、それを薫も愉快そうに見るだけだ。
 それを是ととらえた薫は、手にしていた短刀をしまうと、踵を返して悠日の部屋の前にいる面々に近づく。


「随分と熱心だけど、まだ完成には程遠いんだ?」

「……はい」

「まあどうでもいいけど。ほら、入りなよ。お前も勝手な真似したら容赦するつもりはないし、そこのところは分かってるよね、綱道」

「分かっております、薫様……」


 少々やつれた風情の剃髪した男性。それは、新選組がずっと血眼になって探していた綱道その人だった。
 その周りには屈強な武士数名。……長州藩の人間だ。

 薫は土佐に籍を置く南雲家の者だ。ただ、悠日を必要としているのが長州の人間だということも彼は承知していた。だからこそ、土佐藩邸だけでなく長州藩邸にもほど近いこの東屋に悠日を籠めたのだ。

 薫が格子の鍵を開けると、長州の藩士三名と綱道が部屋の中へ入っていく。
 悠日へ近づくと、その体を起こした藩士二人が悠日を押さえつけるように抱え込んだ。悠日の手をつなぐ鎖が鈍い音を立てている。


 もう一人の長州藩士は悠日の手を取ると、おもむろに懐の短刀を取り出した。

 それを見て牡丹が歯噛みしていることを知っているのは、恐らく薫と綱道の二人だ。
 だが、それに気づいていない長州藩士は、その刃を悠日の手首へ当て、迷いなく引いた。


「っあああああああ!」


 先ほどまで動かなかった悠日が、その瞬間大きく叫んだ。絶叫にも聞こえるそれは、取り押さえている男の手がすぐさま悠日の口元を抑えたためぐぐもったものへと変わる。
 男二人で抑え込んでいるが、悠日の抵抗の力は普通の人間より強いものだ。女と言えど侮れないと、今ここにいる者たちは随分前に承知済みだった。
 本当の姿をしている今の悠日は、並の人間以上の力を使えるのだから。

 抗うように体をよじる悠日を力で抑えこみ、長州藩士達は傍らの綱道へと目配せした。
 飛び散った血しぶきを気にすることなく、悠日を斬った藩士が顎をしゃくって綱道に重ねて指示を出す。

 綱道が申し訳なさそうな表情をしながら、手にしていた小瓶へ手首を伝い落ちる悠日の血を入れていく。雫になって落ちていく血の色は、傾いた月の光を帯びて怪しく赤く光った。

 びくびくと体を震わせていた悠日の喉が、力尽きるようにのけぞる。抵抗する力が弱まり、藩士達も悠日を抑える力をゆるめた。

 瓶の半分くらい埋まったあたりで血が止まり、綱道はその瓶を悠日から離すと蓋を閉める。

 それを確認し、香の力もあって抵抗が完全になくなったのを確認した藩士達は、悠日の体を床へ投げ捨てるように無造作に放った。

 じゃらん、と鎖の音が反響し、悠日は痛みから逃れようと小さく身じろぐ。


「……っ、あ……う…」


 とぎれとぎれに息をする悠日に、綱道が深々と頭を下げる。申し訳ありません悠姫様、と聞こえたのは牡丹の気のせいではない。
 未だ落ち着かない息遣いだが、藩士達がそれを顧みることはなかった。

 ――悠日のその傷が、体力が、何もせずともじきに回復することを知っているからだ。


「それで、悠日の血を使ってどうなわけ? ここに取りに来てるってことは、そこそこいい結果が出てるって判断してもいいんだよね?」

「……少なくとも、効能はそのままに、副作用が抑えられてきているのは確実です。我々雪村一族の里の水との相性も良く、順調に改良は進んでおります」


 格子に鍵をかけた薫の向こうに見える悠日を見つめながらそう答える綱道に、薫は訊いた割に興味のなさそうな様子でふーん、とだけ返した。

 帰っていいよという薫の言葉を受けて、藩士達は綱道を伴い東屋を去っていく。
 それを見送るさなか、檻の中で未だにうめいている悠日が何かを口にしたのを聞いて、そちらへと目を向ける。


「……そ……さ……」


 かすかに聞こえた悠日の声。その言葉が何を示しているのか気づいた薫は、少し不愉快そうに眉を寄せた。
 がん、と格子に拳を打ち付けて、薫は部屋の中を覗きこむようにかがむ。


「今ここにいるのは、俺なんだけど……? なんであいつの名前を呼ぶのかな、悠日は」


 格子に手をかけ、薫は横たわる悠日へ声をかける。少し怒気を含んだようにも聞こえるそれは、ここにきて初めて聞く声色で、牡丹は少し驚いた様子で目を見張った。


「俺に命乞いしたら、効くかもしれないよ? 一応許嫁だから、それくらいのことはしてあげてもいいんだから。……ねえ、悠日?」


 だが、悠日は先ほどの一言を口にして以降再び動かなくなってしまった。うめき声さえ上がらなくなり、それと入れ替わるかのように香のくゆりが風に乗ってふわりと部屋中に広がる。そんな悠日に、薫は険しく眉を寄せた。

 これ以上ここにいても悠日に反応がないことを理解し、薫は牡丹を呼んで悠日の部屋の隣へ押し込めた。ここに来たとき籠められていた部屋だ。
 薫が不在で牡丹が動かない時はいつもこうだ。部屋の前には香炉が置かれて、部屋を強行突破しても動けないようにしていく。仮にそうできたとして何かができるわけでもないのだが、それでも厄介なことに変わりはない。

 機会はあるはずだ。その思いを胸に、牡丹は壁へと背を預ける。

 今頃、少なくとも沖田辺りは心配しているのだろうか。悠日の心境を考えるとそうであって欲しいと考えるのだが、こればかりはかの人間の心次第だ。人の心は移ろいやすい上、それだけは誰にもままならないし分かるはずもないのだ。

 そこまで考えて、分からない思いというものを思い出して牡丹は怪訝そうに眉を寄せた。

 薫の先ほどの表情。悠日の口から出たのは沖田の名だった。悠日が人間の中で唯一心を許している相手。その存在を薫ももちろん知っている。

 そんな沖田の名前が出た瞬間に見せた薫のその反応は、執着はない、と言いながらも、悠日への執着を示しているように見えるのだ。自覚がないのか、それともただ単純に気に入らなかっただけという理由なのか。

 分からないからこそ恐ろしく、それゆえに動けないのも事実だ。悠日に執着しているのであれば、やすやすと殺されることはないだろう。逆の可能性が否めないのも事実だが、それでも機会ができる可能性はあるはずだ。

 いずれできるかもしれないその機会を逃さないためにも、体力は整えておかなければ。
 自分の無力さを噛みしめながらそんなことを考えていると、部屋の外から香の香りがかすかに聞こえてきた。

 護摩に似た香り。悠日達を捕らえるために使われているこの香は、何度聞いても慣れることはない。


「これさえ、なければ……」


 力が抜ける。この香さえなければ自由に動けるものをと、そう思うが体は正直で香に反応して力を失ってしまう。
 その香りに強引に誘われ、引きずり込まれるように牡丹は眠りに落ちていった。


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